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意識の淵
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「……う」
チラチラと火が揺れる明るさを感じ、フリッツが小さく呻いた。
体が熱くて気だるく、重たい体で寝返りを打とうとして、頭に鈍器で殴られたような酷い痛みを感じる。
「いって……ぇ」
思わず素の言葉で悪態をつき、目を開けて起き上がろうとしたフリッツの額に、ぎゅっと冷たい布が押し当てられた。
「起きない方がいいわよ。きっとまともに立てない」
冷たい布で視界を遮られた向こうから、若い女の声がする。
「俺は……」
「酷い熱があるし、怪我をしている。わからない? あなた、酷い雨の夜だっていうのに外で倒れていたわ」
「……君が助けてくれたの?」
「ええ、川まで行くついでにね」
「……ありがとう」
「いいえ」
声の調子をみる限り、サラリとした対応をするこの女性にフリッツは好感を持った。
今まで自分が接してきた女性は、フリッツが王子だという事を前提に彼の地位やルックス、剣の腕前や知識量などを賛辞してくる者が多く、その「褒め言葉」に辟易としてた所なのだ。
この姿が分からない彼女は恐らくフリッツの素性も何も知らず、ただ人としての親切心でこのように丁寧に介抱してくれている事を思うと、じわりと心が温かくなる。
「感謝ついでに……水をいいかな。喉が渇いて……ぁいてっ」
起き上がろうとしてまた酷い頭痛に見舞われ、フリッツが悲鳴を上げた。
「横になっていて。飲ませてあげる。あと、私はあなたが全快するまで看病するけれど、こちらからも条件があるわ」
そっと冷えた布の上から女性がフリッツの額を抑え、寝ているようにと指示する。
「条件……?」
「私の姿を見ないこと」
突きつけられた条件は、妙なものだった。
「どうして? 理由をきいてもいい?」
「私はね、『いない者』なの。だからあなたみたいな知らない人に、顔を覚えられると困るのよ」
女性の言葉を聞いてフリッツの頭に浮かんだのは、国境近くの密輸商だ。
「君は悪い事をしているの?」
彼女がもし悪事に手を染めている人間なら、今ここにいる自分の立場が悪くなるかもしれない。なので、フリッツはそういう風に言葉を少し濁し、冗談めかして訊ねた。
ぷっ、と噴きだす音がして、その後に彼女がクスクスと笑い出す。
「違うわ。ハッキリ言ってしまえば、私がこんな国境にいるのは私が混血だからなの。父と母は違う国の人間で、両親の立場上私の事を表沙汰にできないのね。だから小さい頃は国外れの村で乳母に育てられて、今は一人で逞しく生きてるわ」
彼女の気配が動いて小さく陶器の音がした。
「口を開けて。お水を飲ませてあげるから」
ぼんやりとする頭ではほとんど何も考えられず、フリッツは熱い息を吐きながら水を求めて乾いた唇を開く。
と、ひんやりとしていて細い指がフリッツの顎を支え、その次に彼の唇に柔らかいものが当たった。
その柔らかいものが何なのかという事に思い当たる前に口腔に水が入り込み、フリッツは必死になってそれを嚥下する。
ごくっという音と共に喉仏が上下し、ずっと求めていた潤いを得た舌が更なる潤いを求めてしまう。
「もっと……」
フリッツの大きな手が手探りに見えない彼女のシルエットを探し、手に触れた柔らかい二の腕を掴んだ。
「待って、仰向けになってるんだから急いで飲んだら咳き込んでしまうわ」
急に女性の腕を掴んでしまうなど、普段の紳士たるフリッツには有り得なかった。けれども、今は熱に浮かされた頭の中で彼は必死になって水分を求めている。
そんなフリッツの失礼な態度も、彼女はレディとして注意する事はなかった。
ひんやりとした手が優しく宥めるようにフリッツの頬を撫で、力んでいたフリッツの肩が少し下がると二回目の唇が与えられる。
「ん、……んっ」
ごくっ、ごくっとフリッツの喉が鳴り、そのあと何度も彼女の唇を求めてから、やっとフリッツの乾きは満たされた。
「あり……がとう」
「いいえ」
変わらない優しい声が聞こえて、彼女が布でフリッツの口端から零れた水を拭ってくれる。
「この天気の荒れはまだ続くみたい。私は側にいるからゆっくり休んでいて」
彼女が椅子を引いてベッド脇に座る気配がし、フリッツはガンガンと痛む頭で朦朧としながら、幼子が母親を求めるように布団の隙間から手を出した。
「……手を握っていてあげるから、さぁ、寝て」
