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第九章

9-17.猪豚人間

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 玲奈が火竜鱗の小盾を構える。前方から重い足音が近付き、仁たちは臨戦態勢を取った。禍々しさを感じさせる赤い光に照らされた洞窟の先から姿を現したのは、銀の甲冑を身に纏った猪頭の亜人だった。洞窟の外で出会った猪豚人間オークよりも一回り大きいその亜人は、手に身の丈ほどの大剣を持っている。亜人は血走った眼で玲奈をめつけ、大きく裂けた口からよだれを滴らせた。

「玲奈ちゃん、下がって!」

 生理的嫌悪感を覚えたのか、身を震わせて一歩後ずさった玲奈を庇うように仁が前に出る。亜人は憎々しげに目を細め、大口を開けた。耳をつんざく咆哮と共に、粘り気のある唾液が飛び散る。仁が魔剣を構えながら鑑定の魔眼を発動させると、視界の端に亜人の種族名が表示された。

「こいつが猪豚人間王オークキング――」
「仁くん!」

 仁の背後で玲奈の悲鳴が上がる。猪豚人間王オークキングの大上段からの斬撃が仁の脳天に迫っていた。仁は両手で魔剣の柄を握りしめ、真っ向から打ち合う。鈍い金属音が木霊した。二人の中間点でクロスした剣は、体格の差から下から支える形になった仁がギリギリと押され始める。単純な力比べでは分が悪いと判断した仁が体を横にスライドさせながら力を抜くと、力任せに振り下ろされた猪豚人間王オークキングの大剣が洞窟の地面を深く抉った。仁は間髪入れず剣を振りかぶり、胴鎧と小手の合間を狙って振り下ろす。丸太のような太い腕を切断された猪豚人間王オークキングが苦悶の叫びを上げて片膝をつくと、仁は冷静に横薙ぎに一閃し、首を刎ね飛ばした。

「ふう。ちょっと拍子抜けする感じだけど、これで終わりかな?」

 仁は息を吐きながら、剣をピシッと振るって付着した血を払う。

「簡単に言うが、猪豚人間王オークキングのあの一撃は並みの人間では受けられんぞ」

 苦笑しながらも、アシュレイは物言わぬ肉塊となった猪豚人間の、目を見開いたままの頭部を見据えて安堵の息を吐いた。

「仁くん、ごめんね……」
「うん。気持ちは分かるけど、ちょっとのことが命に関わることもあるから、気を付けてね」
「うん……」

 敵を前に及び腰になってしまったことを悔いる玲奈に、仁は猪豚人間王オークキングの醜悪さを思い出し、仕方がないと思いながらも注意を促す。玲奈の曇った表情に仁は罪悪感を覚えるが、玲奈のためだと心を鬼にする。こちらの世界に召喚された直後に比べれば玲奈は強くなったし、それが良いことかはさて置き、荒事にも随分耐性がついてきたが、今回のように隙を見せてしまえば命取りになってしまうこともある。仁は酷なことを言っている自覚はあったが、それでも玲奈を失うわけにはいかなかった。

「ジン。お前の気持ちもわかるが、大目に見てやれ。あの欲にまみれた奴の視線は女には耐え難いものだった。本能的に嫌悪をもよおす。傍から見ていた私でも、あわや身震いしてしまいそうになったほどだ。直接向かい合ったレナの気持ちも汲んでやれ」
「でも――」
「まあ聞け。お前の言っていることは正しいし、実際そうすべきだ。だが、人にはどうしようもないこともある。そういうときは、今回みたいにお前が守ってやればいい」

 アシュレイの言っていることはわかるが、仁はこれまで自身の意思の有無とは関係なく何度か玲奈と離れ離れになってしまっている。ずっと玲奈と一緒にいられるのが理想ではあるが、実際そうはなっていない以上、自身がいないときのことも考慮すべきだと仁は思っていた。仁が反論しようと口を開きかけたとき、仁の思いが言葉になるより先に玲奈が声を上げた。

「待って、アシュレイさん」

 仁とアシュレイの視線が玲奈に集まる。玲奈は二人に真摯な目を向けながら言葉を続けた。

「アシュレイさんの気持ちは嬉しいけど、やっぱり仁くんの言う通り、私の覚悟が足らなかったのがいけないんだよ。仁くんはいつも守ってくれるし頼りになるけど、それに甘えてばかりじゃダメ。そのことはわかってたはずなのに」
「玲奈ちゃん……」

