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祖父母と孫 編
自慢の孫
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「凄い……!」
私は思わず立ち上がり、猛烈な勢いで拍手をする。
他の方々も立ち、場内スタンディングオベーションだ。
百合さんはすっかり柔らかい表情になり、言いようのない感情でいっぱいになっているようだった。
尊さんは立ち上がり、少し照れくさそうにお辞儀をする。
百合さんは彼に惜しみない拍手を送り、言った。
「素晴らしいわ。趣味なのが勿体ないぐらい」
ピアノの蓋を閉じて席に戻った尊さんは、苦笑いした。
「今さらピアノの道には戻れません」
「どうして? とても惜しいわ。その才能が勿体ない」
弥生さんも言うけれど、尊さんは首を横に振り、痛みを伴った笑みを浮かべる。
「……子供の頃に母に教わったピアノは、とても楽しかったです。……そのあと篠宮家に引き取られ、父に『せっかくさゆりの才能を継いだんだから、存分に生かしてくれ』と言われ、……とてもいい待遇でレッスンを受けました」
そう言う割に、彼の表情は明るくない。
「あの頃の俺は、打ち込むものが勉強とピアノぐらいしかありませんでした。……あまり言うべき事ではありませんが、家では継母に毎日のように『死ねばいいのに』と言われていました。その怒りや悲しみを叩きつけるのがピアノで、……次第にピアノは音を愛するものではなく、負の感情のはけ口になってしまいました」
尊さんが篠宮家でどんな目に遭っていたかの一端を知り、皆顔色を失う。
「確かに技術は身につけました。友達と遊ぶ時間も削ってレッスンに打ち込んだ結果、コンクールで受賞できたと思っています。……でも華々しい舞台に立っても、何も得られませんでした。ギスギスした空気にライバルの蹴落とし合い、ステージママの金切り声、たった少しのミスで下位に落ちて絶望する子供……。……そういうものを見ると『なんのためにピアノをやってるんだろう』と思い、さらに苦しむために弾いている気持ちになりました」
そこで尊さんは溜め息をつき、苦笑いする。
「母が教えてくれた音は、生き生きしていてとても楽しい音でした。『いま自分が苦しみながら弾いている音は、母の音とまったくかけ離れている』と思って、コンクールやクラシックから離れる決意をしました。……それ以上続けていたら、ピアノそのものを憎んでしまいそうだったからです」
百合さんはさゆりさんとの関係を思いだしたのか、静かに溜め息をついた。
「ボーッと無趣味に過ごしていた時、クラシックではない音楽と出会いました。大学生の時、飛び込みで入ったジャズバーで楽しそうに演奏しているバンドを見て、それまで死んでいた音楽への情熱にまた火がつきました。……でも『そっちで活躍してやる』という熱意ではなく、楽しむために緩くやりたいという感覚でした」
尊さんは先ほどまで弾いていたグランドピアノを見て、小さく微笑む。
「一度離れてまた形を変えて戻り、気の向くままに楽しく弾いているうちに、クラシックの曲も少しずつ楽しんで弾けるようになっていきました」
彼は顔を上げ、百合さんや弥生さんを見て伝えた。
「当時はピアノと勉強以外特技のない男だったんですが、今はピアノ以外にも趣味を沢山持てています。友達も少ないながらいますし、今はピアノと復讐心しかなかった男はもういません」
そう言って、尊さんはそっと私の手を握った。
彼の話をすべて聞き、百合さんは「そう……」と頷いた。
「……私は尊の才能を見て、思わず昔の自分がさゆりに課した事と同じものを要求しかけてしまったわ。……八十歳を超えて、学ばないものね」
自嘲した百合さんに、彼は小さく首を横に振る。
「いいんじゃないですか? 人は幾つになっても人です。神様にはなりません。間違えても、軌道修正していければいいんです」
「……自慢の孫ね」
「色々経験しましたから」
今までも尊さんはこういうセリフを口にしてきたけれど、今はとても柔らかな表情をしていた。
「参考までに、朱里さんは何か楽器はできるの? セッションしてるのかな? って思って」
弥生さんに尋ねられ、私はビクッと体を震わせた。
……い、いかん。このサラブレッド一家に、ロバが混じっている……。
口を引き結んでプルプルと震えた私は、そろりと挙手して白状した。
「……リコーダーとタンバリン、カスタネット、鍵盤ハーモニカぐらいなら……」
言わずもがな、小、中学生レベルの演奏だ。
タンバリン、カスタネットと言われてもオーケストラで演奏するようなレベルでは勿論なく、「うん、ぱっ、ぱっ」のレベルだ。
