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君を落としてみせる

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 ディアルトは片手に持ったバラを、所在なさげにユラユラ動かしている。芝生の上に真っ直ぐ通った石畳に、二人分の影が長く伸びていた。
 空の向こうにはこれから巣に帰るのか、鳥たちが飛んで行くシルエットが見える。

「私は護衛であり、それ以上にも以下にもなるつもりはございません」

 月の離宮前に立っている衛兵が、二人の姿を目視して居住まいを正す。

「リリアンナ。ひとまずこのバラを受け取ってもらえないだろうか? 受け取ったからと言って、俺の気持ちに応えてくれたとか早合点はしないから。ただ単に、告白のために用意したバラの行き場がなくて困っている」

 月の離宮の前まで来て、ディアルトはまたリリアンナにバラを差し出した。
 彼女はじっとバラを見つめた後、小さく息をついて頷く。

「……いいでしょう。私の部屋に飾っておきます。たしか一輪挿しがあったはずですから」
「ありがとう」

 想いを伝える赤いバラは、やっと想い人の手に収まった。

「しかし……、急になぜ?」

 綺麗に花びらを巻いたバラはまだ蕾が綻んだぐらいだ。
 ご丁寧にそのバラは、リリアンナの好みの形をしていた。レディたちが「愛らしい」と好む丸弁でなく、輪郭がツンと尖った剣弁高芯咲きのものだ。
 その心遣いに、リリアンナの心の奥がホッ……と温かくなる。

「さっきも言った通り、今の時勢いつ何があるか分からない。その前に、君への愛を叫んでおこうと思ったんだ」
「……よく私の好みが分かりましたね?」

「花の離宮にあるバラを見ればすぐ分かるさ。他に植えてある花々の趣味から、見当をつけた。君が丸っこく可愛らしい物をそれほど好まないのは、感覚的に分かっている」
「……なるほど。殿下の洞察力には脱帽です」

「あれ? 君、半分バカにしてる? 君のことならいつも見てるじゃないか」
「さぁ、もう夕食の匂いがしていますよ」

 ディアルトの言葉を無視して手でスッと離宮を示すと、彼はあからさまに詰まらなさそうな顔をした。
 だがすぐに顔を上げ、妙に確信を得た目でリリアンナに微笑みかける。

「俺はこれから、合計一四〇四本のバラで、君を落としてみせる」

(……まったくこの人は……)

 途方もない宣言にリリアンナは呆れ果て、何も言えない。しかし夕焼けを背景に不敵に笑うディアルトの表情が、やけに心の奥に焼き付いた。
 この時、彼がとんでもない覚悟をしていたと知るのは、また後のことになる。

「……じゃあ、リリアンナ。いつもの命令だ」

 一日に一回、ディアルトはリリアンナに〝ある命令〟をしていた。
 彼女が身辺警護になってからすぐに始まり、もう日常の中に紛れている命令だ。

「……どうぞ」

 リリアンナは目を瞑り、少し上を向いた。
 トクン、トクン……と胸が高鳴る。

 毎日〝これ〟をしなければいけない時は、いつも緊張する。騎士たちと模擬戦をする直前より体が強張り、煩く鳴る鼓動を落ち着かせるのが大変だ。
 ディアルトの手がリリアンナの前髪を撫で、頬に滑り頤にかかる。
 そしてリリアンナの顔を少し上向け、彼の気配が近付いた。
 ――ふ、と柔らかなものが唇に押しつけられる。

(あぁ……)

 何だかんだディアルトに塩対応をしておきながら、リリアンナはこの口づけを毎日心待ちにしている自分を自覚していた。
 風が吹き、ディアルトの涼やかな体臭がリリアンナの鼻腔に入る。
 うっとりと目を閉じてディアルトの唇の柔らかさに身を任せていると、やがて彼が顔を離した。

「……ありがとう」

 柔らかな唇が離れ、互いの唇から少し湿った吐息が漏れる。

「どうぞごゆっくりお休みください。素敵なバラをありがとうございました」

 高鳴る鼓動を必死に落ち着かせ、リリアンナは義務的にお辞儀をした。
 ディアルトの手がとリリアンナの頬から顎を撫で、惜しむように手が下りていく。

「おやすみ。リリアンナ」

 ディアルトは〝これ〟をしたら、グズグズ言わずに離宮に入る事を約束している。
 彼は離宮の中に入ってゆき、リリアンナも衛兵に一礼してから自分の花の離宮へ歩いていった。

(……まだ体が熱いわ。何年も続いている挨拶なのに、全然慣れない。むしろ近年になってどんどん殿下を意識してきた気がする)

 それでもリリアンナは、頬に手を当てて自身の熱を確かめるような真似はしない。
 バラを顔の前にかざし、スッと香りを吸い込んだ。

「……いい香り」

 美しい色のバラからは、花の女王と呼ばれる誇り高い匂いがする。
 そして王子の前ではニコリともしなかったリリアンナは、微かに笑みを零すのだった。
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