その聴いていて心地いい声に誘われるようにして、フリッツは意識の闇に落ちていった。
チラチラと火が揺れる明るさを感じ、フリッツが小さく呻いた。
体が熱くて気だるく、重たい体で寝返りを打とうとして、頭に鈍器で殴られたような酷い痛みを感じる。
「いって……ぇ」
思わず素の言葉で悪態をつき、目を開けて起き上がろうとしたフリッツの額に、ぎゅっと冷たい布が押し当てられた。
「起きない方がいいわよ。きっとまともに立てない」
冷たい布で視界を遮られた向こうから、若い女の声がする。
「俺は……」
「酷い熱があるし、怪我をしている。わからない? あなた、酷い雨の夜だっていうのに外で倒れていたわ」
「……君が助けてくれたの?」
「ええ、川まで行くついでにね」
「……ありがとう」
「いいえ」
声の調子をみる限り、サラリとした対応をするこの女性にフリッツは好感を持った。
今まで自分が接してきた女性は、フリッツが王子だという事を前提に彼の地位やルックス、剣の腕前や知識量などを賛辞してくる者が多く、その「褒め言葉」に辟易としてた所なのだ。
この姿が分からない彼女は恐らくフリッツの素性も何も知らず、ただ人としての親切心でこのように丁寧に介抱してくれている事を思うと、じわりと心が温かくなる。
「感謝ついでに……水をいいかな。喉が渇いて……ぁいてっ」
起き上がろうとしてまた酷い頭痛に見舞われ、フリッツが悲鳴を上げた。
「横になっていて。飲ませてあげる。あと、私はあなたが全快するまで看病するけれど、こちらからも条件があるわ」
そっと冷えた布の上から女性がフリッツの額を抑え、寝ているようにと指示する。
「条件……?」
「私の姿を見ないこと」
突きつけられた条件は、妙なものだった。
「どうして? 理由をきいてもいい?」
「私はね、『いない者』なの。だからあなたみたいな知らない人に、顔を覚えられると困るのよ」
女性の言葉を聞いてフリッツの頭に浮かんだのは、国境近くの密輸商だ。
「君は悪い事をしているの?」
彼女がもし悪事に手を染めている人間なら、今ここにいる自分の立場が悪くなるかもしれない。なので、フリッツはそういう風に言葉を少し濁し、冗談めかして訊ねた。
ぷっ、と噴きだす音がして、その後に彼女がクスクスと笑い出す。
「違うわ。ハッキリ言ってしまえば、私がこんな国境にいるのは私が混血だからなの。父と母は違う国の人間で、両親の立場上私の事を表沙汰にできないのね。だから小さい頃は国外れの村で乳母に育てられて、今は一人で逞しく生きてるわ」
彼女の気配が動いて小さく陶器の音がした。
「口を開けて。お水を飲ませてあげるから」
ぼんやりとする頭ではほとんど何も考えられず、フリッツは熱い息を吐きながら水を求めて乾いた唇を開く。
と、ひんやりとしていて細い指がフリッツの顎を支え、その次に彼の唇に柔らかいものが当たった。
その柔らかいものが何なのかという事に思い当たる前に口腔に水が入り込み、フリッツは必死になってそれを嚥下する。
ごくっという音と共に喉仏が上下し、ずっと求めていた潤いを得た舌が更なる潤いを求めてしまう。
「もっと……」
フリッツの大きな手が手探りに見えない彼女のシルエットを探し、手に触れた柔らかい二の腕を掴んだ。
「待って、仰向けになってるんだから急いで飲んだら咳き込んでしまうわ」
急に女性の腕を掴んでしまうなど、普段の紳士たるフリッツには有り得なかった。けれども、今は熱に浮かされた頭の中で彼は必死になって水分を求めている。
そんなフリッツの失礼な態度も、彼女はレディとして注意する事はなかった。
ひんやりとした手が優しく宥めるようにフリッツの頬を撫で、力んでいたフリッツの肩が少し下がると二回目の唇が与えられる。
「ん、……んっ」
ごくっ、ごくっとフリッツの喉が鳴り、そのあと何度も彼女の唇を求めてから、やっとフリッツの乾きは満たされた。
「あり……がとう」
「いいえ」
変わらない優しい声が聞こえて、彼女が布でフリッツの口端から零れた水を拭ってくれる。
「この天気の荒れはまだ続くみたい。私は側にいるからゆっくり休んでいて」
彼女が椅子を引いてベッド脇に座る気配がし、フリッツはガンガンと痛む頭で朦朧としながら、幼子が母親を求めるように布団の隙間から手を出した。
「……手を握っていてあげるから、さぁ、寝て」
その聴いていて心地いい声に誘われるようにして、フリッツは意識の闇に落ちていった。
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