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加速する絶望 編

狂気を孕んだ憎悪

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さえいなければ……っ! どうして私の夫なのよ! なんで他の男じゃ駄目だったの? 学生時代から付き合っていたなら、何をしても許されるの? 私が一生懸命子育てしている裏で、は夫と寝ていたんでしょう!?』

 怜香はあまりの怒りで、正気を失いかけているようだった。

 彼女が激しい目で睨んでいるのは、俺ではなく母だろう。

 俺はよく父に『お前はさゆりに似ているな』と言われていた。

 最初は似ていないと思っていたが、成長してから母の写真を見ると『目元が似ているかも』と思うようになってきた。

 昔、宮本にも言われた。

《速水くんは不思議な魅力があるよね。目力があるっていうか、見つめられていると変な気分になってくる。いつもは何とも思わないのに、見つめられてるうちに色気を感じて、誘惑されているように感じるんだ。だから、君を〝セクシーな男性〟と言う人の気持ちが分かるよ》

 それを裏付けるように、バーで飲んでいる時、まったくその気がないのに『誘ったでしょ』と逆ナンされる事もあった。

 見てくれや眼差しなんて、ただの遺伝だ。

 誘惑しようと思って人を見ている訳じゃないし、その気がないのに誤解されてうんざりしている。

(母が父を誘惑した? あり得ない。母はとてもまともな人だ。無責任な結果になると分かって、男を誘う人じゃない)

 なら、やっぱり父の責任だろう。

 あいつは母を想うあまり、自分の立場、環境を顧みる事ができなかった。

 母と結ばれなかったから、余計にかつての恋人に憧れ、理想化していたんだろう。

 だがどんな事情、想いがあっても、不幸な存在が生まれるのを予想できず、欲のまま行動したあいつはただの大馬鹿者だ。

 本当は怜香だって、すべての元凶が自分の夫にあると分かっているはずだ。

 だがプライドがあるから夫の間違いを受け入れられない。

 自分の夫が愚か者だと認めてしまえば、そんな奴と結婚した自分の選択が間違えていた事になる。

 だから、母やその子供を絶対悪にするしかなくなる。

 そうすれば自分は〝被害者〟〝正義の側〟でいられるもんな。

『浮気された』と言えば、誰もが怜香に同情し、慰めてくれるんだから。

(だからといって、自分のプライドを守るためなら、どんだけでも俺を悪者にしていいのかよ。理不尽だな)

 心の中で独白している間も、我を忘れた怜香は俺を罵倒し続けた。

『あんたは生きてるだけで罪なのよ! 芸能人だって不倫したら叩かれてるじゃない! あんたは犯罪者なのよ! 皆さんの前で土下座して謝罪して、刑務所に入って二度と顔を見せないで!』

 心の中は、無だ。

 俺は石像になった気持ちで怜香の言葉をやり過ごす。

『あんたなんかに人は愛せない! ただ自分の浅ましい欲を満たすために、人様のものをかすめとって優越感に浸っているだけなのよ! クズみたいな生き方ね! このゴミ!』

 そこまで言った時、エントランスのドアが開いてマンションの住人が入ってきた。

 ハッとした怜香は我に返り、興奮して呼吸を荒げたまま俺を睨む。

『あなたは一生、誰にも愛されないわ。幸せなんて感じてはいけないの。自分は罪にまみれた存在だと自覚して、一生慎ましやかに生きなさい。あなたには何もできない。誰かを喜ばせる事も、愛する事もできないし、求められる事もない。生きているだけの汚物だと自覚なさい』

 徹底的に俺を否定したあと、怜香は踵を返して去っていった。

 嵐のような女がいなくなったあと、俺はドサッとロビーのソファに座り込んだ。

『…………自分がろくでもない男だって事ぐらい、分かってるよ』

 慣れているはずなのに、こんなに否定されるとつらくなる。

『…………どうせ俺はクズだよ』

 俺は目を閉じると、朱里の人生をねじ曲げた自分の所業を思いだす。

(朱里は何も悪くないのにな。俺に目を付けられたばかりに……。本当なら自分の進みたい道を決めて、別の会社に入っているはずだった。自分の事をずっとストーキングしていた男が、上司になったなんてホラーだろ)

 彼女の事を想うと、色んな感情が溢れて泣きたくなってくる。

 好きで堪らない。

 抱きたいし、自分の女にしたい。

 ここまで大切に守ってきた分、責任を持って幸せにしたい。

 ――でも、朱里の意志を無視してるだろ。

 ――お前がやってる事は、ただ金を持ったストーカーの囲い込みだ。

 ――それでも……。

『…………朱里がほしい…………っ』

 たった一つ、俺の心の中で輝く綺麗な星。それが朱里だ。

 一人の男としてあの子を幸せにできたら、自分はクズじゃないと思える気がする。

 その時、中村さんの言葉が脳裏に蘇った。

《自分の孤独を慰めるために、朱里を利用しないでください》

 君の言う通りだ。俺は自分の孤独や、どうしようもない絶望でできた穴を埋めるため、朱里を愛したいと願っている。

 ――けど、ちゃんと愛すから。

 ――心の底から愛して、子供も大切にして、幸せな家庭を築くから。

 ――神様お願いだ。あの子を俺にください。

 気がつけば俺は、俯いて嗚咽していた。
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