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第二部・お見合い 編

バレンタインデート1

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 小金井が運転する車に乗って向かったのは、東京駅付近にある『エリュシオンホテル』だ。
 その中にあるイタリアンレストランに向かうと、夜景を見渡せる窓際の席に案内された。
 店内はすでにスマートカジュアルに則った服装のカップルで一杯だ。
 少し緊張して目の前にあるプレートやカトラリーを眺めていると、ドリンクメニューを出される。
 佑はメニューを見てすぐにシャンパンやそのあとに飲むワインを決めてしまい、「香澄は?」と見つめてくる。

「えっと……じゃあ、シャンパンは同じ物にして、あとでまたメニューを見せてください」

 香澄のオーダーを聞いてカメリエーレは微笑んで去って行った。
 そのあとに出されたコース料理は、バレンタインに因んでチョコレートを使ったソースや、相手を魅惑するために古代から媚薬として知られている食材を使ったものだった。
 チョコレートと言われると甘いイメージしかないので、柔らかな牛ステーキに使われたソースにチョコレートが入っていると言われ、首を傾げながら味わっていると、佑がクスクス笑った。
 ドルチェは香澄の大好きなベリーのムースが載った、チョコレートケーキだ。
 勿論ハート型をしていて、上にラズベリーやブルーベリーがコロコロと載り、粉砂糖を雪のように被っているのが美しい。
 キンキンに冷やされたプレートには、チョコレートソースでメッセージが書かれている。
 正面に座っている佑がニコニコしているところを見ると、恐らく『アイラブユー』的なものが書かれているのだろうが、如何せんイタリア語だったのでよく分からなかった。

(美味しかったぁ……)

 とろけた顔で食後のカフェラテを飲み、小菓子として出された物もチョコレートなので、バレンタインコース感が強い。
 おまけに食事を終えようとした時、コース内に含まれていたらしく、レストラン独自のチョコレートをボックスで頂いてしまった。

「至れり尽くせりで、幸せでした」

 手に高級感のある黒い紙袋をさげ、香澄は浮かれて廊下を歩く。

「チョコは明日のおやつにでもすればいいよ」
「家に帰ってから、ゆっくり食べましょうか」
「俺はいいよ。甘い物は出されれば食べるけど、自分から積極的にいくタイプではないんだ」
「そうなんですか? ……じゃあ、独り占めしちゃいます」

 半分冗談で言ったのだが、佑は「どうぞ」と大人っぽく微笑むだけだった。
 廊下を進んでエレベーターに乗ると、佑は持っていたルームキーをフロアボタンスペースにあるリーダーに読ませ、最上階を押す。

(これから……)

 部屋に行ってからの事を考え、ジワッと頬を赤くする。
 今日は出勤日ではあるものの、そのあとのデートを考えて少し気合いを入れた下着をつけてきた。

(佑さん、派手なの嫌いじゃないかな……)

 微かに緊張する香澄は、ワンピースの下に赤い下着をつけていた。
 胸元とパンティの全面にダリアの花が刺繍されたもので、美しいが見た目も派手だ。
 しかしガーターベルトとすべて揃えてつけると、下着という名の芸術品を身につけた気になり、女性として少し嬉しくなる代物でもある。
 脱いだ時の彼の反応を想像していると、ゴンドラが最上階についた。
 佑は自然と香澄の手を握り、廊下を進んでいく。

「まだ何か飲める?」

 ルームキーでロック解除し、佑がドアを開いて香澄を室内にいざなう。

「私は大丈夫で…………。わぁ……」

 返事をしようとしたのだが、目の前に広がった空間に気を取られ、呆けた声が出た。
 基本的にホテルと言えばワンフロア用の天井が普通だと思っていたが、このホテルは最上階だからか、ツーフロアを吹き抜けにさせて天井がとても高い。
 部屋はメゾネットタイプになっていて、室内を見回した感じ、どうやら階段を上がったところにベッドルームがあるようだ。
 天井の高さを生かし、室内だというのに神殿のように柱があり、特別感を醸し出している。
 当たり前のようにある超大型テレビにスタンド式のステレオ、ゆったりとしたソファは見ただけで気持ちよさそうで、置かれてあるクッションはブランド物なのか美しい模様のカバーが掛かっていた。

「はぁ……」

 突っ立っていると、佑が肩を抱いて頬にキスをしてきた。

「気に入った?」
「は……はい……」

 いい加減、佑の家だけでも規格外の豪邸でいまだ慣れていないのに、やはりホテルという場所にくると非日常を感じるからか、子供のようにはしゃいでしまう。

「ほ、他の部屋、見てきていいですか?」
「どうぞ」
「あ、あの。親友と家族に見せるためだけに、写真を撮っても大丈夫です?」
「ご自由に」

 香澄が明らかに嬉しがっているのを見て、佑もご機嫌だ。
 それからあと、香澄はスマホを構えて各部屋を回り、撮影会をした。
 最後にベッドルームを撮影して、そこから見える夜景にホゥ……と溜め息をついた頃、佑が「風呂入れるよ」と声を掛けてきた。

