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取り留めた命
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「クライブ殿下でございますか!?」
弱々しい悲鳴は、モニカの侍女のものだ。
「ケイシーか? 俺だ! クライヴだ! モニカは!?」
「姫さまは……、血を流して気絶されています! 早く手当てを……!」
「くそっ! 無理にでも開けるから、安全にしていろ!」
毒づいてから、クライヴは革手袋を嵌めた両手で取っ手を握り、腰に力を入れた。
「う……っ、く!」
足にも力が入り、馬車が軋んだ音をたてる。
中にいるケイシーは恐ろしい思いをしているだろうが、今はモニカを救出することが先決だ。
やがてガコンッと大きな音がして、馬車のドアが『取れた』。
「ああ……、壊してしまった」
一瞬舌を出しかけたが、ここまで破壊された馬車なのだから仕方がないと思い、ドアを重たく放った。
「モニカ!」
「う……っ、クライヴさま……」
馬車の中から腕が伸び、ケガを負ったそれはケイシーのものだった。
「大丈夫か? ケイシー。引っ張り出すが、一人で立てるか?」
「ええ、大丈夫です」
侍女の手を掴み、慎重に引っ張り上げる。
傷だらけになり、髪をぐしゃぐしゃにさせたケイシーは、馬車の内部に足をかけて出てきた。
「モニカは気を失っているか?」
「はい」
中を覗き込むと、若草色のドレスが見える。
「一人こっちに来てくれ!」
背後を振り向き声を上げると、近くにいた隊士が走ってきた。
どうやら刺客たちは退却したらしく、ヴィンセント王国の騎士たちが、ウィドリントン王国の騎士たちの安否を確認している。
「俺が中に入ってモニカを抱き上げる。上で受け止めてくれ」
そう言うと、クライヴは馬車の中に慎重に下りてゆく。
「モニカ。……モニカ」
脱力した体に手を掛け、ほんの少し揺すってみる。
けれど柔らかな肢体は、ピクリとも動くことはなかった。一瞬焦って彼女の口元に顔を寄せてみると、確かに呼吸をしていたのでホッとする。
不安定な足元を確認し、ゆっくりとモニカを抱き上げた。
今まで何度もモニカを抱き上げたことはあるが、気を失っている時は幾ら華奢なモニカでも重たい。纏っているドレスの重量もある。
「受け止めてくれ。落とすなよ」
「はっ」
モニカを抱き上げたまま腕を上げると、隊士がしっかりと受け止めてくれた。
「姫さま……」
ケイシーの心配そうな声が聞こえる。
モニカの姿が頭上から消えてから、クライヴは身軽に馬車を脱出した。
「刺客はどうした?」
「それが、我々が駆けつけると戦闘意欲を欠いたのか、散っていきました。逃走するために剣は交えましたが、立ち向かってくることはせず……」
「……何だそれは」
不可解な事件に、クライヴは整った顔をしかめる。
けれど今は、モニカを無事な所に移して治療するのが先決だ。そう決めると自分の馬に跨がり、また隊士からモニカを受け取って腕の中に収める。
「ケイシーも誰かに乗せてもらえ」
「はい」
「俺はモニカとケイシーを連れて先に戻る。残る者は、死傷者を確認したあと城で報告。荷馬車が動けそうなら、従者を助けて城へ」
「はっ!」
言葉の最初はケイシーに向け、残りはそこらでクライヴの指示を待っている隊士に伝えた。
どうやら集中して襲撃されたのは、モニカの馬車だけらしい。
先ほどすれ違った馬車は付添人の物らしく、後続の荷馬車も大した被害はない。馬が暴れたり、従者たちがケガをしたりなどはあるが、壊滅という訳ではないようだ。
「残った者たちも心配だが、先に着いているはずのアーロン殿ご夫妻も気になる。すまない」
「お気にせず!」
親衛隊の返事を聞き、クライヴは城に向かって馬を進めた。
来る時は街道を無視して走らせたが、今は愛しい婚約者に衝撃のないように平らな道を選ぶ。
カポカポと馬の蹄の音がする中、クライヴはモニカの顔を見下ろしていた。
二年会わない間に、モニカは美しく成長していた。
前回会った時は二十歳そこそこで少女の面影があったのに、今は二十二歳だ。体つきも女性らしくなっていて、ふっくらとした胸元につい目がいってしまう。
金色の髪が風に吹かれると、傷ついて血が出ている場所に目がいく。それを見てクライヴは顔をしかめた。
彼女のトレードマークであるいつもの髪型は、崩れてしまっている。花の簪が挿されていたのも、片方は取れてしまい、片方は花そのものが潰れていた。
毎日庭園からその日の花を決め、花冠のようにまとめて茎を編むとヘアピンで留める。そうやって日ごと異なる花を楽しんでいたのに。
「……だがこうしていても、君は綺麗だから」
首元からクラバットをシュルリと引き抜くと、クライヴはそれをモニカの傷口に押し当てた。
こすらないようにトントンと傷口を押さえると、薄いブルーのクラバットはモニカの血で汚れてゆく。
「大丈夫。城に着いたら手当をして、柔らかなベッドに寝かせるから」
今にも泣きそうな顔で、クライヴはモニカに微笑みかけた。
何よりも大事な彼女が、どれだけ怖い目に遭ったのだろうかと思うと、胸が痛む。
モニカはお転婆だけれど幽霊が苦手で、少し脅せばすぐに大きな目から涙が零れてしまう。
そんな彼女が、どれだけの思いをしたのだろう――。
モニカが味わった恐怖を思うと、クライヴは悲しくて悔しくて堪らない。
「彼女がウィドリントンの城を出る前に、迎えに行っていれば良かった……」
