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馴れ初め編/第二章 お酒と油断はデンジャラス

23.無自覚は最強の武器(R-18)

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 真上から降り注ぐ低音に、虚空を見つめ震えていた瞳が動きを止めた。
 宙に浮いていた思考は引き戻され、ゆっくりと体の中に根付いていく。
 だが、それらはまだどこか頼りなく、正常なものとは言い切れない。

(あ、れ?)

 そんな状況で脳が認識したのは、十秒にも満たない浮遊感。
 まるで誰かに抱きかかえられるような感覚を味わうと、その直後、今度は柔らかな場所へ身体が下される。
 ギシギシと耳元で何かが軋む音が聞こえ、視線を向けた先に見えたのは人間の腕らしき影。
 訳がわからず辿るように視線を動かすと、真顔でこちらを見下ろす男と目が合った。

(……誰?)

 見覚えはあるはずなのに、瞳の情報と記憶が上手く結びつかない。
 更なる情報を求め動かした目に留まったのは、長い黒髪と、それを首元でまとめるヘアゴム。
 その二つが、ようやく男の正体を教えてくれた。

 しかし、千優はすぐ思考を切り替えることが出来ずにいる。
 目の前にいる男の外見的特徴は、間違いなく國枝のものだ。
 それなのに、別人ではないかと心の片隅で疑ってしまう。

 視線の先にあるのは、心の奥がむず痒くなるいつもの笑顔ではなく、感情が削ぎ落された顔だった。
 しかし、虚ろな表情が浮かぶなかで、瞳だけが唯一生気を放っている。
 自分から目を離すなと、まるで命令するような鋭い視線に、千優はゴクリと唾を飲み込んだ。





 本能的な恐怖に身体が強張り、瞬きをすることさえ忘れそうになる。
 得体の知れないものが、徐々に心を蝕んでいく。これまで味わったことなど無い感覚が、余計に恐怖心を煽るようで、また違う怖さがうまれた。

「ひっ、んん」

 迫りくるものから逃れたいと、千優は自ら視界を閉ざす。
 しかし、視覚を断ったことで神経が過敏になり、スッと何かが腹に触れただけでビクついてしまう有様だ。

「目を開けてちょうだい、柳ちゃん」

 心のざわつきが一向におさまらない。そんな状態のまま、聞こえてきた声に従い恐る恐る目を開けると、すぐそばで自分を見つめる視線に気づく。
 最近聞き慣れた音と見慣れた顔を、ようやく脳が認識し、目の前にいる男が國枝螢本人と理解し、受け入れることが出来た。

「…………」

 すると、これまで感じていた恐怖が少しずつ和らいでいくのがわかった。
 目の前にあった大きな問題が解決し、千優はホッと胸を撫でおろす。
 しかし、すべてが解決したわけではない。
 先程までベッドの端に座っていたはずの自分が、その中央に横たわっている理由。自分に覆いかぶさる國枝の意図。わからないことは山のようにある。
 それらの答えを求めようにも、なんと言葉を紡げばいいのかわからず、吐息だけが時折開閉する唇から漏れていくのだ。

「柳ちゃん、これから外でお酒を飲むときは、アタシのこと誘いなさい」

「……?」

「本当に……今までよく無事だったわね。他の男達が居る場所に、酔ったアンタを一人残すなんて、狼の群れにうさぎを放り込むようなものよ」

 酔いが醒めきらぬ脳内は、現実と夢の狭間をさまようばかりだ。今が現実か夢なのか、正直よくわからない。
 ふわりと宙を舞う思考に気を取られるせいで、千優は國枝が発する言葉をすぐに理解出来なかった。
 首を傾げ彼を見上げると、何故か盛大なため息を吐かれてしまい、ますます混乱してしまう。

「……っ、くしゅ」

 一体今、この人は何を自分に命じたのだろう。
 その内容を確かめたくて、口を開こうとすれば、両腕から背中、そして全身へ広がる寒気に思わずくしゃみが飛び出した。
 咄嗟に感じた肌寒さに両腕をさすると、何故か手のひらは素肌に触れた。スーツを着ていたはずなのにと、また新たな疑問が増えていく。
 記憶のピースはすっかりバラけてしまい、千優は状況把握すら思うように出来ずにいる。

