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第八章

8-24.感謝

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「えっと。要するに、ここ何日か、イムを檻から出して人に慣らそうとしていたら、いつの間にか芸を仕込んでいたと?」
「う、うん……。イムちゃんが芸だと思っているかはわからないけど……」

 仁が眉をハの字にしている玲奈からミルの腕の中に収まっているイムに視線を移すと、イムは少し不機嫌そうに細めた目を仁に向け、威嚇するように低く鳴いた。

「イムちゃん、めっなの!」

 ミルがとがめるように言うと、イムは頼りなさそうにグルゥと鳴いて頭を垂れた。仁は相変わらずの嫌われように苦笑いを浮かべるが、やはりミルには懐いているようで嬉しく思う。

「ジン殿。レナ様は本当にジン殿たちを心配して、何日もずっとダンジョンの前で待っていたのですよ」
「ロ、ロゼ! それは言わないでってお願いしたのに……!」
「レナ様、申し訳ありません。しかし、やはりレナ様がどれほど心配されていたか、ジン殿には知ってもらわなければいけません」

 玲奈は真っ赤な顔をロゼッタに向けるが、直後、仁の視線から逃れるように俯く。玲奈の頬と耳は更に茹で上がっていた。

「玲奈ちゃん。心配かけてごめん。それと、心配してくれてありがとう」

 仁の表情が自然と綻ぶ。恥ずかしさを耐えるように声にならない声を洩らしている玲奈を、心から愛おしく思った。それと同時に、自分の悩みを玲奈に悟られてはいけないと心に強く言い聞かせる。仁は今の玲奈との良好な関係を壊したくなかった。高鳴る胸の鼓動を無視し、努めて普段通りを装う。

「玲奈ちゃん。もう一度見せてほしいな。イムを頭に乗せるやつ」

 仁が微笑みながら言うと、玲奈は少し悩んでから小さく頷いた。顔を上げた玲奈がイムを抱きかかえているミルに目を向ける。

「ミルちゃん。ちょっとだけイムちゃんを貸してね」
「はいなの!」

 仁と玲奈のやり取りを聞いていたのか、ミルは赤紫の瞳をキラキラと輝かせ、イムを両手で玲奈に差し出す。

「じゃあ、イムちゃん。お願いね」

 玲奈はミルから受け取ったイムを大切そうに抱きかかえてから床にそっと下ろす。玲奈がイムの小さな頭頂を指の先で撫でると、イムは玲奈に目を向けながら長い首を傾げた。

「はい、イムちゃん!」

 玲奈が人差し指で自分の頭をつんつんと突くと、イムは合点がいったのか、元気よく一鳴きして翼をはためかせた。周囲に穏やかな風を巻き起こしながら、イムが玲奈の頭上に静かに降り立つ。綺麗に着地を決めたイムがまだ小さな翼を大きく広げた。

「ど、どうかな?」
「うん。すごいね」

 照れたように上目遣いで仁を窺い見る玲奈に、仁は笑顔を見せた。仁の横でミルが手を打ち合わせて喝采を送る。そんな二人の様子に、玲奈は恥ずかしくも嬉しそうにはにかんだ。

「あ、あのね、練習したのは私だけじゃないんだよ。見ててね」

 玲奈がそう言って隣に立つセシルにチラッと視線を送る。セシルは緊張の面持ちで小さく頷くと、玲奈がしたのと同じように頭を突く。

「イ、イムさん!」

 呼ばれた声に反応して、イムが玲奈の頭頂を飛び立つ。バサッと大きく羽ばたきながら、イムはセシルの頭上に勢いよく降り立った。セシルが反射的に身をかがめ、両肩がビクッと震えた。

「なんだか玲奈ちゃんのときより雑な気がするんだけど」

 仁が素直な感想を口にすると、セシルは苦笑いを浮かべた。流れ的に次はロゼッタかと仁の視線が動くが、ロゼッタは激しく首を左右に振った。

「じ、自分は遠慮するであります!」

 ロゼッタの口調がおかしかった。仁はロゼッタのドラゴンに対する恐怖心がすぐには消えないのは仕方がないと思っているため、申し訳なさそうにしているロゼッタに気にしなくていいと温かな視線を送る。イムを檻から出しているこの場にいるだけでもロゼッタが仁やミルの意を汲もうと頑張ってくれていることが伝わり、仁は感謝の念を抱いた。イムを人に慣らそうと言い出したのは仁自身ではあるが、自分がいない間に玲奈がイムとここまでの関係を築くとは思っていなかった。仁が玲奈の順応性の高さに驚いていると、ミルが元気よく手を上げた。

「ミルもやりたいの!」

 ミルが輝く瞳をイムに向けた。ミルの見上げる視線を受けたイムがセシルの頭の上から乱雑に飛び降りると、ミルの前で困り顔を浮かべた。キュルルゥと情けない声を上げるイムに構わず、ミルは自身の頭を人差し指で突く。

「はい! イムちゃん!」
「キュ、キュル!」

 イムは地下室の床に足を付けたまま、長い首の先の小さな頭を必死に横に振る。小振りな両手をわたわたと動かし、何かを訴えるようにキュルキュルと鳴いた。

「イムちゃんが乗ってくれないの。イムちゃんに嫌われちゃったの……」

 ミルが寂しそうに呟くと、イムの鳴き声が一層切羽詰まったものに変わった。仁は首を傾げながら、ミルの頭を優しく撫でた。イムがやりたがらない理由はわからなかったが、仁の目にはイムの様子がミルを嫌ってのものには見えなかった。

「もしかしたら、イムはミルの頭に乗るには重すぎると思っているのかもしれないね」
「ミルは大丈夫なの……」

 ミルは泣き出しそうな瞳をイムに向ける。イムは困ったように首を縮こまらせていた。

「やっぱりミルは嫌われちゃったの……」
「ミル。それは違うよ。いいかい、よく見てて。イム!」

 仁はミルの頭から手を離し、自身の頭を指で突きながらイムに呼びかける。イムは渡りに船と勢いよく仁に顔を向けたが、一瞬の硬直の後、憎々しげに眼を細めた。

「グルルゥ……!」

 低い声を出すイムに、仁は大きく溜息を吐いた。仁はまなじりを下げながら、睨むイムからミルに目線を移す。

「ミル。嫌われているっていうのはこういうのを言うんだよ……」

 こうなることを予想してやった仁だったが、ミルの申し訳なさそうな表情が仁の心をえぐったのだった。



 その後、仁と玲奈たちは改めて再会を喜び合い、離れていたときのことを報告しあった。それから仁たちの帰還を知ったリリーが屋敷を訪れ、ルーナリアとサラの帰りを待ってささやかながら祝いの席が催された。

 悩みを抱えるロゼッタのこと、ダンジョンで起こった異変のこと、ミルの膝の上で焼いた肉に噛り付くイムのこと、いずこかへ飛び立ったまま未だ帰還の兆候を見せないドラゴンのこと、今もこの世界で生きているというかつての仲間のこと、ことある毎に仁に向けてにっこりと微笑むリリーのこと、そして玲奈のこと。いろいろと考えなければならないことはあったが、新たな出発を数日後に控え、今は無事に皆と一緒に過ごせているという幸せに感謝しようと仁は思ったのだった。
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