[完結]勇者の旅の裏側で

八月森

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第1章

回想2 勇者遭遇

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 その日もわたしは、訪れた旅人の一団に襲い掛かろうとしていた。

 現れたのは、わたしの略奪行為が近隣に知れ渡ったため解決に乗り出した冒険者たちで……それが、よりにもよって勇者と、その守護者たちだった。
 当然、今まで襲ってきた相手とはわけが違う。容易に荷を奪わせないのはもちろん、全員が全員、わたしでは勝ち目のない実力者揃いだった。

 追い詰められ、〈クルィーク〉を起こし、半魔の姿を露わにしたわたしは……憧れていた勇者が突如激昂し、豹変する様を目の当たりにした。

「お前……お前はっ! 魔族かっっっ!!」

 正確には半魔だが、我を忘れた男にそんな区別がつくはずもない。
 それまでわたしが子供だからか躊躇していた勇者は、別人と見紛うほどに様相を変え、明確な殺意と共にこちらに襲いかかってきた。


  ――――


 先代の勇者は、住んでいた村を、家族を、全て魔物に奪われた青年だった。
 憎しみを糧に己を鍛えた彼は、神剣に選ばれ、勇者となる。
 そして誓った。――魔に連なるものを、全て滅ぼし尽くすと。

 彼が魔王の居城へ向かう進路に『戦場』を選んだのも、そこが、最も多くの魔物を屠れる処刑場だったからだ。
 見渡す限りに憎しみの的が立ち並ぶ光景は、彼にとってどのように見えていただろう。
 わたしを殺すために全力で剣を振るいながら浮かべる憤怒の形相は、あるいはそこで見せていたものと同じだったのかもしれない。

 それは、わたしの幼い憧れを粉々にするのに、十分すぎる恐怖だった。
 心のどこかで、「本物の勇者なら、こんなわたしでも助けてくれるのではないか」。そんな風に思っていたのかもしれない。
 けれど、絵本の勇者は、どこにもいなかった。
 いたのはわたしを――半魔を殺そうと神の剣を振りかざす、復讐に狂った一人の青年だけだった。


  ***


 目を覚まし、真っ先に視界に入ったのは焚き火の明るさと、それに追いやられた夜の暗さ。
 パチパチと音を鳴らして爆ぜる火をぼんやり眺め、やがてその向こうに誰かが座り込んでいるのに気が付く。
 その姿は、気を失う前にも目にしていた。
 剣士だ。勇者の仲間だったはずの――

 ――……どうして、助けてくれたの……?

「……オレは、子供は斬れん」

 ――……

「……」

 ――…………それだけ?

 後のとーさん――〈剣帝〉が口下手なのは、この頃から変わらなかった。
 彼はわたしを勇者の凶刃から庇い、その後、仲間たちと袂を分かったという。


  ――――


〈剣帝〉アイン・ウィスタリアは、『戦場』近くに建つウィスタリア孤児院に生まれ育った、戦災孤児だった。

 彼が初めて剣を握ったのは幼少の頃。孤児院が野盗に襲われた際、自分より幼い子供たちを守るため剣を取り……そして、からくも撃退してみせた。
 偶然が重なった結果だと本人は言うが、ともかくもそれ以降、彼は独力で剣術を模索し始める。

 孤児院を卒業し、独り立ちしてからも、彼は剣の腕を磨き続けた。
 やがて〈剣帝〉という二つ名で呼ばれるまでになり、守護者に選ばれてもなお、彼はただ強さだけを求めた。手段だったものが、いつしか目的になっていた。

 けれど先刻、目の前でわたしが――〝子供〟が斬られそうになった時。
 自分がどうして剣を握り、なんのために腕を磨き続けてきたのか。それを、思い出したらしい。


  ――――


〈剣帝〉は、わたしが半魔であると知ったうえで保護を申し出てきた。彼にとっては種族云々より、目の前の子供を放っておけないことのほうが重要だったらしい。
 戸惑い、警戒しながらも共に生活を始めたわたしは、そのまま彼に引き取られ、養子となった。

 ちなみに、初めてあの人――クラルテ・ウィスタリアに会ったのもこの時だったが、わたしが目を覚ます頃には既にこの場を去っていたため、当時は勇者の横にいた暴力神官という認識しかなかった。閑話休題。


