伝統民芸彼女

臣桜

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あるじとして1

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「残念だったな」と慰めたい気持ちはあるが、そんなことをすれば手負いのヒグマに近付くようなもんだ。そっとしておくに限る。
 藤紫は本領発揮できるように俺の側にいて、槐は七海の側にいてくれている。無理しなくていいのに、と思うが、槐もああ見えて面倒見が良さそうなのは察してきた。ギンはすぐにでも刀の姿になれるよう、俺の側にいてくれている。
 買った切符を七海に渡すと、「十三分の快速あるみたい」と七海は時刻を見てくれていた。よし、快速なら十七時半ぐらいには帰れるな。
 槐は目が笑っていないまま満面の笑みを浮かべ、手でケガレたちを「しっしっ」としている。最近教えてもらったことだが、ニポポである槐は物凄い幸運をもたらすらしい。なので、その庇護があるなかフラれた七海の不運は、相当のものなんだろう。
 改札をくぐりながら、槐と一緒にいたら宝くじでも当たるのかな? と不謹慎なことを考え、ホームへ上がる。
 ケガレたちはハーメルンの笛吹きのネズミようにゾロゾロとついて来て、ホームに溢れかえって中には線路部分に落ちる奴もいた。
 うう……、ホントに事故とかないといいけど。汽車の事故なんてエグくてシャレになんない。
 今のうちに少しはこの夥しい数のケガレたちを祓えれば……と思うものの、札幌駅のホームで立ち回るのは恥ずかしい。そんなこと言ってる場合じゃないのかもしれないが、どうしても先にそういうことを考えてしまう。
 列に並んだ七海と彩乃が話しているのを目の前に、俺はとにかく無事に家に戻れるよう祈っていた。家に帰ってからなら、どれだけだって立ち回ってやる。
 そうしているうちに快速が着いて、降りる客と乗る客とで混雑しつつも何とか汽車に乗り込むことができた。
 三人して空いた空間に立っていると汽車は動き出し、ただ普通にJRに乗っているだけだというのに、俺は異様に手汗を掻いていた。
「あらぁ、拓也はん緊張してはるの? えらい汗やね」
「やだなぁ。拓也、こんな美女と手繋いでんのに、手汗掻いてんのか。きったねぇ」
「良い良い。年頃の男というものは、美女と手を繋げばこうなる」
 違います!
 口々に好き勝手言う三人に思いっきりツッコミたいが、汽車の中なのでぐっと我慢する。
 琴似での乗り降りが終わり、後は手稲まで……という時だった。
 ふと、七海の周りに群がっていたケガレたちが、前の車両へとザワザワと移動しだす。
 何だコレ?
「拓也、追いかけろ。これは危ねぇぞ」
 俺のTシャツの裾をツンと引っ張った槐は、これ以上ないぐらいに笑っている。
「でも……」
 つい口に出してしまうと、七海たちに変な顔をされたが槐の目は笑ってない。
「お前の姉ちゃん、死んじまいたいってぐらい落ち込んでる。穢れたちはそれに反応したんだ。この汽車が危ねぇかもしんねぇぞ」
「え? え?」
「拓也、あんた何キョドッてんの? キモいからやめてよ」
 七海が顔をしかめて言い、その表情はいつも通りすぎて死にたいと思ってるとは思えない。
「のう、拓也。死というものは表裏一体の硬貨ではない。同線上にある、いつでも起こり得る出来事じゃ。ここで恥ずかしさや日常に慣れた感覚で見過ごせば――、大勢の命すらも危ういかもしれんぞ」
 いつもは余裕たっぷりのギンも、真剣な顔をしていた。
「分かったよ」
 心を決めて俺は七海たちに「ちょっと行ってくる」と一声かけて、車両の連結部分を通り前の車両へと移動してゆく。その間にもケガレたちはワラワラと前へ前へと移動し、途中の車両では乗客の足元に落ち着いている奴もいた。
(くそっ……)
「ギン、頼む」
 口元だけでそう呟くと、傍らで「おうよ」と応える声がして、手には日本刀が現れていた。
 槐は一番先頭をきってスイスイ進み、小さな手をパタパタと払ってケガレたちを追い払いながら進んでゆく。
 もちろん、いい匂いのする槐と藤紫の着物の裾に齧りつく奴もいて、二人は時折り着物の袖を振り払っている。
「拓也はん、わて信じてますさかい」
 左隣からは藤の香りがし、ケガレの洪水の中を進む俺の周りは、藤の香りを嫌ってケガレたちが逃げてゆく。
 彼女たち自身の「いい匂い」と、藤紫のこの香りは別物らしい。
 先頭車両に向けて歩いてゆく俺に注目する人は、思っていたよりもいなかった。みんな手元のスマホに集中していたり、本を読んだりしている。何もせずボーッと目の前の空間を見ていた人だけが、チラッと俺を目で追った感じだったが、特に気にしていた感じではない。
 進めば進むほど、ケガレたちの数は多くなって、死神に出くわした時のあの腐臭ほどでもないが、「なんか嫌な臭い」が充満している。
「いい匂い」なのは彼女たちの主である俺も同じらしく、藤紫の香りにも負けずに果敢に足に纏わりついてくるケガレもいた。
 二両目から一両目への連結部分を通り、俺は思わず「あっ……」と小さな声を上げてしまった。
