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加速する絶望 編
蘇った〝あかり〟の記憶
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結局、朱里と中村さんは篠宮フーズに入る事になった。
中村さんは就職活動中に、うまく朱里を誘導してくれたみたいだ。
田村は普通に他の企業への就職となり、俺はうまくあいつから朱里を取り上げた気持ちになり、優越感に浸っていた。
……そんな自分が、あまりにクズで情けなくもなるが。
その間、俺は会社で順当に昇進して部長のポストに収まっていた。
二人が面接を受ける前、俺は人事部長に頼んで朱里の履歴書を見せてもらっていた。
「……上村朱里。一九九七年、…………十二月、……一日……うまれ……」
淡々と読み上げていくつもりだったのに、彼女の誕生日を目にした途端、目の前がグラッと揺れたような感覚に陥った。
今までも中村さんから朱里の誕生日の報告は聞いていたが、こうやって改めて顔写真と漢字で書かれた名前、生年月日というデータで見るのは初めてだった。
脳内で十一月のカレンダーが浮かび上がり、フワッと数字がはがれて空中に浮かび上がったような幻覚を見た気がした。
思いだしたくもない十一月三十日は、俺が母を喪った日だ。
あの時の事が脳裏に蘇りそうになり、酷い頭痛が襲ってきて俺はギュッと目を閉じた。
――あかり?
――十二月一日。…………十一月三十日に、あかりは……。
ズキンズキンと頭が痛み、俺は額に手を当ててその場にしゃがみこむ。
声を掛ける者がいないのは、使っていない会議室にいるからだ。
「…………あか、……り……?」
その名前を口にすると、涙が勝手にこみ上げてくる。
そして――――、脳裏に浮かんだのは四歳の妹だ。
《おにいちゃん!》
幼い声が耳の奥に蘇る。
『あぁ…………』
俺は激しい後悔と苦悩を思いだし、声を漏らした。
細めた目からは、ツゥッ……と涙が流れる。
――思いだした。
――どうして忘れていたんだろう。
俺は母と二人暮らしではなく、あのマンションには小さなあかりもいた。
小さな妹はとても可愛く、俺と母が弾くピアノを聴いてニコニコ笑う天使のような子だった。
将来はピアニストになると言って、俺と母の真似をしてよくピアノを弾いていた。
大好きだったのは『きらきら星』で――――。
《ド、ド、ソ、ソ、ラ、ラ、ソー……》
ある日の夕方の光景が蘇る。
台所からは母が料理をしている匂いが漂い、ピアノの椅子にあかりが座って、脚をブラブラさせながら、小さな手で鍵盤を追っていた。
俺はあかりと一緒に同じメロディーを弾きながら、学校の友達と些細な事で口論してしまった事を後悔していた。
そんな、どこにでもありそうな日常の光景が蘇る。
『…………あかり…………っ』
俺はもう二度と取り戻せない、平凡な、それでいて幸せな日々を思いだし、ボロボロと涙を零した。
『は……っ、は……っ』
混乱した俺は、荒くなる呼吸を必死に落ち着かせようとする。
――――脳裏に〝あの瞬間〟が蘇る。
耳障りな音を立ててタイヤがアスファルトを擦り、人々が悲鳴を上げる。――――そして、母と小さなあかりは――。
鈍い音がして、母はあかりもろとも思いきり飛ばされた。
物凄い勢いでアスファルトに叩きつけられ、――聞きたくない、鈍い音がした。
その上をさらに車が走って、二人を引きずり――――。
『ぁ…………、あぁ…………。――――あかり…………っ』
体が震え、止まってくれない。
――恐い。
――誰か助けてくれ。
そう思うのに、今の俺には縋り付く相手が誰一人としていない。
――助けてくれ! 朱里!
その時、俺の脳裏に浮かんだのは朱里だった。
運命の夜に遭遇した、俺と同じ痛みを抱える少女。
あの子が側にいたら、きっと心の支えになるのに――。
『う……っ、――うぅ、…………ぅ……っ』
俺は会議室の壁にもたれ掛かり、うずくまって嗚咽した。
二十八歳の部長にもなって、大の大人が会社で泣くなんて――。
いつも俺を冷笑するもう一人の自分の声は、今日ばかりは元気がなさそうだった。
落ち着いたあと、俺はもう一度〝朱里〟の履歴書を見た。
『……あいつ、誕生日が十二月一日なのか。……まるで……』
――あかりの魂が入って、俺に会いに来たみたいじゃないか。
そんな世迷い言を呑み込んだあと、しばらく履歴書に貼ってある写真を見つめた。
似てないし、別人だ。
『……偶然が重なっただけだ』
言い聞かせるが、心の中で様々な妄想が広がっていく。
(もしあかりが生きていたら、朱里と同い年だ。今頃こうやって就活に励んでいたかもしれない)
俺はほろ苦い感情と共に涙を流して微笑み、指で朱里の写真を撫でる。
『……なぁ、朱里。お前の命を救えて、本当に良かったよ。お前は俺の光だ。希望だ。……あの時お前は俺と繋がっていたいと言ってくれたのに、俺は突っぱねてしまった。大人ぶって〝自分の道を歩め〟と言ったくせに、お前に依存してしまう自分を怖れたんだ。…………でも結局、俺はいま…………』
絶望と悲しみにまみれた俺は、朱里の人生をねじ曲げ、自分のもとへ引き寄せてしまった。
『見守るだけだから。…………お願いだ』
呟いた俺は、うつろな笑みを浮かべ、写真の中の朱里に微笑みかけた。
**
中村さんは就職活動中に、うまく朱里を誘導してくれたみたいだ。
田村は普通に他の企業への就職となり、俺はうまくあいつから朱里を取り上げた気持ちになり、優越感に浸っていた。
……そんな自分が、あまりにクズで情けなくもなるが。
その間、俺は会社で順当に昇進して部長のポストに収まっていた。
二人が面接を受ける前、俺は人事部長に頼んで朱里の履歴書を見せてもらっていた。
「……上村朱里。一九九七年、…………十二月、……一日……うまれ……」
淡々と読み上げていくつもりだったのに、彼女の誕生日を目にした途端、目の前がグラッと揺れたような感覚に陥った。
今までも中村さんから朱里の誕生日の報告は聞いていたが、こうやって改めて顔写真と漢字で書かれた名前、生年月日というデータで見るのは初めてだった。
脳内で十一月のカレンダーが浮かび上がり、フワッと数字がはがれて空中に浮かび上がったような幻覚を見た気がした。
思いだしたくもない十一月三十日は、俺が母を喪った日だ。
あの時の事が脳裏に蘇りそうになり、酷い頭痛が襲ってきて俺はギュッと目を閉じた。
――あかり?
