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箱根クリスマス旅行 編
責めてしまったんだ
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「母は〝子供〟全員に分け隔てなく接していた。あれ以上の努力はできないと思う。でもやはり、母は正樹に気を遣っていた。俺と正樹が同じ状況で困っていたら、同じタイミングで『大丈夫?』と声を掛けて、そのあとはほんの少しだけ正樹を心配する気持ちが多かったように思える。今なら『そんな事』って思うけど、当時は子供で母親の愛情を自分だけに注いでほしかったから、余計にそう感じたのだと思う」
「うん……。子供って敏感だよね。大人になったら『なんであんな事で』って思うような出来事でも、子供だから傷ついた事って結構ある。それを大人になっても覚えているのが、何よりの証拠だと思う」
お湯の中で、慎也は握った私の手を指でゆっくりたどり、形を確認する。
「……俺は子供の時、正樹の事が嫌いだったかもしれない」
告げられた言葉に、私は驚かなかった。
「母は正樹ばかり気にしていたように思えたし、母に構われているのにつまらなさそうにしている正樹を、我が儘だと思ってしまった。だから正樹が遊んでくれる時に、わざと言う事を聞かなかったり、困らせた事が何度もあった。……母が俺を心配して、正樹を怒ったらいいなんて……、考えた事もあった」
「うん」
私は否定せず、慎也の肩を組んだ。
「仕方ないよ。そういう気持ちは誰だってある。慎也だけが特別悪いだけじゃない。慎也は普通だよ」
ポンポンと彼の肩を叩き、私は明るく慰める。
慎也もそれは分かっているのか、何度か小さく頷く。
「正樹はそんな風に育ちながらも、親父の期待に応えてとても優秀に成長した。誰もが認めるエリートだよ。俺も正樹に続けるように、負けないように頑張った。弟と妹が生まれた頃には、正樹もある程度人格ができあがっていたから、下の弟妹とは確執みたいなもんは何もないんだ。『半分血が繋がってる優しい兄貴』って思ってる」
「歳の近い兄弟だから色々あるっていうのは、あるよね」
「大学生になって、正樹が見えないところで遊んで、歪みを発散していく姿を見て、何とも言えない気持ちになった。乱交パーティーに参加して、安らぎを得るようになるまで正樹を追い詰めたのは、俺に責任の一部があると思ってる」
「んー……、でもそれって個人の性癖の問題じゃないかな? きっかけはどうであれ、慎也がそこまで責任を感じる事じゃないと思うけど」
私の手を、慎也がギュッと強く握る。
「……責めてしまったんだ」
横を見ると、慎也が唇を震わせている。
「『そんな事するなよ。みっともない』って、正樹を責めてしまった。両親に期待されて、弟妹からも尊敬されているのに〝久賀城家の長男〟が、名前も知らない女を他の男と共有してる姿を見て……。恥さらしだって思ってしまったんだ」
私は慎也をギュッと抱き締めた。
「仕方ないよ。そう考えてしまうのは、……仕方ない」
慎也の目から、ポトッと涙が滴り落ちる。
「当時、正樹が付き合っていた女性からフラれたのもあって、それ以降正樹はピッタリと遊ばなくなった。ホッとしたけど、『俺のせいだ』とも思った。唯一の息抜きだったかもしれないのに、それすら俺が奪ってしまったと感じた。……っ、自分でも、どうしたらいいのか分からなかったんだ……っ」
私は何も言えず、慎也を抱き締める。
「そして正樹はお見合い結婚をして、世間体を気にする女に毎日文句を言われ、否定され続け、――心を壊した」
慎也の口から語られる正樹の姿は、とても痛々しかった。
弟である慎也の苦悩があるからこそ、昼間に聞いた正樹視点では見えないものがある。
「ある日、正樹は姿を消した。離婚する直前だった。会社にも休むと告げて、当時の妻にも何も言わず、十日ぐらいどこかへ消えた。俺は正樹にメッセージを送り、電話を掛けまくった。……十日目になって、正樹が電話に出た。向こう側から波の音が聞こえて、海にいるんだと分かった」
慎也は一旦言葉を切り、息を震わせながら深呼吸をする。
「いつもとは様子が違って、何かが吹っ切れたようにとても明るくなっていた。それで……、『今までありがとうな。それで、ごめん』って言った。……っ、死ぬつもりだと俺は直感した……っ」
弱々しく息を、体を震わせる慎也を、私はただ抱き締めるしかできなかった。
「そこまで追い詰められてるって、――その時になってようやく気付いた。もう、誰のせいなのかすらも分からない。気が付いたら正樹は、どんどん自分から破滅の道を進んでいった。俺は、――身勝手な事に、急に今までのすべてを後悔して、とにかく謝った」
ポツポツと、慎也の涙がお湯に滴る。
いつの間にか外では雪が降っていて、彼の嗚咽も何もかも、この夜のしじまが吸い取って覆い隠してしまえばいいのに、と私は願う。
