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三月 編
三月
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三田のマンションに戻ったあと、私たちは着替えてからコーヒーを淹れて一休みする。
土日祝日は町田さんは基本的に休みなので、私は夕ご飯をどうしようか考えていた。
でも篠宮家を訪れていた時から気になっていた事があり、尊さんに尋ねる事にした。
「あの、ちょっとまじめな話、いいですか?」
「ん? いいよ」
ソファの上に膝を抱えて座っていた私は、両手で持ったカフェオレをフウフウと冷まし、一口飲んでから尋ねる。
「篠宮家はお母さんの死の事で、速水家に何かお詫びをしましたか? 双方とも大きな会社ですし、こじれたら企業的に厄介かな……と。食品と音響となら、あまり結びつきはないかもですが」
「ああ……」
尊さんは頷き、ソファの上で胡座をかく。
「一応、ちゃんと侘びは入れたらしいんだが、正式には受け入れてもらえなかったそうだ。母は速水家の者ではない事にされているから、詫びても『うちにはそんな名前の娘はおりません』という反応だったそうだ」
「……そっか……」
問題は篠宮家という〝外〟だけでなく、速水家の〝内〟にもあった。
「その扱いを覆す事はできないんですか? 故人に対してあまりに……」
「俺もそう思うけど、決定したのは祖母だ。……母はピアノの才能があった。祖母は娘として大切にしていたのと同時に、ピアニストとしての夢も託していた。……それを裏切られて、どうしても許せないんだろう。母と妹が亡くなってから二十二年経ったが、ずっと意地を張り続けて引っ込みがつかなくなったんだろう」
カフェオレボウルを置いた私は、そっと尊さんの手を握る。
「……尊さんは本家に顔を出すつもりはないんですか?」
ずっと気になっていた事を尋ねると、彼は苦笑いする。
「俺もタイミングを見失ったな。母を亡くしてすぐなら、身寄りがないという事で速水家の門を叩けたかもしれない。でも親父が俺を引き取って、速水家は俺にノータッチを貫いたし、陰でちえり叔母さんとやり取りしていても、本家は何も言わなかった。……お互い、そのままだ。祖母が母にこじれた感情を抱いているのは知ってるが、二十二年経った今、向こうが俺をどう思っているか、まったく分からない」
「……難しいですね……」
小さく溜め息をつくと、尊さんは微笑んだ。
「人間同士、それも家族や親戚のこじれって、解決するのは難しい。血縁であっても、顔を合わせず一緒に暮らしていないなら他人も同然だ。……子供ならまだ柔軟に〝仲直り〟ができるかもしれないけど、歳を取るほど頑固になり、下手なプライドで身動きがとれなくなっていく」
「確かに、その通りです」
神妙な面持ちで頷くと、尊さんは微笑んでトントンと私の背中を叩いてきた。
「ま、あんまり気にしなくていいよ」
「……ん、はい」
その週末は金、土、日の三連休で、ミッションを終えた私たちは、残る休日をゆっくり過ごしたのだった。
**
あっという間に三月になり、このところ週末といえばイベントばかりだったので、三月頭の週末はゆっくり過ごした。
新商品も売り出しまで大詰めになっていて、今はテストマーケティングの段階に移行している。
商品をいつもテストマーケティングに協力してもらっているスーパーマーケットで試食させてもらい、消費者の反応を見てデータを集める。
その段階で改良部分を見極め、このままいくか調整するかを判断し、あまり評判が悪い場合は販売の中止や縮小となる事もある。
これをクリアすればプロモーションになり、CMの制作や雑誌やネット広告に出す画像の制作、体験イベントの企画に、インフルエンサー等に依頼しての拡散となる。
発売後は売れ行きや評判をリサーチし、評価や改善点をまとめて次に繋げていく。
そしてまた一から、次の商品開発に向けてニーズ調査をし、アイデア出し、コンセプトなどを考えていく。それがまとまったら、また試作品の開発だ。
作っていればいいだけじゃなく、営業が取引先に持っていくサンプルについて説明するため、商談に同行する事もあり、営業部とは割と接点がある。
加えて原材料の選定のために出張する事もあるし、オフィスで取引先に提出する仕様書や、商品の栄養計算、表示ラベルなどを制作するデスクワークもある。
その関係で、営業部には結構知り合いがいるんだけど、非常に厄介な人たちがいた。
「……すみません、こういうの迷惑です」
私は営業部のエース、六条さんに廊下に壁ドンされ、無の顔で言う。
「たまにはこういうのもいいんじゃない?」
短髪でスポーツマン風の彼は、長身の上、ずっと水泳をやっていて逆三角形の体をしている。
