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尊の過去 編

母方の叔母

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 柔らかくなった保冷剤が巻かれたタオルをどけてそちらを見ると、道路で声を掛けてきた女性がいる。彼女は和服から、洋服に着替えていた。

『……あなたは……』

 彼女の顔を見てやはり既視感を覚えるが、やはり誰に似ているのかピンとこない。

 女性はほっそりとしていて、柔和な顔立ちだ。

 ふわりとパーマの掛かった髪は、胸元まで伸びている。

 年齢は五十代半ばぐらいだろうが、肌には張りと艶があり、四十代と言っても通じる美しさがある。

 ――あ。母さんに似てるんだ。

 そう思った時、ハッとした。

『ちえり叔母さん?』

『あら、よく分かったわね』

 叔母がニコッと笑った瞬間、目の前に母がいるような気持ちに陥った。

 彼女――、東雲しののめちえりは、母の妹だ。

 母は三十三歳で亡くなったが、生きていればこんな雰囲気になっただろうか。

 そう思った途端、張り詰めていたものが一気に崩れ、涙を零してしまった。

『…………っ』

 ボロッと涙が零れ、俺はとっさに叔母に背を向ける。

『つらかったわね。……今、冷たい飲み物を持ってくるから、少し待っていて。洗面所は廊下を出た突き当たりにあるから、自由に使っていいわよ』

 叔母はそう言って立ちあがり、静かに部屋を出て廊下を歩いていった。

 彼女が言った『つらかったわね』が、何を指したのかは分からない。

 熱中症になった事なのか、それとも母の事だったのか。

 俺は母の葬儀をほぼ覚えていない。

 葬儀には出たが、茫然自失として目の前で行われた事を認識していなかったからだ。

 母方の誰が弔問してくれたのか、ちゃんと骨を拾えたのか、それすらも覚えていない。

(叔母さんとは、いつぶりになるんだ?)

 俺は考えながらも厚意に甘え、洗面所を使わせてもらい、ついでに顔を洗った。

 鏡には寝不足と栄養不足で、顔色が悪くなった男が映っている。

『……ひでぇな』

 俺は嘲笑気味に呟いたあと、ゆっくりとその場にしゃがみ込む。

 そして今に至る経緯を少しずつ思いだしていった。

 ――あぁ、そうか……。

 怜香への憎しみが胸の奥に蘇り、あまりの憎悪につらくなるほどだ。

 ――これからどうすればいいんだ。

 誰かに尋ねたいが、誰も応えてくれない。

『尊くん? まだ気分が悪いの?』

 と、戻ってきた叔母が声を掛けてきて、俺は『大丈夫です』と返事をして立ちあがった。

 彼女は手に盆を持っていて、その上に麦茶にレモネード、剥いた桃が載っていた。

『これ、どうぞ。麦茶には少しお塩が入っているわよ』

 客間に戻ると叔母はテーブルの上に盆を置き、俺に座るよう勧めてくる。

『……すみません、ありがとうございます』

 俺はノロノロと手を動かし、麦茶を飲んだ。

 濃い麦の味がし、久しぶりに味覚が働いたように思えた。

 そのあと桃にかぶりつくと、口内一杯にジュワリとみずみずしい甘さが広がる。

 とても美味いと感じた俺は、夢中になって桃を食べていった。

 叔母はそんな俺を温かな眼差しで見て、ポツポツと話し始める。

『姉さんは速水家から絶縁されたじゃない。母……あなたのお祖母さんも後悔していると思うんだけど、もう意地になってしまっているのよね。私は葬儀の時に亘さんとご挨拶をして、連絡先を交換した。定期的に会う関係ではないけれど、亘さんは時々メールであなたの写真を送ってくれたわ』

 父に写真を撮られた覚えはないので、きっと隠し撮りされていたのだろう。

 腹が立つ……というより、呆れて何も言えない。

『勿論、私は亘さんに一言では済まない感情を抱いている。あの人と出会わなかったら、姉さんは今も生きていたかもしれない。……とか、色々ね。……でも十分悲しんだあと、私たち大人が考えるべきは尊くんの未来だと思ったわ』

 叔母からすれば、父に穏やかではない感情を抱くのは仕方のない事だ。

 それでも子供のために……と、ネガティブな感情を脇に置いて、父と連絡をとっているこの人は芯の強い女性だと思った。

『……今の速水家では、姉さんの話はタブーになっているわね。でも時間が経ったし、本当はあなたを母や皆に会わせてあげたい』

『いえ、お気持ちだけで……』

 俺は微笑んで会釈をした。

『今、篠宮家ではどう過ごしているの?』

 叔母が顔を覗き込むようにして尋ね、俺は思わず目を逸らしてしまった。
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