伝統民芸彼女

臣桜

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曾祖母の椅子

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 それから一週間が過ぎようとして、七海は週末に彩乃と映画を見に行くと言っていた。
 俺はいつもの生活に戻り、ひい婆ちゃんの骨箱と位牌に手を合わせる。その後ろで槐たちが不思議そうな顔をしているのは、やっぱり人と九十九神の差なんだろうな。
「どうして絹の抜け殻に祈りを捧げるんだ」と槐に一度訊かれた事がある。それに遺骨だからという事を説明すると、槐は不思議そうな顔をしたまま「そうか」と一言返事をしただけだった。
「最近、うちの中のケガレは落ち着いてきた感じだね」
 例によって俺は自分の部屋にいるよりもひい婆ちゃんの部屋に居ついていて、彼女たちと話す生活を送っている。
「まぁ……見た目にはそうじゃがの」
 相変わらずギンは清廉な滝のような髪を陽に光らせ、その白い着物も相まってとても神聖な存在のように見える。
「何か嫌な気配でもあるの?」
 ギンの言い方に少し不安を感じた俺は、胡坐を掻いた背中を丸めるように彼女を覗き込む。それに答えたのは槐だった。
「ここら辺の穢れがざわついてる。町全体は静かだけど、嵐の前の静けさっていうか……なんか嫌な感じだ」
 真っ直ぐな目を天井の向こうの空に向け、槐の目はこの場所ではないどこかを見ているようだ。
 サラリとした黒髪のおかっぱの横顔は、十二、三の少女とは思えない大人びた雰囲気を醸し出している。本当に槐は、あの絶対零度の視線と口を開かなければ、美少女だよなぁ。
 チラッと彼女を見て、槐がこっちを見る前に俺はサッと視線を逸らした。
「そうやね……。ここんとこ町の方から嫌な臭いがするわぁ」
 藤紫もまるで空の匂いを嗅ぐように目蓋を閉じ、意識を広範囲に飛ばすように何かを窺っているようだ。
 正座をして天井を仰いだその姿は、正直ギンよりも槐よりも美しくて「妖艶」という言葉がぴったりだ。時代劇とかのかつらを見ると、ピッタリと整えられた日本髪にあまり色気は感じないけど、藤紫は全部の髪が地毛だからか所々が優しくほつれたりしていて、日本髪なのに凄く色気がある。
 睫毛長いなぁ……と思って藤紫をじっと見ていると、ふとこっちを向いた藤紫とバッチリ目が合って俺は心臓が飛び出るかと思った。
「なぁに? 拓也はん。何やわてのこと見てはった?」
 嬉しそうに黒い目を細めさせてこちらに迫ってくる藤紫は、ギンの次に好奇心が強い。それに色気がプラスされるもんだから、こうやって迫られると俺はいつもドキドキしてしまう。
「な、何でもないよ。そうやってると何か町の気配が分かるのかな? って」
 ふぅ、上手くごまかした。
「拓也はまだ分かんねぇのか。まだ目に見える穢れだけなんだな。早く穢れの気配にも気づくようになれ」
 槐さん、藤紫を見ていた事は突っ込まないものの、俺へのステップアップ要求は結構スパルタだ。
「そんな事言われても……、んー……、感じないものは感じないしなぁ」
 彼女たちと同じように目を閉じてみても、特別ケガレたちの気配を感じたり、町がザワザワしてるとかは分からない。
「まだ拓也は成長途中じゃからの。そのうち……じゃ。焦る事はあるまい」
「けど、用心してた方がええのかもね。わてらは基本おうちにいてるさかい、お家の安全は守れると思う。けどな、拓也はんの姉はんみたいに、小さな穢れが出かけた先で他の穢れを呼んで事故を呼び寄せる事もあるのや」
「そう……だね」
 でも出かける家族の行き先それぞれについて行くなんて不可能だし、どうしたらいいのやら。
「こういう時、ひい婆ちゃんはどうしてたの?」
「絹はもっと大勢の九十九神を従えていたからな。例えば今回の怪我にしても、薬研がおれば多少の怪我の回復ができる。他にももっと沢山の九十九神と能力があるんだ。けど今の拓也にはその全部を従えるのは無理かもしんねぇし、まだほとんどの仲間は絹が死んだショックで眠ってる」
「そう……だよなぁ。もっと沢山の能力があったとしても、主になったばかりの俺が未熟なんだよなぁ」
 しみじみと自分の力不足を噛みしめると、ギンが部屋の隅にある古い椅子を見て、彼女らしくなくぼやいた。
「せめてワインレッドが起きておればの。色んな所を見ることだけでもできるんじゃが」
「ワインレッド?」
 色の名前だけど、今の口ぶりからすれば九十九神の名前なんだろう。彼女が見ている椅子はひい婆ちゃんが愛用している椅子で、古いのと陽に当たったりしたので、なかなかいい色になっている。
「西洋の古い椅子でな、蒸気で木を曲げて作られる、由緒あるアンティークの椅子じゃ」