(……こんな高級ホテル、ラブホ扱いしたらいけないのに、……これはもう、ラブホでのデートみたいだよね……)

 ピシッとベッドメイクされたベッドの上は、バレンタインだからか薔薇の花びらでハート型が描かれていた。
 それがまたどこか恥ずかしく、香澄は一人で照れる。
 皺一本ないベッドを乱すのも気が進まず、香澄はベッドの足元の床上に座り込み、木製の柵の隙間から夜景を見る。

(こんなバレンタイン初めてだ……。こんなに幸せでいいのかな)

 ポワポワと幸せ気分に浸っていた時、ふと昼間に会った健二の事を思い出してしまった。

(付き合っていた時、私なりにチョコレートとか頑張ってあげたっけ)

 彼の事を考えると、苦い胸の痛みと同時に、記憶が〝何か〟を思い出すのを拒否する。

(最初は手作りチョコをあげたけど、『何か気持ち悪い』って言われたんだっけ)

 嫌な思い出というのは、いい思い出以上に胸に残る。
 湯煎する温度などもレシピ通りに作り、父や弟が欲しがる中を守り切って、ラッピングする物にもこだわって、満を持して渡した結果がそれだった。
 あとになってから、健二は家族以外の人が握ったおにぎりなども苦手なタイプだと知り、ビニール手袋をしていたとは言え、コロコロ手で丸めるトリュフは嫌だっただろうな、と理解した。

(それでも、言い方ってあるよね……。せめて形だけでも喜んで受け取って、あとは好きにしてくれて、嘘でもいいから『美味しかった』って言ってくれてもいいのに)

 そこまで考えて、自分に都合のいい事しか考えていないと気付き苦笑いする。

(世の中、色んな人がいるもんね。私は食べ物とか何も気にせず何でも食べちゃうけど、健二くんは繊細な人なんだろうな)

 自分は大丈夫だから、他の人も大丈夫と思うのは駄目だと分かったのは、その頃辺りからだ。
 家族や親友たちは、価値観がとても似ているのでそういう事で衝突した事はなかった。

(今は東京できっと彼女いるんだろうな。彼は彼で、幸せでいてくれればいいけど)

 何も関係なくなったからこそ、客観的にそう思える。

(別れた直後はそういうメンタルじゃなかったから、これでも一応成長できたんだな)

 溜め息をついた時、階段を上がって佑が姿を現した。

「あれ、こんな所に隠れてた。途中からかくれんぼに変わった?」

 冗談めかして言った彼は、ベッドを見て「凄いな」と笑ったあと、香澄の隣に腰を下ろした。

「どうした? 何かちょっと元気がないように見えたけど」
「何でもないです」

 佑とのバレンタインデートなのに、元彼の事を思い出していただなんて言えない。

「それ、やめないか?」
「え?」
「もっとフランクに話してくれていいよ。もう一ヶ月半同棲しているんだし、恋人だし、これから婚約して結婚するだろ? もうちょっと言葉からでも心を開いてくれてもいい頃合いだと思う」
「は……、う、うん」

 反射的に「はい」と言いかけて慌てて修正すると、佑がクシャッと笑って香澄の肩を抱いてきた。

「……本当は何かあった? 思い出してた? ……元彼の事とか」

 ズバリ言い当てられ、息が止まった。
 何と言って誤魔化そうか迷っていると、その〝間〟で察したようだ。

「香澄は原西さんと、いい関係だったの?」
「えっ……、あっ、ちが……っ……。や、その……」
「いいよ。風呂が溜まるまでとことん話そう。バスタイムからは俺に集中してもらうけど」

 懐の広い部分を見せられ、香澄は溜め息をついて降参する。

「ただ、元彼との昔のバレンタインを思い出していたんです。あんまりいい思い出じゃなかったな、って」
「ふぅん? 俺の方が〝上〟なのは素直に喜んでおく。後学のために、元彼はどんな所が駄目だった?」

 尋ねられ、先ほど思い出していた事を教えると、佑は深い溜息をついた。

「……俺でさえ香澄の手作りチョコをもらった事がないのに……」
「あっ、あ! ご、ごめんなさ……ごめん! 今年は良さそうな物を買ったけど、来年は手作りでいいなら、作る……から」
「約束だぞ?」

 慌てて言うと、言質を取ったと言わんばかりに佑が微笑んだ。
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