そう呟くも、時は逆しまには戻らないのだった。
弱々しい悲鳴は、モニカの侍女のものだ。
「ケイシーか? 俺だ! クライヴだ! モニカは!?」
「姫さまは……、血を流して気絶されています! 早く手当てを……!」
「くそっ! 無理にでも開けるから、安全にしていろ!」
毒づいてから、クライヴは革手袋を嵌めた両手で取っ手を握り、腰に力を入れた。
「う……っ、く!」
足にも力が入り、馬車が軋んだ音をたてる。
中にいるケイシーは恐ろしい思いをしているだろうが、今はモニカを救出することが先決だ。
やがてガコンッと大きな音がして、馬車のドアが『取れた』。
「ああ……、壊してしまった」
一瞬舌を出しかけたが、ここまで破壊された馬車なのだから仕方がないと思い、ドアを重たく放った。
「モニカ!」
「う……っ、クライヴさま……」
馬車の中から腕が伸び、ケガを負ったそれはケイシーのものだった。
「大丈夫か? ケイシー。引っ張り出すが、一人で立てるか?」
「ええ、大丈夫です」
侍女の手を掴み、慎重に引っ張り上げる。
傷だらけになり、髪をぐしゃぐしゃにさせたケイシーは、馬車の内部に足をかけて出てきた。
「モニカは気を失っているか?」
「はい」
中を覗き込むと、若草色のドレスが見える。
「一人こっちに来てくれ!」
背後を振り向き声を上げると、近くにいた隊士が走ってきた。
どうやら刺客たちは退却したらしく、ヴィンセント王国の騎士たちが、ウィドリントン王国の騎士たちの安否を確認している。
「俺が中に入ってモニカを抱き上げる。上で受け止めてくれ」
そう言うと、クライヴは馬車の中に慎重に下りてゆく。
「モニカ。……モニカ」
脱力した体に手を掛け、ほんの少し揺すってみる。
けれど柔らかな肢体は、ピクリとも動くことはなかった。一瞬焦って彼女の口元に顔を寄せてみると、確かに呼吸をしていたのでホッとする。
不安定な足元を確認し、ゆっくりとモニカを抱き上げた。
今まで何度もモニカを抱き上げたことはあるが、気を失っている時は幾ら華奢なモニカでも重たい。纏っているドレスの重量もある。
「受け止めてくれ。落とすなよ」
「はっ」
モニカを抱き上げたまま腕を上げると、隊士がしっかりと受け止めてくれた。
「姫さま……」
ケイシーの心配そうな声が聞こえる。
モニカの姿が頭上から消えてから、クライヴは身軽に馬車を脱出した。
「刺客はどうした?」
「それが、我々が駆けつけると戦闘意欲を欠いたのか、散っていきました。逃走するために剣は交えましたが、立ち向かってくることはせず……」
「……何だそれは」
不可解な事件に、クライヴは整った顔をしかめる。
けれど今は、モニカを無事な所に移して治療するのが先決だ。そう決めると自分の馬に跨がり、また隊士からモニカを受け取って腕の中に収める。
「ケイシーも誰かに乗せてもらえ」
「はい」
「俺はモニカとケイシーを連れて先に戻る。残る者は、死傷者を確認したあと城で報告。荷馬車が動けそうなら、従者を助けて城へ」
「はっ!」
言葉の最初はケイシーに向け、残りはそこらでクライヴの指示を待っている隊士に伝えた。
どうやら集中して襲撃されたのは、モニカの馬車だけらしい。
先ほどすれ違った馬車は付添人の物らしく、後続の荷馬車も大した被害はない。馬が暴れたり、従者たちがケガをしたりなどはあるが、壊滅という訳ではないようだ。
「残った者たちも心配だが、先に着いているはずのアーロン殿ご夫妻も気になる。すまない」
「お気にせず!」
親衛隊の返事を聞き、クライヴは城に向かって馬を進めた。
来る時は街道を無視して走らせたが、今は愛しい婚約者に衝撃のないように平らな道を選ぶ。
カポカポと馬の蹄の音がする中、クライヴはモニカの顔を見下ろしていた。
二年会わない間に、モニカは美しく成長していた。
前回会った時は二十歳そこそこで少女の面影があったのに、今は二十二歳だ。体つきも女性らしくなっていて、ふっくらとした胸元につい目がいってしまう。
金色の髪が風に吹かれると、傷ついて血が出ている場所に目がいく。それを見てクライヴは顔をしかめた。
彼女のトレードマークであるいつもの髪型は、崩れてしまっている。花の簪が挿されていたのも、片方は取れてしまい、片方は花そのものが潰れていた。
毎日庭園からその日の花を決め、花冠のようにまとめて茎を編むとヘアピンで留める。そうやって日ごと異なる花を楽しんでいたのに。
「……だがこうしていても、君は綺麗だから」
首元からクラバットをシュルリと引き抜くと、クライヴはそれをモニカの傷口に押し当てた。
こすらないようにトントンと傷口を押さえると、薄いブルーのクラバットはモニカの血で汚れてゆく。
「大丈夫。城に着いたら手当をして、柔らかなベッドに寝かせるから」
今にも泣きそうな顔で、クライヴはモニカに微笑みかけた。
何よりも大事な彼女が、どれだけ怖い目に遭ったのだろうかと思うと、胸が痛む。
モニカはお転婆だけれど幽霊が苦手で、少し脅せばすぐに大きな目から涙が零れてしまう。
そんな彼女が、どれだけの思いをしたのだろう――。
モニカが味わった恐怖を思うと、クライヴは悲しくて悔しくて堪らない。
「彼女がウィドリントンの城を出る前に、迎えに行っていれば良かった……」
そう呟くも、時は逆しまには戻らないのだった。
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