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第一部・出会い 編

序章1

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「動かないで」

 低い声に耳元で囁かれ、赤松香澄あかまつかすみは背筋を震わせた。

 自分を抱き締めるような格好でウエストを測っているのは、つい先ほど出会ったばかりの男性――御劔佑みつるぎたすくだ。

 一八五センチメートル以上はある高身長に、日本人と思えない厚い胸板。
 その顔立ちは彫りが深く、肌の色も日本人より少し白い。

 目の色も一般的な日本人より薄く、単なる薄茶色ではなく虹彩に様々な色が混じっている。

 恥ずかしくて見つめられないので、正確には彼の目の色が何色なのか分からない。

 香澄は札幌のすすきので、夜間にオープンしている飲食店――居酒屋やバーなどを経営する八谷やつたにグループの札幌支部エリアマネージャーをしていた。

 店の中には、経営者など、限られた人だけが入店できる会員制バーもある。

 そのため、香澄は札幌支店を訪れた大物たちの顔を覚えている。

 色々な有名人が訪れたが、その中でも佑の認知度は特に高く、テレビや雑誌、広告などで日常的に見る人だ。

 雲の上の人なので、個人的な事は何も知らなかった。

 だがネットに書かれているぐらいの情報なら認識している。

 肌の色が日本人より白いのは、彼の母親が日本に帰化したドイツ人だからだ。

 母親の実家は、ドイツ産の有名高級車と言えば――で名の知られるクラウザー社を、一族経営しているクラウザー家だ。

 現在、そんなサラブレッドがなぜか札幌にいて、香澄に体を密着させてスリーサイズや他の場所も採寸している。

 店で挨拶した時、佑はスリーピースを纏っていたが、今はジャケットをハンガーに掛け、ベストとシャツ姿になっていた。

 しっかりアイロンがかけられているシャツに、前面はグレンチェック、背面はブルーグレーのベストだ。
 ジャケットには水牛ボタンが付いていて、そんな所からもセンスの良さが分かる。

 覚えている限り、ジャケットの胸ポケットには柄物のポケットチーフがあったはずだ。

 ――そう、そのポケットチーフは彼を体現するアイテムだ。

 彼――御劔佑は、Chief Everyチーフ・エブリィと呼ばれる国内最大手のアパレル会社の社長だ。

 その前身であるChiefチーフ Everyエヴリィ Platinumプラチナ――CEPシー・イー・ピーというハイブランドは、さくという男性がメインデザイナーを務め、佑も時にデザインを提供しているらしい。

 起業したのは高校生時代で、友人の協力を得てアプリから商業戦略を練り、現在に至る道筋を築いたのだとか。

 CEPはパリコレにも参加するほど世界に認められ、さらにChief Everyは一般層から絶大な人気を得ている。

 CEPの服はセレブが買い求めている。

 Chief Everyは佑がヘッドハンティングした一流デザイナーがデザインし、一般人でも手の届く値段であらゆる種類、サイズの服が販売されている。

 どんな体型の人、どんなジェンダーでも楽しめる服があるため、老若男女問わず人気がある。

 シェア率は国内のみならず、海外にまで及んでいる。

 他にも不動産も手がけ、飲食など、他の分野にも手を伸ばそうとしていると言われていた。

 そんな凄い男性が、現在メジャーを手にして香澄の体を真剣に採寸している。

(どういう……状況?)

 ピキーンと固まった香澄は、下着一枚になった姿で、羞恥のあまり泣きそうになっていた。

 幸いなのは、ローズピンクの下着が上下揃っている事だ。

 ここ数年彼氏がおらず、ちょっと気を抜くと上下バラバラの下着をつける事もある。
 だから、今日が〝その日〟でなくて良かったと心から思った。

 それが救いだ。

 チラッと佑を見ると、無精髭一本ない滑らかな頬に、長い睫毛が影を落としている。

 二人は札幌の立地がいいホテルの、スイートルームにいる。

 シャンデリアの金色の光が、佑の不思議な目の色を照らしてとても美しい色味を醸しだしている。
 香水をつけているようで、彼からは官能的な香りが微かにした。

(何の香水だろ……。すっごい……セクシー……)

 香澄は思わずうっとりしそうになるのを、必死に堪える。

 男性の匂いを嗅いで興奮するなんて、生まれて初めてだ。

「次、二の腕」

 佑は香澄のバスト、ウエスト、ヒップを測って紙にサラサラとメモし、短く告げる。

 香澄は素直に腕を胴から離し、彼に二の腕を測らせた。

(何やってるんだろ……私……)