  ***


 引き取られたわたしは、彼に剣の教えを請うた。
 当時は〈剣帝〉云々の噂は知らなかったが、その腕が卓越しているのは子供のわたしでも容易に見て取れた。

 彼は始め、「他人に教えた経験がない」と難色を示したが、こちらの執拗な訴えに最後には渋々折れてくれた。

〈剣帝〉から直接指導を受けるという、今考えれば世の剣士から妬まれておかしくない環境だったが……当事者のわたしたちは、正直お互いそれどころじゃなかった。

 なにしろ、教える側も教わる側も初めてで、加減が全然分からない。
 得物は木剣だったが、それ以外はほとんど実戦と変わらない稽古に、何度死にかけたか憶えていない。
 そしてその度に〈クルィーク〉の治癒力が、通常あり得ない早さでわたしの傷を癒していく。

 ついては消える傷を見ながら、稽古ってこういうものなんだな、と、まだ幼いわたしは漠然と納得していた。そうじゃないと気づいたのは、街の剣術道場をたまたま覗き見た時だったが。
 日々繰り返される生死の往復は、おそらく通常よりずっと短い期間で、わたしに戦う力を与えてくれた。


  ***


 とーさんとの生活にも少し慣れた頃、「なぜ、そこまでする?」と、稽古後、唐突に問いかけられた。
 今と変わらず、色々足りていないその言葉を汲み取ると――

 わたしが毎日ボロボロになりながら稽古を続ける動機(ボロボロにしている本人に聞かれるのは納得いかなかったが)。
 そうまでして生きたい理由。
 身につけた力をこれから何に活かすのか。
 そういった諸々を聞こうと……まあ、要は心配してくれていたらしい。

 ……わたしは、その問いにすぐには返答できなかった。そして、気が付いた。
 わたしが生きるために必死だったのは、かーさんに護られた命を無駄にしたくないから。かーさんに生きてほしいと望まれたからであって、わたし自身に理由がないことに。

 死ぬ思いで稽古を繰り返すのは、また一人になったとしても生き延びられるように。目的、目標は生きることそのもので、それ以外はなにもないのだと。

 あるいはあの勇者のように、復讐に狂う道もあったのかもしれない。そのほうが、ある意味ではずっと楽だっただろう。
 人間は、わたしの本当のとーさんの。魔族は、かーさんの仇だ。それだけで理由は十分だし、どちらがどうなろうと知ったことじゃない。

 けれど、かーさんの直接の仇は、かーさん自身が道連れにしてしまった。とーさんの仇は、どこの誰かも全く知らない。
 そもそも、当事者以外は無関係だ。手当たり次第に八つ当たりしてもしょうがないし、きりがない。少なくともそう判断する程度には、わたしは狂えていなかった。

 問いに答えられず、その場で困り果てたわたしだったが、問いかけた本人も(見た目には現れなくとも)困っていた。子供心に罪悪感を覚えた。

 なんでもいい。とりあえずでいい。目標をわたしの中から探そう。さしあたっては「生きる」以外の目的を。かーさん、あの時他にもなにか言ってなかったっけ……?

 ――「アレニエが、そんな誰かに出会えることを、願ってる。……笑って生きていけることを、願ってる」――……

 今はまだ一人だけだけど、かーさんが望む〝誰か〟には出会えた。
 半魔だと知ったうえで養子に迎えてくれる……そんな変わり者に助けられて、わたしは今も生きている。そして、その助けがなくなったとしても生き抜けるよう、こうして鍛錬もしている。なら、あとは――

「(そういえば……あれから、全然笑ってない……)」

 一人になってからの日々はもちろん、とーさんに拾われてからも歯を食いしばってばかりの毎日。もう、どんな顔で笑っていたかも忘れてしまった。
 だから、当面の目標は決まった。とーさんにそれを伝えると、まだ少し心配そうにしていたものの、黙って頭を撫でてくれた。

 わたしは笑顔の仮面を被る。

 初めはぎこちなくてもいい。剣と同じように練習すればいい。
 笑顔は相手の警戒心を和らげると聞いたこともある。人間に混じって暮らすのにも役立ってくれるだろう。表面上でも演じられれば少なくとも、あの目で見られることはないはずだ。

 とーさん以外を信用するのはまだ無理だが、もしかすれば、いずれ同じような変わり者に、わたしのようなはみ出し者に、出会う機会もあるかもしれない。あるいはわたし自身に、また別の目標が見つかるかもしれない。
 それを続けていけばいつか、自然に笑える時を――かーさんが最後に望んだように、心の底から笑って生きていける明日を、迎えることも……