震える私を見て尊さんはクシャッと相好を崩し、私の背中をトンと叩いてきた。
私は思わず立ち上がり、猛烈な勢いで拍手をする。
他の方々も立ち、場内スタンディングオベーションだ。
百合さんはすっかり柔らかい表情になり、言いようのない感情でいっぱいになっているようだった。
尊さんは立ち上がり、少し照れくさそうにお辞儀をする。
百合さんは彼に惜しみない拍手を送り、言った。
「素晴らしいわ。趣味なのが勿体ないぐらい」
ピアノの蓋を閉じて席に戻った尊さんは、苦笑いした。
「今さらピアノの道には戻れません」
「どうして? とても惜しいわ。その才能が勿体ない」
弥生さんも言うけれど、尊さんは首を横に振り、痛みを伴った笑みを浮かべる。
「……子供の頃に母に教わったピアノは、とても楽しかったです。……そのあと篠宮家に引き取られ、父に『せっかくさゆりの才能を継いだんだから、存分に生かしてくれ』と言われ、……とてもいい待遇でレッスンを受けました」
そう言う割に、彼の表情は明るくない。
「あの頃の俺は、打ち込むものが勉強とピアノぐらいしかありませんでした。……あまり言うべき事ではありませんが、家では継母に毎日のように『死ねばいいのに』と言われていました。その怒りや悲しみを叩きつけるのがピアノで、……次第にピアノは音を愛するものではなく、負の感情のはけ口になってしまいました」
尊さんが篠宮家でどんな目に遭っていたかの一端を知り、皆顔色を失う。
「確かに技術は身につけました。友達と遊ぶ時間も削ってレッスンに打ち込んだ結果、コンクールで受賞できたと思っています。……でも華々しい舞台に立っても、何も得られませんでした。ギスギスした空気にライバルの蹴落とし合い、ステージママの金切り声、たった少しのミスで下位に落ちて絶望する子供……。……そういうものを見ると『なんのためにピアノをやってるんだろう』と思い、さらに苦しむために弾いている気持ちになりました」
そこで尊さんは溜め息をつき、苦笑いする。
「母が教えてくれた音は、生き生きしていてとても楽しい音でした。『いま自分が苦しみながら弾いている音は、母の音とまったくかけ離れている』と思って、コンクールやクラシックから離れる決意をしました。……それ以上続けていたら、ピアノそのものを憎んでしまいそうだったからです」
百合さんはさゆりさんとの関係を思いだしたのか、静かに溜め息をついた。
「ボーッと無趣味に過ごしていた時、クラシックではない音楽と出会いました。大学生の時、飛び込みで入ったジャズバーで楽しそうに演奏しているバンドを見て、それまで死んでいた音楽への情熱にまた火がつきました。……でも『そっちで活躍してやる』という熱意ではなく、楽しむために緩くやりたいという感覚でした」
尊さんは先ほどまで弾いていたグランドピアノを見て、小さく微笑む。
「一度離れてまた形を変えて戻り、気の向くままに楽しく弾いているうちに、クラシックの曲も少しずつ楽しんで弾けるようになっていきました」
彼は顔を上げ、百合さんや弥生さんを見て伝えた。
「当時はピアノと勉強以外特技のない男だったんですが、今はピアノ以外にも趣味を沢山持てています。友達も少ないながらいますし、今はピアノと復讐心しかなかった男はもういません」
そう言って、尊さんはそっと私の手を握った。
彼の話をすべて聞き、百合さんは「そう……」と頷いた。
「……私は尊の才能を見て、思わず昔の自分がさゆりに課した事と同じものを要求しかけてしまったわ。……八十歳を超えて、学ばないものね」
自嘲した百合さんに、彼は小さく首を横に振る。
「いいんじゃないですか? 人は幾つになっても人です。神様にはなりません。間違えても、軌道修正していければいいんです」
「……自慢の孫ね」
「色々経験しましたから」
今までも尊さんはこういうセリフを口にしてきたけれど、今はとても柔らかな表情をしていた。
「参考までに、朱里さんは何か楽器はできるの? セッションしてるのかな? って思って」
弥生さんに尋ねられ、私はビクッと体を震わせた。
……い、いかん。このサラブレッド一家に、ロバが混じっている……。
口を引き結んでプルプルと震えた私は、そろりと挙手して白状した。
「……リコーダーとタンバリン、カスタネット、鍵盤ハーモニカぐらいなら……」
言わずもがな、小、中学生レベルの演奏だ。
タンバリン、カスタネットと言われてもオーケストラで演奏するようなレベルでは勿論なく、「うん、ぱっ、ぱっ」のレベルだ。
震える私を見て尊さんはクシャッと相好を崩し、私の背中をトンと叩いてきた。
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