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第二十六章
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「上田さん、こんにちは」
「まぁ! 桜ちゃん! まぁ!」
顔面と両手がまだ痛々しい桜を見て、玄関先に出た上田夫人が一気に涙ぐみ、遠慮した力加減で桜を抱き締めた。
「今回はご迷惑をおかけして、ほんまにすみません。落ち着きましたら他のお部屋の方や、管理人さんにもお詫びの品をお持ちしますよって」
「俺からもお礼を申し上げます。時坂忠臣と申します。今日から桜さんと同居させて頂く事になりましたので、ご挨拶までに」
そう言って忠臣が菓子折りを差し出すと、上田夫人が「ご丁寧にどうも」と相好を崩す。
「時坂さん? しっかりした優しそうな人で本当に良かったわぁ、悪いけれど、桜ちゃんの前の人、女の子に乱暴する様な男は最低よ」
桜がDV被害に遭っていた時の事を思い出したのか、上田夫人が顔を顰めて目に浮いた涙を拭う。
「事件の時は、ちゃんと証言して下さってどうも有り難う御座いました」
「いいのよぉ、私も事件に関わるなんて初めてだからドキドキしたけど、桜ちゃんが助かって、時坂さんの事も助けられて、犯人逮捕に協力できたのなら良かったわぁ」
当時の事を思い出してまだ興奮が残っているような顔つきの上田夫人に、忠臣と桜はもう一度頭を下げた。
「桜ちゃんとはずっとここで暮らしていくの?」
「まだ未定です。結婚の約束はしたのですが、まずは桜さんの怪我の回復と裁判の行方を見守って、それから先の事を改めて考えていく事にしています」
忠臣が言って桜がはにかむと、また上田夫人が「まぁ」と眉を上げる。
「結婚するの? お似合いだわぁ。人生楽あれば苦ありって言うけど、桜ちゃんは大きな事件があったから、きっとこれから沢山幸せになるのよ?」
「はい、おおきに」
それから上田夫人が気の毒そうな顔で桜の手を見、「可哀相に」と呟いてそっとギプスを撫でた。
「桜ちゃんのピアノ、うちの娘も凄く憧れてるのよ。桜ちゃんの事を聞いてあの子泣いちゃってねぇ」
「すみません」
それに桜はそっと微笑むしか出来ない。
「大丈夫。大変かもしれないけど、リハビリをしたらきっと良くなるわ。支えてくれる時坂さんもいるし」
「そうですね」
ギプスが外れるのは半年後、その後にリハビリ生活がある。
その間ピアノを弾くのは絶望的で、ピアノの遅れというものはそれ程の期間休んだら、死ぬほどに練習をしないと取り戻せない。
だが桜の指は、すぐにそんな過酷な動きが出来る指ではなくなってしまっている。
上田夫人の言葉は嬉しい。
悪意はないのだろうし、隣に住んでいるいい所の優しいお嬢様を気に入っていて、応援したいという善意も察する。
けれども、今はどんな言葉も桜にはピアノを弾けない現実をつきつける言葉にしか聞こえず、彼女は笑顔を浮かべながらも心にズブリ、ズブリと棘を受けつつあった。
「まぁ! 桜ちゃん! まぁ!」
顔面と両手がまだ痛々しい桜を見て、玄関先に出た上田夫人が一気に涙ぐみ、遠慮した力加減で桜を抱き締めた。
「今回はご迷惑をおかけして、ほんまにすみません。落ち着きましたら他のお部屋の方や、管理人さんにもお詫びの品をお持ちしますよって」
「俺からもお礼を申し上げます。時坂忠臣と申します。今日から桜さんと同居させて頂く事になりましたので、ご挨拶までに」
そう言って忠臣が菓子折りを差し出すと、上田夫人が「ご丁寧にどうも」と相好を崩す。
「時坂さん? しっかりした優しそうな人で本当に良かったわぁ、悪いけれど、桜ちゃんの前の人、女の子に乱暴する様な男は最低よ」
桜がDV被害に遭っていた時の事を思い出したのか、上田夫人が顔を顰めて目に浮いた涙を拭う。
「事件の時は、ちゃんと証言して下さってどうも有り難う御座いました」
「いいのよぉ、私も事件に関わるなんて初めてだからドキドキしたけど、桜ちゃんが助かって、時坂さんの事も助けられて、犯人逮捕に協力できたのなら良かったわぁ」
当時の事を思い出してまだ興奮が残っているような顔つきの上田夫人に、忠臣と桜はもう一度頭を下げた。
「桜ちゃんとはずっとここで暮らしていくの?」
「まだ未定です。結婚の約束はしたのですが、まずは桜さんの怪我の回復と裁判の行方を見守って、それから先の事を改めて考えていく事にしています」
忠臣が言って桜がはにかむと、また上田夫人が「まぁ」と眉を上げる。
「結婚するの? お似合いだわぁ。人生楽あれば苦ありって言うけど、桜ちゃんは大きな事件があったから、きっとこれから沢山幸せになるのよ?」
「はい、おおきに」
それから上田夫人が気の毒そうな顔で桜の手を見、「可哀相に」と呟いてそっとギプスを撫でた。
「桜ちゃんのピアノ、うちの娘も凄く憧れてるのよ。桜ちゃんの事を聞いてあの子泣いちゃってねぇ」
「すみません」
それに桜はそっと微笑むしか出来ない。
「大丈夫。大変かもしれないけど、リハビリをしたらきっと良くなるわ。支えてくれる時坂さんもいるし」
「そうですね」
ギプスが外れるのは半年後、その後にリハビリ生活がある。
その間ピアノを弾くのは絶望的で、ピアノの遅れというものはそれ程の期間休んだら、死ぬほどに練習をしないと取り戻せない。
だが桜の指は、すぐにそんな過酷な動きが出来る指ではなくなってしまっている。
上田夫人の言葉は嬉しい。
悪意はないのだろうし、隣に住んでいるいい所の優しいお嬢様を気に入っていて、応援したいという善意も察する。
けれども、今はどんな言葉も桜にはピアノを弾けない現実をつきつける言葉にしか聞こえず、彼女は笑顔を浮かべながらも心にズブリ、ズブリと棘を受けつつあった。
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