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番外編 2 タワマン事件簿
まさかの返事
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丁度一階で止まっていたゴンドラが一基あり、私はベビーカーを押してその中に入る。
そして三十五階のフロアボタンをドドドドドドと連打し、ドアがゆっくり閉まりきったのを見て安堵の息をついた。
………………いや、………………待て?
私は腕を組み、頭の中を「?」で一杯にしてウロウロと歩き回る。
考え事をしたまま、体は勝手に動く。
気がつけばリビングで俊希のおむつを替えて、汗拭きをしていたけれど、いまだ頭の中は「?」のままだった。
表情もスペースキャットである。
ぼんやりとリビングのソファに座って、日差しが強いなぁ……、これだからペントハウスは……と思っていたら、「ただいまー」と慎也の声がした。
…………おい。これ、どうやって顔を合わせたら……。
どうやって慎也の顔を見たらいいのか分からない。
夫の顔を見るのに、表情を作るなんて変な話だ。
分からないまま前を向いていると、リビングダイニングに入ってきた慎也が「優美?」と声を掛けてきた。
「……うん、おかえり」
私ってこんな平坦な声が出るのか。
「疲れてる? 俺が飯作ろうか」
「…………いや、私がやる」
時計を見たら、今日は早いって言っていた正樹も帰宅しておかしくない時間だ。
座ったばかりだけど立ち上がり、キッチンに向かう。
「優美? 顔色悪くないけど大丈夫か? 座ってろって。俺がやるから」
サッと私の顔を覗き込んできた慎也が、私の額にぺたりと手を当ててくる。
「!」
とっさに、彼の手を振り払ってしまった。
「…………え?」
今までそんな風にされた事のなかった慎也は、ポカンとして私を見ている。
私を裏切ったばかりなのに、そんなキョトン顔されるのがめちゃくちゃムカついた。
「…………私に言う事ない?」
努めて冷静に尋ねたけれど、慎也の表情は変わらない。
「いや? ……あー、今日は何食べたい?」
そういう事じゃないだろ!
……っていうか、嘘つかれた。
鼻の奥がツンとして、泣きそうになってしまう。
唇をひん曲げて我慢した私は、フーッと溜め息をついて後ろを向いた。
「やっぱり任せていい? 何でもいいから任せる。私は俊希みてるから」
「ん、分かった」
慎也はいつものように私の頭をポンポンとやろうとして、また拒絶されるかもしれないと思ったのか、上げかけた手を下ろした。
私が不機嫌なのは分かってるんだ。
それなのに、その理由についてはあくまで隠すんだ。
ソファに戻ると、テレビもつけずに俊希をあやしながらぼんやり座る。
着替えた慎也がキッチンで下ごしらえを始めつつ、軽快に口笛を吹く。
いつもなら「楽しそうで好きだな」と思うけれど、今日ばかりはその口笛が煩わしい。
大好きな『ラプソディー・イン・ブルー』を嫌いになってしまいそうだ。
慎也が料理しながら話しかけてきても、生返事しかできない。
「ただいまー! 僕、朝から穴開いた靴下で過ごしてたみたい!」
三十分ぐらいして正樹が帰ってきた時、その脳天気な言葉にこの上なく安心した。
「なにそれ。だっさ」
ようやく笑えた時には、緊張の糸が切れて泣いてしまいそうになった。
「足の爪、伸びてるんじゃない? それとも靴下大事に履きすぎた?」
「え~?」
正樹はソファに座って足を見せてくる。
本当に、見事に親指がコンニチハしてる。
「……嗅ぐ?」
裸足になったあと、正樹は私に足を出してきた。
「ちょ……っ、やめ! 絶対嗅がない!」
アホの子である正樹に気持ちが救われ、私は思わず笑いだす。
「お風呂に入ったあとなら、靴下に穴が空いた特典で、足ツボマッサージしてあげてもいいよ」
「え? 何それラッキー」
「優美、俺は?」
キッチンから慎也の声がする。
笑っていた顔が固まり、少しずつ笑顔が消えていくけれど、私は無理矢理口角を上げて返事をする。
「慎也は靴下に穴開けてないから駄目」
そして三十五階のフロアボタンをドドドドドドと連打し、ドアがゆっくり閉まりきったのを見て安堵の息をついた。
………………いや、………………待て?