――十二月一日。…………十一月三十日に、あかりは……。
ズキンズキンと頭が痛み、俺は額に手を当ててその場にしゃがみこむ。
声を掛ける者がいないのは、使っていない会議室にいるからだ。
「…………あか、……り……?」
その名前を口にすると、涙が勝手にこみ上げてくる。
そして――――、脳裏に浮かんだのは四歳の妹だ。
《おにいちゃん!》
幼い声が耳の奥に蘇る。
『あぁ…………』
俺は激しい後悔と苦悩を思いだし、声を漏らした。
細めた目からは、ツゥッ……と涙が流れる。
――思いだした。
――どうして忘れていたんだろう。
俺は母と二人暮らしではなく、あのマンションには小さなあかりもいた。
小さな妹はとても可愛く、俺と母が弾くピアノを聴いてニコニコ笑う天使のような子だった。
将来はピアニストになると言って、俺と母の真似をしてよくピアノを弾いていた。
大好きだったのは『きらきら星』で――――。
《ド、ド、ソ、ソ、ラ、ラ、ソー……》
ある日の夕方の光景が蘇る。
台所からは母が料理をしている匂いが漂い、ピアノの椅子にあかりが座って、脚をブラブラさせながら、小さな手で鍵盤を追っていた。
俺はあかりと一緒に同じメロディーを弾きながら、学校の友達と些細な事で口論してしまった事を後悔していた。
そんな、どこにでもありそうな日常の光景が蘇る。
『…………あかり…………っ』
俺はもう二度と取り戻せない、平凡な、それでいて幸せな日々を思いだし、ボロボロと涙を零した。
『は……っ、は……っ』
混乱した俺は、荒くなる呼吸を必死に落ち着かせようとする。
――――脳裏に〝あの瞬間〟が蘇る。
耳障りな音を立ててタイヤがアスファルトを擦り、人々が悲鳴を上げる。――――そして、母と小さなあかりは――。
鈍い音がして、母はあかりもろとも思いきり飛ばされた。
物凄い勢いでアスファルトに叩きつけられ、――聞きたくない、鈍い音がした。
その上をさらに車が走って、二人を引きずり――――。
『ぁ…………、あぁ…………。――――あかり…………っ』
体が震え、止まってくれない。
――恐い。
――誰か助けてくれ。
そう思うのに、今の俺には縋り付く相手が誰一人としていない。
――助けてくれ! 朱里!
その時、俺の脳裏に浮かんだのは朱里だった。
運命の夜に遭遇した、俺と同じ痛みを抱える少女。
あの子が側にいたら、きっと心の支えになるのに――。
『う……っ、――うぅ、…………ぅ……っ』
俺は会議室の壁にもたれ掛かり、うずくまって嗚咽した。
二十八歳の部長にもなって、大の大人が会社で泣くなんて――。
いつも俺を冷笑するもう一人の自分の声は、今日ばかりは元気がなさそうだった。
落ち着いたあと、俺はもう一度〝朱里〟の履歴書を見た。
『……あいつ、誕生日が十二月一日なのか。……まるで……』
――あかりの魂が入って、俺に会いに来たみたいじゃないか。
そんな世迷い言を呑み込んだあと、しばらく履歴書に貼ってある写真を見つめた。
似てないし、別人だ。
『……偶然が重なっただけだ』
言い聞かせるが、心の中で様々な妄想が広がっていく。
(もしあかりが生きていたら、朱里と同い年だ。今頃こうやって就活に励んでいたかもしれない)
俺はほろ苦い感情と共に涙を流して微笑み、指で朱里の写真を撫でる。
『……なぁ、朱里。お前の命を救えて、本当に良かったよ。お前は俺の光だ。希望だ。……あの時お前は俺と繋がっていたいと言ってくれたのに、俺は突っぱねてしまった。大人ぶって〝自分の道を歩め〟と言ったくせに、お前に依存してしまう自分を怖れたんだ。…………でも結局、俺はいま…………』
絶望と悲しみにまみれた俺は、朱里の人生をねじ曲げ、自分のもとへ引き寄せてしまった。
『見守るだけだから。…………お願いだ』
呟いた俺は、うつろな笑みを浮かべ、写真の中の朱里に微笑みかけた。
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