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第一部・出会い 編

ホテルのバーで1

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(どう……すればいいんだろう)

 マネージャーとしてなら、事前に仕入れた情報で客に挨拶ができる。
 だが今はプライベートだ。
 経営者の知り合いなんていないし、そもそもどんな会話をすればいいか分からないし、香澄は困り果てていた。

 無言のままゴンドラは下降し、すぐ一階に着く。
 ビルの中を進んで外に出ると、十一月の風が吹き付けた。

「事務所はどこにある? タイムカードとか押さなくて大丈夫か?」
「あっ……、あっ、はい! 寄り道をして大丈夫なら、そうしたいです」
「付き合うよ」

 その後、すぐ側にある八谷グループ札幌支社の事務所まで歩いたのだが、歩き慣れているすすきので、あの御劔佑を連れているなど信じられない。

「寒いので、あの、ビルの中で待っていて頂けたら」

 事務所のあるビルに入り、香澄は慌てて鍵を開け、メールチェックなどをしてからタイムカードを押す。
 この事務所には店長や社員たちもあとから来るので、施錠などは任せるという旨をホワイトボードに書いておいた。

「お待たせしました」

 一階まで戻ると、壁にもたれ掛かっていた佑が微笑んだ。

(……あ。こうやって優しく笑いかけられると、……意外とアリかもしれない)

 有名人、おまけに美形すぎて異性として見られないと思っていたが、店内にいたよりは佑を身近に感じて、ほんの少しだけ意識してしまった。

「話をするって、どこに行くんですか?」
「俺の泊まってるホテルの、バーとかは?」
「うー……。……いい、です……けど……」

 仕事を途中で抜けて、バーに行っていいものかと香澄は懊悩する。

「八谷社長の許可は得ているし、本当にあとから俺が詫びておくから、赤松さんは気にしなくていいよ」
「……はい」

 頷いたあと、佑はタクシーを拾い「ホテルロイヤルグランまで」と告げた。
 ホテルロイヤルグランと言えば、札幌駅近辺にある高級ホテルだ。

 家族や親友と、何度かホテル内にあるレストランや、アフターヌーンティーに行った事がある。
 けれど地元なだけあり、さすがに食事以外で訪れた事はなかった。

 加えて夜の時間帯だと香澄はすすきの方面にいる事が多いので、わざわざ札幌駅のホテルまで行って飲むなどない。
 すすきのから札幌駅近くまでなので、さほど時間が掛からず移動が終わった。

 香澄が財布を出すよりも前に、佑がサッとカードでタクシー代を支払ってしまう。
 目の前にはホテルロイヤルグランの円形の自動ドアがあり、佑が先にロビーに入ると、途中にいたホテルスタッフが慇懃にお辞儀をした。
 そのままフロントでルームキーを受け取り、エレベーターホールまで向かう。

「腹減ってない?」
「あ……いえ。出勤前におにぎりを食べましたので」

 すすきの交差点近くには美味しいおにぎり屋があり、香澄はいつもそこでおにぎりを二つ買っていた。
 一つは事務所に入る夕方頃に食べ、そこからあとは店に出ている事が多いので、もう一つは二十一時頃の休憩に食べる。
 しっかりしたサイズなので腹持ちがいいのだが、その分、体重が増さないか心配なので、休日はできるだけ走るようにしていた。

 ただ、今日はずっと八谷と福島に付き添っていたので、一つ目のおにぎりしか食べられていなかった。

「そうか。じゃあ、つまみ程度でいいから付き合ってくれるか?」

 エレベーターのゴンドラに乗り込み、佑はバーがあるフロアボタンを押す。
 ゴンドラが上昇するのを感じ、階数表示が変わっていくのをぼんやり見ながら、香澄はまだ現状を把握しきれていないのを自覚する。

(よく分からないまま着いて来ちゃった)

 こんな状況を親友に話せば、「知らない人について行ったら駄目でしょ!」と怒られるのが目に見えている。
 香澄は立派に本日二十七歳になった大人だが、親友にはいつも「ぼんやりしてる」と言われるので、できるだけ注意しているつもり……ではあった。
 それが佑の勢いに呑まれ、勤務中だというのにここまでついてきてしまったので、やはり隙はあるのだろう。

 ゴンドラは上階につき、フロアを少し歩いた所にバーラウンジの入り口があった。

「いらっしゃいませ」

 フロアスタッフに通されて中に入ると、薄暗い店内にはムードのいい音楽がかかり、恐らく時間帯によって生演奏をしているだろうグランドピアノもあった。
 スポットライトを浴びるバーカウンターでは、中年の男性と香澄と同い年ぐらいの女性が、シェイカーを振っていた。
 バーカウンターの他には向かい合うソファ席や、札幌の街並みを見下ろす窓側のカウンター席もある。
 そんな中、香澄は佑と共に個室に案内された。

