伝統民芸彼女

臣桜

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イミ

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「ただいま」
 何となくそう言って襖を開けると、槐が窓から外を見ていて、他の二人は壁から頭だけ出して外を見ていた。怖ぇえよ!
「何してんの?」
 三人が何だか夢中になって外を見てるから、俺も気になって窓から外を見てみた。
 ひい婆ちゃんの部屋の外って、庭とハヤテの小屋しかないんだけどなぁ。
 槐に触ったら何か言われそうだから、俺はなるべく槐に触らないようにして窓から外を見て、そこにまた見慣れない人影を見つけた。
 雰囲気は槐たちと同じような感じで、何だろう……女の子の格好って分からないけど、ゴスロリっていうのとちょっと似た、でも着物っぽいテイストもある服を着てる。
 胸元ぐらいまでの黒い髪はサラサラで、そこに赤い――多分あれ、北海道にはないけど彼岸花っていう奴だと思う。それの簪? 髪飾りをしている。
「今度は何ていう人だろ? 俺、ちょっと声掛けてくるよ」
 そう言って俺はちょっとウキウキしてひい婆ちゃんの部屋を出て、玄関で健康サンダルをつっかけて外に出た。
 肌が夏の日差しを受けて暑さを感じ、俺はハーフパンツのポケットに手を突っ込んで家の前をぐるりと歩いてゆく。庭はひい婆ちゃんが丹精込めて世話をしていただけあって、今の時期は花の名前はよく分からんが、マリーゴールドとかそういう花が咲いてる。
 ハヤテの小屋は爺ちゃんが大工の友達に端材をもらって、自分で作ったものだ。テンプレートな犬小屋らしく赤い屋根の犬小屋で、その大工の友達に指導してもらって作ったから、結構立派なもんだ。
「君、何やってんの?」
 それまで謎の女の子を前にしても吠える事のなかったハヤテは、俺の姿を認めて嬉しそうに尻尾を振った。
「……見えるのね」
 この七月半ばだというのに、その子は黒い衣装を着て暑そうな顔もせずこちらを振り向いた。
「君は何の九十九神?」
 最初からザックリ切り込む勇気が俺にはある。
 この不思議が三件続いて、四件目に真っ黒ゴスロリ少女が現れてたら、そりゃこの一連の九十九神の仲間だと思うだろう。
 だが俺の質問に黒い子は明確な答えを口にせず、またハヤテを見た。
「この子、腎臓が悪くなってるから病院に行った方がいいわ」
「えっ?」
 見た目俺と同じぐらいの女の子がそう言い、彼女の存在がどうこうとか言う前に、俺はビックリしてハヤテを見る。
 ハヤテは十五歳ぐらいで、結構な歳ながらも今まで大きな病気もしていない。だから余計にビックリした。
「じゃあ」
 そう言って女の子は目だけで挨拶をし、柵に立てかけてあった黒いパラソルを、黒いレースの手袋をした手で取って静かに広げる。
「えっと、君、名前は? 俺は拓也」
「……クロでいいわ」
 そんな犬みたいな簡単な名前を名乗って、クロはゆっくりとこちらへ歩いてくる。やはり途中で、柵を通る時はスッと体がすり抜けてゆく。不思議なもんだ。
「その服……ゴスロリだっけ? 可愛いね」
「……ありがとう。でもこれは和ゴス」
 女子の服のジャンルは深すぎる。
「あのさ、クロは何の……」
 食い下がって話し掛ける俺を通り過ぎざま、クロはもう一度「気を付けた方がいいから」と言い、それから二、三歩歩いた所でその体が急に薄くなり、まるで砂糖がお湯に溶けるみたいにクロの姿は空気の中に消えてしまった。
 何だかそれを見て、俺の体温は急に下がってしまったように感じた。こういうのが、血の気が引いたって言うんだろうか。
 蝉が鳴いてる声と、手稲の強めの風が吹いて草やら木やらを撫でてゆく音。その中でハヤテがこっちを見て「撫でてくれ」というように、ハッハッと舌を出して暑さの調節をしながら尻尾を振っている。
 世界の裏側を知ってしまったような気になり、俺はしばらくそこに突っ立っていた。