「『頼むから生きてくれ』って、頼んだ。でも、正樹は『生きている理由が分からない、大切なものが何もない』って言った。『妻は僕を必要としていない。両親にはお前たちがいる。僕を望んでいる人は、どこにもいないよ』と言われて……、今までの俺の態度が正樹をそこまで追い詰めたんだと思った……っ。――――だから……っ」
ズッ、と洟を啜り、慎也は私の手を痛いほど握る。
「うん……。子供って敏感だよね。大人になったら『なんであんな事で』って思うような出来事でも、子供だから傷ついた事って結構ある。それを大人になっても覚えているのが、何よりの証拠だと思う」
お湯の中で、慎也は握った私の手を指でゆっくりたどり、形を確認する。
「……俺は子供の時、正樹の事が嫌いだったかもしれない」
告げられた言葉に、私は驚かなかった。
「母は正樹ばかり気にしていたように思えたし、母に構われているのにつまらなさそうにしている正樹を、我が儘だと思ってしまった。だから正樹が遊んでくれる時に、わざと言う事を聞かなかったり、困らせた事が何度もあった。……母が俺を心配して、正樹を怒ったらいいなんて……、考えた事もあった」
「うん」
私は否定せず、慎也の肩を組んだ。
「仕方ないよ。そういう気持ちは誰だってある。慎也だけが特別悪いだけじゃない。慎也は普通だよ」
ポンポンと彼の肩を叩き、私は明るく慰める。
慎也もそれは分かっているのか、何度か小さく頷く。
「正樹はそんな風に育ちながらも、親父の期待に応えてとても優秀に成長した。誰もが認めるエリートだよ。俺も正樹に続けるように、負けないように頑張った。弟と妹が生まれた頃には、正樹もある程度人格ができあがっていたから、下の弟妹とは確執みたいなもんは何もないんだ。『半分血が繋がってる優しい兄貴』って思ってる」
「歳の近い兄弟だから色々あるっていうのは、あるよね」
「大学生になって、正樹が見えないところで遊んで、歪みを発散していく姿を見て、何とも言えない気持ちになった。乱交パーティーに参加して、安らぎを得るようになるまで正樹を追い詰めたのは、俺に責任の一部があると思ってる」
「んー……、でもそれって個人の性癖の問題じゃないかな? きっかけはどうであれ、慎也がそこまで責任を感じる事じゃないと思うけど」
私の手を、慎也がギュッと強く握る。
「……責めてしまったんだ」
横を見ると、慎也が唇を震わせている。
「『そんな事するなよ。みっともない』って、正樹を責めてしまった。両親に期待されて、弟妹からも尊敬されているのに〝久賀城家の長男〟が、名前も知らない女を他の男と共有してる姿を見て……。恥さらしだって思ってしまったんだ」
私は慎也をギュッと抱き締めた。
「仕方ないよ。そう考えてしまうのは、……仕方ない」
慎也の目から、ポトッと涙が滴り落ちる。
「当時、正樹が付き合っていた女性からフラれたのもあって、それ以降正樹はピッタリと遊ばなくなった。ホッとしたけど、『俺のせいだ』とも思った。唯一の息抜きだったかもしれないのに、それすら俺が奪ってしまったと感じた。……っ、自分でも、どうしたらいいのか分からなかったんだ……っ」
私は何も言えず、慎也を抱き締める。
「そして正樹はお見合い結婚をして、世間体を気にする女に毎日文句を言われ、否定され続け、――心を壊した」
慎也の口から語られる正樹の姿は、とても痛々しかった。
弟である慎也の苦悩があるからこそ、昼間に聞いた正樹視点では見えないものがある。
「ある日、正樹は姿を消した。離婚する直前だった。会社にも休むと告げて、当時の妻にも何も言わず、十日ぐらいどこかへ消えた。俺は正樹にメッセージを送り、電話を掛けまくった。……十日目になって、正樹が電話に出た。向こう側から波の音が聞こえて、海にいるんだと分かった」
慎也は一旦言葉を切り、息を震わせながら深呼吸をする。
「いつもとは様子が違って、何かが吹っ切れたようにとても明るくなっていた。それで……、『今までありがとうな。それで、ごめん』って言った。……っ、死ぬつもりだと俺は直感した……っ」
弱々しく息を、体を震わせる慎也を、私はただ抱き締めるしかできなかった。
「そこまで追い詰められてるって、――その時になってようやく気付いた。もう、誰のせいなのかすらも分からない。気が付いたら正樹は、どんどん自分から破滅の道を進んでいった。俺は、――身勝手な事に、急に今までのすべてを後悔して、とにかく謝った」
ポツポツと、慎也の涙がお湯に滴る。
いつの間にか外では雪が降っていて、彼の嗚咽も何もかも、この夜のしじまが吸い取って覆い隠してしまえばいいのに、と私は願う。
「『頼むから生きてくれ』って、頼んだ。でも、正樹は『生きている理由が分からない、大切なものが何もない』って言った。『妻は僕を必要としていない。両親にはお前たちがいる。僕を望んでいる人は、どこにもいないよ』と言われて……、今までの俺の態度が正樹をそこまで追い詰めたんだと思った……っ。――――だから……っ」
ズッ、と洟を啜り、慎也は私の手を痛いほど握る。
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