私は腕を組み、頭の中を「?」で一杯にしてウロウロと歩き回る。
考え事をしたまま、体は勝手に動く。
気がつけばリビングで俊希のおむつを替えて、汗拭きをしていたけれど、いまだ頭の中は「?」のままだった。
表情もスペースキャットである。
ぼんやりとリビングのソファに座って、日差しが強いなぁ……、これだからペントハウスは……と思っていたら、「ただいまー」と慎也の声がした。
…………おい。これ、どうやって顔を合わせたら……。
どうやって慎也の顔を見たらいいのか分からない。
夫の顔を見るのに、表情を作るなんて変な話だ。
分からないまま前を向いていると、リビングダイニングに入ってきた慎也が「優美?」と声を掛けてきた。
「……うん、おかえり」
私ってこんな平坦な声が出るのか。
「疲れてる? 俺が飯作ろうか」
「…………いや、私がやる」
時計を見たら、今日は早いって言っていた正樹も帰宅しておかしくない時間だ。
座ったばかりだけど立ち上がり、キッチンに向かう。
「優美? 顔色悪くないけど大丈夫か? 座ってろって。俺がやるから」
サッと私の顔を覗き込んできた慎也が、私の額にぺたりと手を当ててくる。
「!」
とっさに、彼の手を振り払ってしまった。
「…………え?」
今までそんな風にされた事のなかった慎也は、ポカンとして私を見ている。
私を裏切ったばかりなのに、そんなキョトン顔されるのがめちゃくちゃムカついた。
「…………私に言う事ない?」
努めて冷静に尋ねたけれど、慎也の表情は変わらない。
「いや? ……あー、今日は何食べたい?」
そういう事じゃないだろ!
……っていうか、嘘つかれた。
鼻の奥がツンとして、泣きそうになってしまう。
唇をひん曲げて我慢した私は、フーッと溜め息をついて後ろを向いた。
「やっぱり任せていい? 何でもいいから任せる。私は俊希みてるから」
「ん、分かった」
慎也はいつものように私の頭をポンポンとやろうとして、また拒絶されるかもしれないと思ったのか、上げかけた手を下ろした。
私が不機嫌なのは分かってるんだ。
それなのに、その理由についてはあくまで隠すんだ。
ソファに戻ると、テレビもつけずに俊希をあやしながらぼんやり座る。
着替えた慎也がキッチンで下ごしらえを始めつつ、軽快に口笛を吹く。
いつもなら「楽しそうで好きだな」と思うけれど、今日ばかりはその口笛が煩わしい。
大好きな『ラプソディー・イン・ブルー』を嫌いになってしまいそうだ。
慎也が料理しながら話しかけてきても、生返事しかできない。
「ただいまー! 僕、朝から穴開いた靴下で過ごしてたみたい!」
三十分ぐらいして正樹が帰ってきた時、その脳天気な言葉にこの上なく安心した。
「なにそれ。だっさ」
ようやく笑えた時には、緊張の糸が切れて泣いてしまいそうになった。
「足の爪、伸びてるんじゃない? それとも靴下大事に履きすぎた?」
「え~?」
正樹はソファに座って足を見せてくる。
本当に、見事に親指がコンニチハしてる。
「……嗅ぐ?」
裸足になったあと、正樹は私に足を出してきた。
「ちょ……っ、やめ! 絶対嗅がない!」
アホの子である正樹に気持ちが救われ、私は思わず笑いだす。
「お風呂に入ったあとなら、靴下に穴が空いた特典で、足ツボマッサージしてあげてもいいよ」
「え? 何それラッキー」
「優美、俺は?」
キッチンから慎也の声がする。
笑っていた顔が固まり、少しずつ笑顔が消えていくけれど、私は無理矢理口角を上げて返事をする。
「慎也は靴下に穴開けてないから駄目」
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