**

「お帰りやす」
 またひい婆ちゃんの部屋に戻ると、藤紫がにこやかに迎えてくれた。
 槐とギンはなぜか『あっち向いてほい』をしている。何だ……、平和だな。
「あの子とお話してきたん?」
「え? あぁ、うん」
「拓也は人間だし、まだ絹の後継者になって浅いなら、まだイミとは関わらない方がいいんじゃねぇべか?」
「イミ? あの子の名前? でもあの子、クロって言ってたけど……」
「偽名に決まっとるじゃろ。わしらの名も、人の子が覚えやすいような名を考えたに過ぎぬ。わしらの名は神名となるから、人には聞き取れん」
「じゃあさっきの子は、イミっていうのが本名なの?」
「それもわてらが勝手に呼んでるだけやえ。忌まれる存在やさかい、イミ。そういう理由や」
「忌まれる存在……?」
 その言葉と、今自分が忌引きだという事が結びついて、俺の背筋にゾッとしたものが走った。
「イミは拓也たち人間から言えば……、死神と呼ばれる存在に似てるな」
「えっ!?」
 その時日差しが雲に隠されたのか、部屋の中が暗くなった。窓から部屋の中に入っていた光が薄くなり、――部屋そのものの気温が下がった気がする。
 あのゴスロリ、いや和ゴスの子が死神?
「もしかしてひい婆ちゃんは……クロに殺されたんじゃ……、あっ! ハヤテ!」
 クロが言っていた「腎臓が悪い」という言葉を思い出し、俺はすぐに立ち上がって慌ててまた玄関へ向かい、サンダルをつっかけて外へ出る。
 ひい婆ちゃんが死んだばっかりだっていうのに、ハヤテまで失って堪るか!
 目にはひい婆ちゃんの葬式の時には流せなかった涙が浮かび上がり、俺はそれを瞬きをして誤魔化しながらハヤテの小屋まで走った。
「ハヤテ!」
 小屋の横、木陰になっている場所でハヤテは土の上に腹ばいになり、目を閉じて舌を出していた。一瞬それを見て最悪の事態を思い浮かべたものの、ハヤテは俺の声と気配にジャラリと鎖の音をたてて、また尻尾を振って迎えてくれる。
「大丈夫か? なぁ」
 柵の入り口を開いて近付き、しゃがんで撫でてやると、ハヤテの毛皮が俺の手を包み込んでくれる。
「……なぁ、明日にでも病院行こうか。母さんに頼んでみるから」
 ハヤテは死神に殺されてなかった。
 けど、死神がハヤテを見て「腎臓が悪い」と言ったのなら、それは人ならざる存在の能力で俺に忠告しくれたのだと思う。死神ったら悪いイメージしかないけど、もしかしたらクロは俺に親切で教えてくれたのかもしれない。
「な、明日病院行こうな」
 わしわしと両手でハヤテの頭を撫でると、俺の手の中でハヤテは嬉しそうに目を細めて尻尾を振っている。それはあまりにもいつもの姿すぎて、ハヤテが実は具合が悪いとかは俺にはちっとも分からないのだった。
「お前、何も言わないもんなぁ。滅多な事じゃ吠えないいい子で、体が具合悪くても……喋れないもんなぁ」
 ひい婆ちゃんも突然だった。
 定期検診を受けた人間が「注意して下さい」って医者から忠告されていても、悪くなっちまったもんは悪くなっていて、高血圧とかコレステロールの値が改善されたとしても、老化した血管とか詰まってしまった血管とかが改善される訳じゃない。
「……置いてかないでくれよ」
 ハヤテの頭を抱きしめるようにして首元に顔を埋めると、犬の匂いがした。
「お前だって暑いよな。犬だからって熱射病とかにならない訳じゃないもんな。ここは木陰になっててちょっとは涼しいかもしれないけど、……玄関に入れたら寂しくないし、涼しいよな」
 話し掛けてもハヤテは黒い目で俺を見て、尻尾を振っているだけだ。
 よし、すぐ母さんに相談してみよう。
 そう思って俺はハヤテの頭をもう一度撫でてから、気を取り直して家の中に入るのだった。

**
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