「ハイボールお願いします」

 佑はメニューを香澄に見せ、最初の一杯はハイボールと決まっているのか、すぐに注文した。

「わ、え、えと……」
「ゆっくりでいいよ」
「は、はい」

 温かいおしぼりで手を拭きつつ、香澄はメニューを見る。
 普通のカクテルは一通り書いてあるし、バーテンダーがいるのでメニュー外の物も提供できるのだろう。
 その他にさすがホテルのバーと思ったのは、新鮮なフルーツが載った、デザートのようなカクテルも提供しているところだ。

(季節のフルーツ……ラ・フランスか……。おいしそ)

「私、これにします」

 季節のカクテルを指差すと、佑が「フードメニューは?」と尋ねてくる。
 言われてページをめくると、色々美味しそうな物が書いてあって目が引かれる。

(今日、二個目のおにぎり食べる暇がなかったから、お腹空いたな……)

 唐揚げの単語を見ただけで、ジュワ……と口内に唾液が溢れる。

(スパゲッティもある……)

 香澄が先ほどよりも前のめりになってフードメニューを見ているのを観察し、佑が忍び笑いをしているが、彼女は気付いていない。

「何でも食べていいよ」
「……じゃ、じゃあ、お言葉に甘えます」

 食い意地が張っていると思われたらどうしよう、と思いながらも、香澄は中札内(なかさつない)の地鶏とほうれん草のクリームパスタを食べる事にした。
 佑はその他、二人でつまめそうな唐揚げ、ポテト、枝豆などを適当にオーダーする。
 やがて一敗目の酒がきてから、二人は乾杯した。

(何の乾杯なんだろ……)

 ぼんやりしたまま、香澄はピルスナーグラスに入った薄黄色のカクテルを見る。
 中にはクラッシュドアイスやラ・フランスの果実などが入り、上にはミントの葉が載せられ、縁にはラ・フランスの果実が添えられている。

「おいしそ……。頂きます」

 カクテルには黒いストローが二本刺さっている。
 飲食店で働いているので理解しているが、これは一本はクラッシュドアイスを掻き混ぜるための物だ。
 ちう……と一口飲むと、ラ・フランスの香りが口内に広がる。
 上品な甘さと香りに思わず笑顔になったが、そう言えば夕方以降何も食べていないのを思いだし、フードメニューがきてからにしようと思った。

「それで……、お話とは?」

 切り出すと、ジッとこちらを見ていた佑が「ん」と瞠目して視線を泳がせる。
 そのあと藻岩山の方を見て息をつき、言いたい事をまとめたのか口を開いた。

「今の仕事について、やりがいは感じているか?」
「はい。入社して地方で店長を何年もやって、今の地位があると思っています」

 香澄の迷いのない返事を聞き、佑はまた山のほうを見る。

「今日みたいな事は、結構ある? セクハラ的な」
「お酒を出している店ですから、寄ったお客様のお相手をするのは大前提です」
「……今日みたいな無茶ぶりがあったり、触られる事は?」
「……そういう質問が、セクハラのようにも感じられるのですが」

 切り返すと、佑は溜め息をつきワシワシと頭を掻く。

「すまない。……セクハラしたいんじゃなくて、君が普段どの程度仕事で嫌な目に遭っているのか知りたかった」

 そう言った直後、佑は自分を省みたのか、慌ててつけ加える。

「勿論、俺が君を無理矢理ここに連れてきたのも自覚している。君の中では、俺も『無理難題を言う嫌な客』かもしれない。俺を含めてもいいから、普段の仕事の中でどんな風にセクハラがあるか教えてほしい」

(……何を言ってるんだろう、この人)

 佑の意図する事が分からず、心の中で首を傾げてから香澄は素直に答えた。

「普段、パンツスーツで仕事をしていますが、見た目は女性なので舐められる事は多々あります。お尻や体を触られる事も珍しくはありません。デートのお誘いを受けたり、セクハラの一環かは分かりませんが、長時間のお説教を頂く事もあります。ホールスタッフが粗相をして、その場に私がいた時は、店長と一緒に謝罪する必要もあります」

 接客業をしていると、色々ある。
 それでも香澄は客に楽しく飲んでほしいと思うので、「この仕事に就いたからには、当たり前の事」と思って割り切っていた。

「さすがに、バニーガールの格好をしたのは初めてでしたが」

 苦笑いすると、「だろうな」と佑が呟き溜め息をついた。
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