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第一部・出会い 編

プライベートジェット2

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「香澄」
「は、はい」

 佑に呼びかけられ、香澄は横を向く。

「シートの前に、機内Wi-Fiのパスワードが書いてあるから、スマホを使いたかったら利用して」
「ありがとうございます」

(ひええ……Wi-Fiまで……)

 覚えている限り、大手航空会社の飛行機でも機内Wi-Fiはあるが、サイト会員になるなどの手続きをしなければならなかった。
 至れり尽くせりだと思いつつ、収納に入っている冊子を見ていると、なんと最新映画まで見られる事に気付いた。

「映画も見られるんですね。これ、まだ日本で公開してない奴じゃないですか?」
「そういうのは、専用の会社と契約しているんだ。邦画はまたシステムが別なんだけど」
「はぁ……」

 感心したあと、スマホの電波は航空器機を狂わせる可能性があると思いだしたので、とりあえず機内モードにしておいた。
 やがて大人しく待っていると、車の運転手や護衛とおぼしき男性たちが乗ってきた。
 彼らは佑に「すべて積み終わり、固定も完了しました」と報告し、香澄を見て微笑みかけてきた。
 思わず「ど、どうも……」と会釈をする香澄に、佑が声を掛ける。

「彼らについては、東京について全員そろった時に紹介するよ。基本的に毎日の生活に、運転手と護衛がついている。あと、通いの家政婦さんもいる。庭師さんや掃除の業者は基本的に顔を合わせる事がないから、常駐の警備員さんに任せてる」
「は、はい……」

(常駐の警備員さんまでいるんだ)

 そのうち客室乗務員が忙しそうに動き始め、シートベルトサインが点灯する。
 飛行機のエンジンが掛かり、ゆっくりと滑走路を進んでいった。

(今日は天気がそれほど悪くないから、良かった)

 窓の外は快晴ではないけれど、吹雪でもない。
 どんよりと曇った空とチラホラ降る雪は、北海道の冬では当たり前の景色だ。
 新千歳空港のある周辺は畑が多く風が強いので、吹雪になると離陸できない事が多い。
 なので天気的に「恵まれた」と思ったのだった。
 ポーンと独特のサイン音が鳴り、少し経ったあとに飛行機が滑走路をまっすぐ進む。

(わ、この感覚久しぶりだ)

 グンッとGが後ろにかかる独特の感覚を味わい、香澄は思わず窓に齧り付く。
 タイヤと地面の摩擦がフッとなくなったかと思うと、機体が浮き上がりグングンと高度を増してゆく。

(わぁ、飛んだ飛んだ)

 札幌、もとい北海道にいると、他県に行く時はもちろん飛行機だ。
 フェリーという手段もあるが、大体道外に出掛ける時は、直接観光地に向けてのツアー旅行が多いのでフェリーとは縁遠い。
 北海道内でも帯広や釧路など行く場合、飛行機を使う人もいる。
 それほど北海道は広く、他県から独立しているので、香澄にとって飛行機に乗る事は旅行に行くのと同義だった。
 なのでこうして、内心子供のようにはしゃいでしまっている。

(これから飛行機を使う機会が多いのを思うと、耳が強くて良かったな)

 友人の中には耳が弱い人がいて、飛行機に乗ると鼓膜が影響を受けて辛いと言っている人もいた。
 彼女が飛行機に乗る時は耳栓と、唾を飲み込むための飴が必需品らしい。
 香澄は幸いあまり影響を受けないタイプなので、良かったと思っている。

 一面雪で真っ白の空港周りの畑を眼下に、そのまま飛行機は高度を上げて雲の上に上がる。
 そのうちしばらく経つと、ポーンとまたサイン音が鳴って機体が安定した事を知らせた。
 通路を挟んで隣の席で、佑が伸びをして少し席をリクライニングさせる。
 やがて客室乗務員が、飲み物や軽食の希望を聞きに来た。

「あ、えっと、じゃあ、ノンシュガーのホットカフェオレをお願いします。軽食は……えーと、夕方か……。あの、御劔さん、東京に着いたあとご飯はどうなるでしょうか?」
「佑さん、ね」

 言い直され、香澄はジワッと赤面する。
 客室乗務員はもれなく高身長美女なので、彼女たちの前でこんなやり取りをしていると、「似合わないって思われているんじゃないだろうか」と怖くなってしまう。

「今日の夕食は、移動で疲れただろうから自宅でとろうと思っている。家政婦さんが色々作ってくれているはずだ。飛行機で好きな物を選んで、あとは家で食べられるだけ食べたらいいんじゃないかな」
「……はい」