 運転室前にケガレが真っ黒な壁に見えるほど群れてたかり、一両目のケガレの量は尋常ではない。
 乗客の様子を見れば、機嫌が悪そうにスマホを操作している人がいたり、おしゃべりをしている若者を迷惑そうに見ている人もいる。おしゃべりをしている人たちの会話内容も、少し聞き耳を立てると攻撃的なものだった。
 まずいぞ、これは。
 ケガレまみれの空間を睨み、俺はそっとギンで空間を薙ぎ払う。「キィィッ!」とケガレが悲鳴を上げながら消えてゆく。それでも運転室の前にはべっとりとコールタールの壁のようにケガレが沢山貼り付いている。
 これを何とかしないと駄目なんだ。
 尚もギンを振るおうとしつつも、やっぱり汽車一両もの人がいる空間でのモーションは、ためらわせるものがある。
 唇を噛んでじっと前を睨んでいる俺の腕を、藤紫がトントンと指でつついた。
「拓也はん、これはちょっと禁じ手やけど……。この状況で拓也はんが思い切りできひんなら、わてがちょっと力貸そか」
「え?」
「禁じ手」という言葉に少しドキッとすると、藤紫はしっとりとした黒い瞳で笑ってみせる。
「わての香りで、香りが届く範囲の人間たちを眠らせるっちゅうか……ぼんやりさせる事ができるのや。認識阻害って奴やね。わんちゃんの時は、空間が狭くて人を深く眠らせたらあかん思って言わへんかったけど、今この広さならええ塩梅にできると思うえ」
 そんな事もできたのか……。
 確かにハヤテの時に藤紫のこの能力を知っていたら、「恥ずかしいから認識阻害をしてくれ」って頼んでいたかもしれない。けどきっと、そういう独りよがりな思いのための能力じゃないんだ。
 平凡を絵にかいたような俺に、槐たちの存在は隕石が降って来たような出来事だ。彼女たちが現れてから、続いた死に悲しむ暇もなく毎日がジェットコースターのように過ぎている。
 そんななかでも、俺は非日常に浮かれるんじゃなくて、ちゃんと「祓い屋」として役目を果たさないとならない。
 今までは俺のまったく知らない場所で、未知の力を持った人が暗躍し、一見当たり前の日常のようでいてかけがえのない平和が守られていた。
 俺がひい婆ちゃんの後継者として選ばれた今、俺が頑張らないで誰が頑張るんだ。守れるのなら、何かを守りたい。
 きっとそれは、『覚悟』なんだ。
「藤紫、頼むよ」
「へぇ」
 呟いた俺を座席から見上げる人もいたが、俺は運転室に向かって真っすぐに立ち、睨むように前を見つめている。
「ほな、いきますえ」
 藤紫の声と同時に藤の香りが強くなったかと思うと、天井から藤の房が一面に垂れさがった幻想が生まれた。
 乗客たちはその香りに気が付いたのか、スンと花を鳴らして顔を上げたり、驚いたような顔をして天井を見上げている人もいる。
 一般の人にも藤紫がその気になったら、彼女の力が分かるんだなと思っていると、俺の手を繋いだままの藤紫が歌い出した。耳に良く慣れた、ドヴォルザークの「家路」だ。あれの日本語の歌詞を藤紫が歌い、ゆらり、ゆらりと揺りかごを揺らすような美しい歌声に、乗客たちは次第に舟をこぎ始めた。
 一分もしないうちに、一両目にいる乗客はみんな仲良くもたれ掛かって寝てしまい、俺は覚悟を決めて両手でギンを構え直した。
 目の前ではケガレの塊がモコモコと蠢き、小さなケガレが集まって一つの大きな集合体になろうとしていた。
「なんだアレ……」
「拓也、気を付けろ。穢れが集まると、たまにああいうことになる。死神がいねぇから槐たちはこないだよりマシに動ける。槐たちは目一杯力貸すけど、それを十二分に引き出せるかどうかは拓也次第だからな」
「分かってる!」
 目の前の槐は、ケガレに着物を食べられて端がボロボロになっていた。無事に家に帰ったら、また手入れしてあげないと。
 槐はおもむろに脚の伸縮を繰り返すような動きをしだすと、歌いながら踊り出した。
「アトゥイ、ソー、カー、ターァ、イー、カイヤー、オー、カイヤー、オー、カイ、クマラン、ケー」
 槐は少女特有の高く細い声で歌いながら、膝を上下させて舟をこぐようなモーションで踊る。
「拓也、あれはアトゥイソじゃ。漁の無事を祈る踊りじゃが、槐はいつも絹に勝利祈願のために踊っておった」
 身長が百五十もない槐が踊る姿は傍から見れば可愛らしいだろうに、俺はその小さな姿から俺に対する信頼が見えて、グッと目の奥が熱くなってしまった。
 ハヤテの時はまだ俺の事を信頼しきっていなかった槐が、全力で力を貸そうとしてくれている。それに俺は応えないとならないんだ。
 そして槐の歌声と力強い踊りに、体が熱くなってなんだかエネルギーのようなものがモリモリと沸いてくるのを感じる。
「行くぞ! ギン!」
「応よ!」
 剣術なんてやったことはない。
 ただ両手でギンの柄をしっかり握りしめ、大きな塊になろうとしているケガレに斬りかかった。
「ギィィッ! ギェェェッ!」
 ケガレたちの断末魔の悲鳴を聞きながら、俺はギンの切っ先から俺の全身までもが、一気に物凄い疲労感に襲われるのを感じる。ジワッとギンの刀身が少し曇り、それを見て焦りも感じた。
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