 仁と並び立ちたいという玲奈の変わらぬ思いを仁は言外に感じ取る。玲奈の表情から沈んだ様子はすっかりと消え去り、決意がみなぎっていた。アシュレイが仁と玲奈を交互に眺めながら、してやったりと口端を吊り上げた。仁は先ほどのアシュレイの言葉が玲奈の気持ちを見抜いてのものだったことに気付き、やはり年長者は違うなと感心する。これが歳の功かと仁が考えていると、アシュレイが目を細めて眉間に皺を寄せた。

「ジン。何か失礼なことを考えていないか?」
「さ、さあ。何のことかな?」

 仁が誤魔化すように乾いた笑い声を上げる。アシュレイはしばらく仁を見据えていたが、諦めたように溜息をつき、地面に転がっている猪豚人間王オークキングの首に目を向けた。

「それにしても、猪豚人間王オークキングがあれほど女に飢えているとはな。いくら猪豚人間オークにメスが少ないとはいえ、この群れにメスがまったくいないというわけではないだろうに」
「うん? どういうこと?」
「ジンは知らなかったか? 猪豚人間オークは人に比べて本能に忠実な亜人の中でも特に性欲が強いが、オスに比べて極端にメスが少なく、あぶれたオスが他種族の女性を襲うという話も聞く。とはいえ、群れのトップたる猪豚人間王オークキングがメスにありつけないとは考えにくくてな」 

 仁は猪豚人間オークの習性を知り、玲奈たちをこの場に連れてきてしまったことを後悔するが、無事に猪豚人間王オークキングを倒せたことに内心で安堵の息を吐く。

「何事もなくてよかったけど、そういうことは先に――」
「ジンお兄ちゃん!」
「グルゥ!」

 腕に抱いたイムを撫でながら3人のやり取りを眺めていたミルが仁の言葉を遮るのと同時に、洞窟の奥から複数の足音と金属同士の触れる音が聞こえてきた。仁と玲奈、アシュレイは即座にそれぞれの武器を構え、ミルとイムの前に立ち塞がった。

迂闊うかつだった。ジンが猪豚人間王オークキングを圧倒したことで油断したが、まだ猪豚人間将軍オークジェネラルが残っていたな。洞窟の外で1匹も見なかったということは、ほぼ全ての猪豚人間将軍オークジェネラルがこの中に集まっていると考えるべきだった」

 アシュレイは整った顔に反省の色を浮かべるが、その表情はある種の余裕を感じさせるものだった。仁が猪豚人間王オークキングを圧倒した以上、強さが数段劣るはずの猪豚人間将軍オークジェネラルが複数残っていようが、大したことではないとアシュレイが考えるのは無理からぬことだった。その思いは皆も同じで、警戒はしているものの、どこか消化試合のような雰囲気が漂っていた。

「アシュレイ。油断は大敵だよ」
「ああ。わかっているさ」
「仁くん。来るよ!」

 足音が近付き、赤い光に照らされた仁の視界の内に複数の猪豚人間オークが現れた。猪豚人間オークは後から後から続き、仁たちの目の前で20匹を超える猪豚人間オークたちがニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべていた。

「思ったより数が多いな」

 やや警戒心を増したアシュレイを横目に見ながら、仁は違和感を覚えていた。

「じ、仁くん。何だかおかしくない? あの猪豚人間オークたち、さっき仁くんが倒したのと同じに見えるんだけど……」

 玲奈の言葉に、仁とアシュレイはハッと息を呑んだ。目の前に並ぶ猪豚人間オークたちは先ほどの猪豚人間王オークキングと同じくらいの体躯をしていて、差異はあれど、その誰もが金属製の武器と防具で武装していた。違うところと言えば、先ほどの猪豚人間王オークキングほど血走った目をしておらず、理性を感じさせるということくらいだった。

 仁が慌てて左目の魔眼を発動させたとき、猪豚人間オークたちの奥から、更に一回りは大きい個体が姿を現した。体長3メートルほどのその個体は他の猪豚人間オークとは顔つきも装備も、感じさせる魔力も一線を画していた。仁の視線が明らかに抜きん出た力を持つであろうその猪豚人間オークに吸い寄せられる。

猪豚人間皇帝オークエンペラー

 それが仁の魔眼によって判明した、巨躯の猪豚人間オークの種族名だった。
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