「へぇ……、アンティークなのか。この椅子」
 物心ついた時からここにある椅子が、そんな歴史のある物だとは思わなかった。何だかひい婆ちゃんは「外国の知り合いが送ってくれたんだよ」と言っていた。
「で、そのワインレッドって子……人? はどんな能力があるんだ?」
「ワインレッドはんはな、座った主が望む場所を見せてくれるのや。お絹はんも、よぉここに座って目ぇ閉じてはった」
「それは……凄い能力だね。どこでも見る事ができるの?」
「やだ、拓也ったら女子便所でも想像してんのか。気持ち悪ぃ」
「違います! 槐さん!」
 相変わらずな槐のツッコミに俺は土下座をするポーズでダウンし、はぁ、と溜息をついてから顔を上げる。目の前では藤紫とギンが笑っていた。くそ……。
「今のは冗談だ。……半分本気だけどな。絹はもう焼けちまった昔の景色とか、死んじまった友達を見てたみてぇだ。人は生きる時間が早いもんな」
「そうか……」
 立ち上がって古いシンプルな椅子を見てみて、そっと背もたれの湾曲したカーブを撫でてみる。ホント、見た目普通の古い椅子なんだけどな。
「おや拓也。あまり寝てる女子を撫で回すでない。ワインレッドは気位の高い女子じゃから、起きた時には酷い目に遭うぞ」
「えっ?」
 ビクッとして手を引くと、三人はしたり顔で俺を見ている。……なんだ、感じ悪いな。
 少し俺を見てニヤニヤしてから、藤紫がそっと椅子に触れて微笑んだ。
「そやけど、眠ってはる九十九神を無理に起こすこともできやしまへん。ワインレッドはんが目覚めるまでそっとしたげまひょ」
「当面の問題は……俺の目の届かない場所で家族にケガレが悪さをしないか、だよな」
 本当は自分の家族だけじゃなくて、手の届く他の人たちも助けなきゃいけない。でも七海がああやって危ない目に遭ったのなら、まずは自分の家族を……と思ってしまう。
「はぁ……、何もないのが一番なんだけどな」
「拓也の言うことは正論だけど、毎日何かあるのが人生なんだべ。槐たちのことを見られるようになったのは、拓也にとって災難だったかもしんねぇが、そろそろ腹くくれ」
「災難だとは思ってないけど……、そうだね、見えるようになっちゃったのは仕方ないし、自分でできることを探していかないと」
 決意を固めるように畳の縁を見る俺を、三人が微笑みながら見ていたのは知らない。
 と、ギンが俺に声をかけてきた。
「じゃがの、拓也。あまりわしらのことを中心に考えずとも良いぞ。お主の本業はあくまで学生じゃ。わしが今日見てきた通り、学生というものは忙しい。てすとやらがあるから勉強せねばならぬし、友人同士の交流も学生のうちに沢山しておくといいじゃろう。友は一生の宝じゃからの。じゃから学校では勉学に打ち込み、帰っても必要以上にわしらに構わず、まずは己のすべき勉学を大切にせよ。その空いた時間にケガレやわしらのことについて考えれば良い」
 ギンの言うことはありがたい。でも、いいんだろうか?
「うん……。けど、俺は仮にもひい婆ちゃんの後継者なんだよね? 二番手にしちゃってもいいんだろうか?」
 そう言って俺が気にするのは槐だ。彼女はこの三人の中で一番ひい婆ちゃんのお役目のこととかを気にしていたし、もっと俺に後継者らしいことを求めてるんじゃないだろうか?
 そんな思いのこもった俺の視線を受け止め、槐は少し黙っていた。
 が、俺を真っすぐ見て返事をする。
「まぁ、ギンの言う通りだな。絹が祓い屋に本腰を入れたのも、自分の身の回りが落ち着いてからだ。拓也はまだ子供だから自分の本業を大事にしないとなんねぇな」
 その口ぶりはまるでずっと年上の姉か、もしくは母親のようだ。
 上からなのは変わらないけど、俺のことを思ってくれてるのが分かるから嫌な感じはしない。厳しいけど、その奥に優しさがあるような声だ。
「うん、ありがとう。俺もゆくゆくは農家継ぐって思ってても、その前に農家やるのに役に立つ勉強とかしたいと思ってるし」
「その合間に、学生らしい青春するのもええねぇ」
 藤紫はまるでごく甘の母親か姉のようだ。で、ギンはちょっと父親みたいな面もある感じで。
 こうやって考えると、彼女たちは九十九神とか美少女、美女って思うよりも、家族に近い存在なんだなと思う。ひい婆ちゃんとずっとパートナーだったから、肉親を知っているっていう意味では、親戚のお姉さんっていうか……。
「俺あんまり器用な方じゃないけど、両立できるように努力してみるよ」
 そう結論を出し、例のワインレッドさんは起きる気配もないので、それから俺は部屋に戻って宿題をこなすことにした。忌引きで休んでいた間、プリントとかが結構出ていたみたいだから、遅れて提出しにゃいかん。

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