綾子さんたちも『六条さんは後ろ姿に色気がある』とメロメロになっていた。
土日祝日は町田さんは基本的に休みなので、私は夕ご飯をどうしようか考えていた。
でも篠宮家を訪れていた時から気になっていた事があり、尊さんに尋ねる事にした。
「あの、ちょっとまじめな話、いいですか?」
「ん? いいよ」
ソファの上に膝を抱えて座っていた私は、両手で持ったカフェオレをフウフウと冷まし、一口飲んでから尋ねる。
「篠宮家はお母さんの死の事で、速水家に何かお詫びをしましたか? 双方とも大きな会社ですし、こじれたら企業的に厄介かな……と。食品と音響となら、あまり結びつきはないかもですが」
「ああ……」
尊さんは頷き、ソファの上で胡座をかく。
「一応、ちゃんと侘びは入れたらしいんだが、正式には受け入れてもらえなかったそうだ。母は速水家の者ではない事にされているから、詫びても『うちにはそんな名前の娘はおりません』という反応だったそうだ」
「……そっか……」
問題は篠宮家という〝外〟だけでなく、速水家の〝内〟にもあった。
「その扱いを覆す事はできないんですか? 故人に対してあまりに……」
「俺もそう思うけど、決定したのは祖母だ。……母はピアノの才能があった。祖母は娘として大切にしていたのと同時に、ピアニストとしての夢も託していた。……それを裏切られて、どうしても許せないんだろう。母と妹が亡くなってから二十二年経ったが、ずっと意地を張り続けて引っ込みがつかなくなったんだろう」
カフェオレボウルを置いた私は、そっと尊さんの手を握る。
「……尊さんは本家に顔を出すつもりはないんですか?」
ずっと気になっていた事を尋ねると、彼は苦笑いする。
「俺もタイミングを見失ったな。母を亡くしてすぐなら、身寄りがないという事で速水家の門を叩けたかもしれない。でも親父が俺を引き取って、速水家は俺にノータッチを貫いたし、陰でちえり叔母さんとやり取りしていても、本家は何も言わなかった。……お互い、そのままだ。祖母が母にこじれた感情を抱いているのは知ってるが、二十二年経った今、向こうが俺をどう思っているか、まったく分からない」
「……難しいですね……」
小さく溜め息をつくと、尊さんは微笑んだ。
「人間同士、それも家族や親戚のこじれって、解決するのは難しい。血縁であっても、顔を合わせず一緒に暮らしていないなら他人も同然だ。……子供ならまだ柔軟に〝仲直り〟ができるかもしれないけど、歳を取るほど頑固になり、下手なプライドで身動きがとれなくなっていく」
「確かに、その通りです」
神妙な面持ちで頷くと、尊さんは微笑んでトントンと私の背中を叩いてきた。
「ま、あんまり気にしなくていいよ」
「……ん、はい」
その週末は金、土、日の三連休で、ミッションを終えた私たちは、残る休日をゆっくり過ごしたのだった。
**
あっという間に三月になり、このところ週末といえばイベントばかりだったので、三月頭の週末はゆっくり過ごした。
新商品も売り出しまで大詰めになっていて、今はテストマーケティングの段階に移行している。
商品をいつもテストマーケティングに協力してもらっているスーパーマーケットで試食させてもらい、消費者の反応を見てデータを集める。
その段階で改良部分を見極め、このままいくか調整するかを判断し、あまり評判が悪い場合は販売の中止や縮小となる事もある。
これをクリアすればプロモーションになり、CMの制作や雑誌やネット広告に出す画像の制作、体験イベントの企画に、インフルエンサー等に依頼しての拡散となる。
発売後は売れ行きや評判をリサーチし、評価や改善点をまとめて次に繋げていく。
そしてまた一から、次の商品開発に向けてニーズ調査をし、アイデア出し、コンセプトなどを考えていく。それがまとまったら、また試作品の開発だ。
作っていればいいだけじゃなく、営業が取引先に持っていくサンプルについて説明するため、商談に同行する事もあり、営業部とは割と接点がある。
加えて原材料の選定のために出張する事もあるし、オフィスで取引先に提出する仕様書や、商品の栄養計算、表示ラベルなどを制作するデスクワークもある。
その関係で、営業部には結構知り合いがいるんだけど、非常に厄介な人たちがいた。
「……すみません、こういうの迷惑です」
私は営業部のエース、六条さんに廊下に壁ドンされ、無の顔で言う。
「たまにはこういうのもいいんじゃない?」
短髪でスポーツマン風の彼は、長身の上、ずっと水泳をやっていて逆三角形の体をしている。
綾子さんたちも『六条さんは後ろ姿に色気がある』とメロメロになっていた。
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