 そんな時、コツンと額に何かが当たり、ほのかな熱を感じた。
 不思議に思い、くしゃみをした時伏せたままになっていた目を開けると、先程よりずっと近くに國枝の顔があった。
 顔と認識するよりも、彼の瞳と鼻の付け根あたりくらいしか見えず、パーツを認識し顔と推測した方が正しい。
 それは、少しでも動けば、鼻先や唇が触れ合う程の距離。予想外の近さに、カッと頬が熱くなる。

「寒い?」

 額が触れ合う箇所がほんのり温かい。問いかけの声は耳をくすぐり、吐息は唇を掠めていく。
 すぐそばにあるぬくもりを求め、両腕をのばしたい。そんな衝動のままに、千優は小さく頷いた。





「……ん、は……っ、ふぁ……」

 宙に浮かぶ小さな意識。その一つ一つを包み込む熱が、千優の身体を徐々に熱くしていく。
 身体の奥から湧き上がるモノを逃すように、力なく開いた口元からは何度も甘い吐息が零れた。
 気づけば、胸元を覆う下着の締め付けはなくなり、かわりに己のものではない舌と指が素肌へ触れる。

「んん……柳ちゃん、どう? あたたかくなってきた?」

 耳元で囁く声に反応し言葉もなく頷くと、一際熱い顔の熱が空気中に逃げていく気がした。
 腹部を往復するように動く舌。そして、やんわりと乳房を包みこみ、時折揉みしだくように動く手が、身体の中から熱を引き出していく。
 國枝に背負われていた時に感じていたものとは違うそれは、初めての快楽となり千優の体内を巡り始める。

「國枝さ……なんか、へん……はぁ……」

「大丈夫よ。こうすれば、あたたかくなるから。ほら、もっとこっちに来なさい」

 頭の中が白く染まり、たった一つの光を求め、声がする方へ身を寄せる。
 手助けするように肩を抱き寄せられ、頬がシャツ越しの胸元へ軽く押しつけられた。
 かすかに香る香水が、どこか頼りない心に安心感を与えてくれる。小さく息を吐くと、心が落ち着いていくのがわかる程、すぐそばにいるモノへ精神が依存していく。

「へへっ」

 目の前にあるのは、子供を誘惑するお菓子の家のように感じた。
 ぬくもりと快感、そして耳に届く声が全身へ絡みつき、逃れることが出来ない。
 ゆっくりと顔をあげれば、すぐ目の前に優しく微笑む國枝の顔がある。
 たったそれだけのことがとても嬉しくて、千優の頬は緩み、力の抜けた笑みが浮かんだ。
 そのまま、もう一度胸元に顔を寄せ、ぬくもりと幸せを存分に補給する。

 自分は無邪気な子供、そして國枝はお菓子の家。それならば、思う存分堪能した方が幸せになれるはずだから。

『こーら、何甘えてるのよ。柳ちゃんったら……仕方ないわね』

 そう言って笑いながらも、嫌な顔一つせず甘やかしてくれる。そんな男の姿が見たくなり、千優は埋めていた顔を離しゆっくりと上を向いた。


「くに、えだ……さん?」

 しかし、彼女を待っていたのは、幸せな時間とは程遠いものだった。
 目の前の顔に、みるみる浮かぶ苦痛。その眉間には、深い皺が刻まれていく。
 己の望んでいたものとかけ離れた表情をする彼の姿に、胸を締めつける苦しさを感じ、千優は微かに震える目の前の頬へ手をのばした。

「……っ!」

 しかし、あと数センチのところで手首を掴まれてしまい、動きが封じられる。


「ちょっとした仕返しのつもりだったのに……そんな可愛い顔するなんて反則だろう」

「っ!」

 嫌でも男を意識させる低音が紡ぐ言葉に、千優の思考と心は一瞬にして現実へ引き戻された。
 その途端、目の前に確かにあったはずのお菓子の家が崩壊を始め、跡形も無く消えていく。

「今からさ……お前のこと抱いていい?」

 代わりに目についたのは見知らぬ男だ。
 そんな彼の熱を帯びた瞳に、困惑のあまり怯える女の姿が映り込む。

(だ、れ?)

 自分の瞳に映る男は誰なのか、男の瞳に映る女は誰なのか。
 たったそれだけの簡単な答えも見つけられないまま、急激に冷えていく体温だけをやけにはっきりと感じた。
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