 そうしてわたしが、剣と共に笑顔も練習し始めてしばらく経った頃――……あの勇者が、魔物の領土から帰還し、それから間もなく命を落としたと、噂で知った。


  ***


 今回、神剣と魔王の眠りが十年という短い期間だった理由は、単純だ。
 先代の勇者は、失敗したのだ。
 いや、より正確に言えば不十分だったのだろう。


 彼は生まれつき膨大な魔力を有し、神の加護による無尽蔵の体力を備え、鍛錬により剣技をも磨き抜いた、当代最高の英雄だった。
 しかし強さに驕らず、誰とでも分け隔てなく接し、苦しむ人々をその身を削って救う義心にも溢れていたという。

 とーさん――〈剣帝〉にとっても、鉄面皮で口下手な自分にも気さくに接し、剣の腕でも切磋琢磨し合える、親友と呼べる間柄だったらしい。

 当時、神剣を握るに相応しい者は、彼をおいて他に居なかった。理想的な使い手だった。
 ――ただ一点、魔物に対する過剰な憎悪を除いて。
 そして、その一点が致命的だった。

 なぜなら、神剣の力を最も引き出せるのは、それを生み出した最善の女神に属する心、善思の持ち主であり……
 憎悪は、女神とは対極の最悪の邪神に属する、悪思なのだから。


 あるいは〈剣帝〉が隣にいれば、また違った結末だったかもしれない。
『戦場』を正面から踏破し、魔王が待ち受ける居城にたどり着くまでに、勇者は無数の魔物、魔族と戦い続けた。無傷で辿り着くなど到底できなかったはずだ。
 戦力的に、そして精神的にも、〈剣帝〉の抜けた穴は大きかった。

 友との別れ。肉体の酷使。それでも憎しみを支えに振るい続けられた神の剣は、けれどもその真価を発揮できず。
 魔王を一時的にでも死に至らしめるはずの切っ先は……その命に、届き切らなかった。

 不完全な魔王の討伐が、本来の十分の一の年月で、世界に新たな戦を引き起こした要因だった。
 共に討伐に赴いたクラルテ・ウィスタリアは帰還後、名を変え下層に隠れ住んでいた〈剣帝〉を執念で探し出し、それらの経緯を語った。勇者を支え切れなかったのは自分たちの責任だとも悔いていた。

 それも、彼女の本心ではあるかもしれない。
 けれど、もう一つの思いも消せなかったはずだ。
 勇者の死の原因、少なくともその一端は、世間で噂されている通り職務を放棄した〈剣帝〉に…………ではなく、そのきっかけになった、わたしにある、と。

 あの時わたしに出会わなければ、〈剣帝〉は居なくならなかったかもしれない。
 魔王を討ち損じ、たったの十年でその眠りが覚めることもなかったかもしれない。勇者が命を落とさずに済んだかもしれない。
 孤児院で幼い頃から共に過ごしてきた彼女と別れることも……

 同時に、それらをわたしだけのせいにするのも、彼女は否定している。幼い子供に全ての責を負わせるのは間違っている、と。
 だから彼女がわたしを見る目は、いつも複雑な心境が滲み出たものになっていた。隠すのも下手なので、子供のわたしから見ても明白だった。


  ――――


 実際、現状の責の全てをわたしに求められても困る。わたしは生きるため必死だっただけだし、今さらわたし一人が何をどうしたところで、何も変えられやしない。
 あるいは死で償えと? 絶対にお断りだ。かーさんととーさんに救われた命を、そんな理由で無駄にするなんて。

 そもそも人類や魔族が、延いては世界がどうなろうが、わたしの知ったことじゃない。積極的に復讐する気はなくとも、だから同族意識が芽生えるというわけでもないのだ。どうなろうと構うものか。

 ……ただ……

 全く気にならない、というのも、おそらく嘘になってしまうのだろう。
 胸の奥に少し、ほんの少しだけ、棘のように刺さったまま……結局、自分で思うほどには、割り切れていなかったのかもしれない。


  ***


 別に、責任を取るために今回の依頼を受けたわけじゃない。引き受けた理由は、以前リュイスちゃんに語った通り、勇者――当代の勇者だ。

 先代の勇者は、わたしにとってはただの恐怖の象徴だった。
 なら、今回の勇者は?
 どんな外見で、どんな性格で、どんな思いで旅をしている?
 なにに喜び、なにに怒り、なんのために神剣を握る?
 先代のように、魔物と見れば躊躇なく斬り捨てる殺戮者だろうか?
 わたしのように穢れた血を引く存在には、やはりその切っ先を向けてくるだろうか?
 あの絵本に描かれたような勇者は……現実には、どこにもいないのだろうか?

 どうやって確かめるかなんて、なにも考えていなかった。
 とにかく実際に会って、その人となりを知りたかった。
 結局それは叶わないままリュイスちゃんの依頼は終わり……彼女との旅も終わった。
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