 他人に二の腕、肩から手首までの長さを測られるなんて、生まれて初めてだ。

(初体験だなぁ……)

 現実味のない事をされているので、ぼんやりとそんな事を考え、「いやいや」と自分に突っ込みを入れる。

(……無駄毛の処理、大丈夫かな)

 挙手するほど腕を上げていないので、腋は見えていない。

 それでもすぐ近くに男性がいると、嫌でも意識する。

 最低限、腋と見えるところ、顔は処理しているが、ここまで顔を近付けられていると、毛穴という毛穴を見られている感覚になる。

(はっずかし……)

 赤面した香澄は、ギュッと目を閉じた。

(こんな事になるなら、脱毛に行けば良かった)

 そう思うが後の祭りだ。

 脱毛やエステと聞くと「高額請求されるのでは」というイメージがあるので、ハードルが高く問い合わせすらできないでいる。

(御劔さんの周りにいる女性なら、当然無駄毛なんてないんだろうなぁ)

 そんな事を思い、ほんの少し胸の中がモヤッとする。

 それが僅かな嫉妬だと自覚して、そっと溜め息をついた。

 自分の事など女性として見るはずがない相手なのに、佑にはどうしても異性として意識せざるを得ない魅力がある。

(もう二度と会わないだろう有名人なんて、気にするだけ無駄なのに)

 今まで格好いいと思う人がいても、決して外見で判断しなかった。

 なのに美形の有名人を前にして、こんなに浮ついた気持ちになり、セレブの魔力のようなものを感じる。

(美形怖い、美形怖い、美形怖い)

 香澄は願い事のように心の中で三回呟き、溜め息をついてから目を開けた。

 佑は香澄の前にしゃがみ込み、「脚を測りたいんだけど」と彼女を見上げてきた。

「うぅ……、う……。脚、とは」

「肩幅程度に足を開いてくれるか? デリケートな部分には触らないから、股下の長さを測りたい」

「ううう……」

 ここまで測らせておいて、今さら一部分だけ「嫌です」というのも変だ。

(ええいっ)

 思い切ってラジオ体操ほどに足を開くと、佑が「ありがとう」と言って、メジャーの端を香澄の脚の付け根近くに近づけた。

「…………っ」

 素肌に熱を感じ、香澄はピクッと反応する。

 幸い、佑は香澄の反応をからかわず、いやらしい態度もとらず、真剣な表情で股下を測っていた。

 そのあとも佑は香澄の太腿、ふくらはぎ、足首の周囲を測り、最後にA4の紙をだした。

「これを踏んでくれないか?」

 やっと採寸が終わったと思ったのに、妙な注文を出されて香澄は上ずった声をだす。

「ふ、踏む……?」

「足のサイズを測る」

「え、あ、はい」

 紙を踏めと言われて戸惑ったが、用途を理解し、おそるおそる足を置く。

 すると佑は、鉛筆で香澄の足周りをなぞりだした。
 終わると、香澄にメジャーをを踏ませて足の甲の高さまで測る。

「よし、終わり。協力ありがとう」

「はぁー……」

 やっと解放され、香澄は赤くなって熱を持った顔を両手で覆った。

 そして紙から一歩離れた所で、ズルズルとしゃがみ込む。

(無理。むりむり。こんなイケメンに下着一枚で採寸されるとか……。何の罰ゲームなの? だからどうしてこうなった!)

 アパレル会社の社長が誰かの体を採寸すると言われたら、普通は「オーダーメイドの服を作るのだろう」と考える。

 だが香澄はCEPのような高級ブランドの服をオーダーできるほど、金持ちではない。
 加えて服はTシャツにジーンズを穿けば満足するタチなので、服のオーダーメイドなど考えた事もない。

 御劔佑と初めて会った時の事と、今に至る経緯の記憶はある。

 だからといって、この状況を納得して受け入れているかは別だ。

 この世すべての美を集めたのではという男性に、至近距離で体を見られ、抱き締められるギリギリで体を採寸された。

 香澄のライフははゼロになりつつある。

「お疲れ様。あとは自由にしていいよ。風呂に入る? 寝る?」

「ふっ……! ねっ!?」

 どちらを選んでもいやらしいイメージしかなく、香澄はまた上ずった声をだす。

 けれど佑は香澄の肩にバスローブを掛けてきた。

 特にいやらしい意味はなかったのだと思い、自分だけ意識しているのだと知り、「もうやだ……」と内心で弱音を吐いた。

「……タクシー拾って帰ります」

「つれない事を言わないでほしいな」

「!?」

〝続き〟があるような事を言われ、香澄はギョッとして顔を上げた。
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