(贅沢だなぁ)

 こうやって遠い場所から家に帰っても、家にご飯を作ってくれている人がいるのはありがたい事だ。

「じゃあ、サンドウィッチセットをお願いします」
「畏まりました」

 客室乗務員は他の者たちにも尋ねたあと、奥に戻ってゆく。
 やがて準備ができた彼女たちが、カートを押してやってくる。
 ボックス席のテーブルは引き出すタイプで、材質も高級感のある艶やかな木製だ。

「お待たせ致しました」

 そしてテーブルの上にトレイごとサンドウィッチセットが出される。

「わ……」

 香澄の知る限り、機内食と言えばすべてプラスチック容器に入っている物だ。
 だが出されたのは白い横長のプレートだ。その上に小さなサンドウィッチとバゲットサンド、フルコースの前菜に似た物がちょんと綺麗に配置されている。
 湯気を立てるスープは香澄の好きなポタージュで、それももちろん陶器の器に入っている。もう一つの器にはフルーツが入っていた。

「凄い……!」

 一流レストランのように、ナプキンリングで留められたナプキンもある。
 軽食の前に出されたおしぼりは、もちろん紙製ではなく本物の布しぼりだ。
 カフェオレはたっぷり入るカップに注がれ、濃い香りがしている。

「いただきます……!」

 バタバタしていて空腹を忘れていたが、美味しそうな軽食を前にグッと食欲が湧いてきた。

(……と、その前に……)

「あの、み、……た、佑さん」
「何だ?」

 今度は彼はにっこりといい笑顔でこちらを見る。

(うう……。本当にこうやって呼ぶと嬉しそうだな。恥ずかしいけど、心に留め置いておこう)

「写真とか、撮っても大丈夫ですか? 親友とか家族とか、秘密を守れる人にだけ知らせたいっていうか……」
「構わないよ」

 駄目と言われるのを半分以上覚悟していたので、あっさり了承されて肩すかしを食らう。

「い、嫌じゃないんですか? こういう……見せびらかすような……」
「別に? 俺も個人のジャフォアカウントで、友人に見せたいと思ったものはシェアするし、現代で生きる人なら当たり前の感覚じゃないかな」
「あ、ありがとうございます……。でも、その、炎上とかしちゃいけないので、ごくごく身内向けにしておきます」

 許可を得て軽食の写真を撮ってから、香澄は美味しそうなそれにかぶりつく。

(美味しい……)

 もっもっと口を動かしつつ、今後の事を考える。

(きっとこれから沢山、写真を撮って記念に残しておきたいって思う事は増えるだろうけど、絶対ひけらかしたら駄目なんだ。佑さんの〝隣〟を狙っている女性は大勢いるし、もしかしたら私の知り合いの中にも『ずるい』って思う人も出るかもしれない)

 現実的な事を考え、身が引き締まる。

(麻衣とか家族とか、信頼できる人だけ招待したジャフォの鍵アカウントとかも作るのを視野に入れよう。それなら写真を投稿したいっていう欲求も満たされるし、安全だし。……いや、でもさすがに麻衣でも、そういう投稿が多いと嫌になるかな。それは相談しよう)

 こういう時、つくづく人間の持つ承認欲求は厄介だと思う。
 一般の育ちだからこそ、少しいつもと違う場所に来たり、いつもより高い食事を食べたりすると、写真を撮って「見てほしい」と思ってしまう。
 香澄が「必定以上に目立ちたくない、マイペースに生きていきたい」と思っている性格でも、少なからずそういう部分はあるのだ。

(佑さんの側で生きていくなら、これからずっと、自分を律していかないと)

 自分に言い聞かせて決めたあと、香澄は気持ちを切り替えて軽食を楽しみ、美味しいカフェオレを飲んだ。

**

 約一時間半のフライトを経て、飛行機は羽田空港に着いた。

 荷物はそのまま放っておけば、東京の『eホーム御劔』の社員が引き取ってくれるらしく、ありがたく手荷物だけで移動させてもらう。
 車に乗るのも、また滑走路まで直接車が迎えに来たので、それに乗り込むだけだ。

(あっという間に東京だなぁ……)

 新千歳空港から札幌までは畑が多く、途中にある町も小規模なのに対し、羽田空港から都心に向かう途中には、もうすでに建物が多く見える。
 慌ててスマホのマップを確認しようとすると、佑が「東京湾岸に沿って道路があるんだ」と教えてくれる。

「途中でレインボーブリッジも見えるよ」
「わあ! 本当ですか!?」

 それはぜひ見たい! と香澄の中で興奮度合いが上がる。
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