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第八章

8-21.被り物

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 その夜、仁は自分の気持ちの整理を付けられないまま、寝付けない夜を過ごした。夜番の前に仮眠を取っていたため、翌朝、若干の気だるさは感じていたものの地上への道中に支障をきたすほどではなかった。テントなどを片付けて出発の準備が整うと、仁は自身の悩みを一旦棚上げして気を引き締める。ダンジョンで何が起こっているか分からない以上、注意を怠るわけにはいかなかった。

 一行は帰路につく前に再び横穴前まで訪れて様子を探ったが、特におかしなところは見られず、魔素の濃度もダンジョン内の一般的なフロアと変わらないようだった。既にダンジョンの一部と化してしまったような洞窟を何とも言えない表情で見つめた後、一行はガロンの掛け声に合わせて横穴の入口に背を向け、地上に向けて出発した。

 普段上層にしか出入りしないサポーターの少女たちは未知の領域にビクビクとしていたが、仁が往路と同様に現れた魔物を瞬殺していく光景を目の当たりにし、次第に緊張を緩めていった。少女の一人は一際瞳をキラキラと輝かせて羨望の眼差しで仁の背中を見つめていたが、視線に気付いた仁が振り向く度にサッと目を逸らしたのだった。

 サポーターの少女たちを連れての行軍は行きに比べれば遅々としたものだったが、安全に着実に地上を目指した。道中、仁は少女たちが今回の件がトラウマにでもなってしまったらサポーター業ができなくなって生活に困るのではと心配していたが、仁たちが倒した魔物を勇んで解体する少女たちの姿に、杞憂だったかとホッと胸を撫で下ろした。

 そうして特に問題が起こることなく12階層の安全地帯を出発してから3日の時が過ぎ、一行は無事地上へと帰り着いた。捜索隊もその場で解散し、仁はヴィクターたちからの何度目かになる感謝の言葉を受けてからミルと共に屋敷へ向かって歩を進めた。

 ミルは9日ぶりにイムに会えるのがとても嬉しいようで、道すがら、会わない間にどれだけ大きくなっているかと楽しそうに想像を働かせていた。ドラゴンの成長速度は不明ではあるものの、仁はこれまでの様子から推測してそれほど変わっていないのではと思っていたが、無粋なことは口にしなかった。イムに跨って空を飛ぶ様を夢想して顔を綻ばせているミルの手を引きながら、仁は玲奈と顔を突き合わせた際、どんな表情をすればいいのか頭を悩ませる。ダンジョン内では意識的に棚上げしていたため、結論など出ているはずがなかった。仁は盛大に溜息を吐いた。

「ジンお兄ちゃん。どうかしたの?」

 クリッとした丸い瞳が仁をきょとんと見上げていた。

「ううん。何でもないよ」

 不思議そうに見つめるミルに微笑を返してから、仁はこっそりと苦笑いを浮かべた。これから玲奈と会えるという状況で、顔を合わせづらいというほんの僅かでもマイナスの感情を抱くことになるなんて想像もしていなかった。元の世界ではイベントに落選したときの喪失感も果てしなかったが、その分、運よく当選した場合、玲奈に会えるというだけで何日も何日も舞い上がっていたものだった。それだけ、玲奈と日常的に交流できるという今の環境が、仁にとってある意味異世界にいるという現実以上に異常な状態であるように思えた。

 こうした状況が玲奈に対する思いに変化をもたらしたのか、それともヴィクターの言うように自身の気持ちを偽っているだけなのか。仁の悩みは尽きない。一つだけ確かなことは、これまでの気持ちがどうであれ、自分の心に疑問を抱いてしまった以上、今までと同じではいられないということだった。仁は再びミルに見つからないようにこっそりと溜息を吐くと、間近に迫った屋敷の門を見つめたのだった。



「ただいま」
「ただいまなの!」

 仁とミルが玄関のドアを潜って声を上げると、シルフィとココが駆けつけて笑顔を見せた。仁は玲奈の顔が見えないことに少しだけホッとする反面、出迎えてくれなかったことを寂しく思い、都合のいい自身の気持ちに内心で苦笑いを浮かべた。

「レナ様でしたら、ロゼッタ様、セシル様と地下室におられます」

 仕事中だからと仁に抱き付きたい気持ちを我慢しているのか、もじもじと膝の内側を擦り合わせているココの横で、シルフィは仁の疑問に先回りして答える。仁はシルフィに感謝の言葉を告げながら地下室に足を向けた。屋敷に地下室はいくつかあるが、魔法陣の置いてある地下室は研究室と呼んでいるため、この場合の地下室はイムの檻がある部屋のことだった。

 イムに餌やりでもしているのかと思ったが、昼食にしては遅く、夕食にしてはまだ早いという中途半端な時間だったため、仁は首を傾げながら重たい地下室の扉を押し開ける。イムと会えるのが待ち遠しいのか、僅かな隙間からミルが地下室の中へ滑り込んだ。仁はミルの小さな背中を笑顔で眺めながら、自身も地下室へ足を踏み入れる。

「玲奈ちゃん、ただい――」

 仁は口を中途半端に開けたまま固まり、言葉が途切れた。仁に先んじて部屋に入ったミルも仁の数歩先で動きを止めていた。

「ジン殿! ミル様!」
「あ、ジンさん、ミルさん! ご無事で!」

 イムの檻の前でロゼッタとセシルが歓喜の声を上げるが、仁とミルの意識はある一点に集中していた。ロゼッタとセシルの声で仁たちに気付いたのか、檻の前に腰を下ろしていた玲奈が首と腰を回して素早く背後を振り返る。玲奈は頭に竜の被り物を乗せていた。

「ジンくん! ミルちゃん!」

 玲奈は満面の笑みを浮かべていたが、振り落とされないように小さな手で玲奈の頭に掴まっていた被り物がグルッと抗議の鳴き声を上げると、その表情を一変させた。

「あ、ち、違うの!」

 わたわたと手を動かし、急激に紅潮した顔で口をパクパクさせている玲奈の頭上から、竜の被り物――イムがふわっと飛び上がり、硬直を解いて駆け寄るミルの小さな腕の中に納まる。ミルはイムと玲奈を交互に見遣り、キラキラと瞳を輝かせていた。

「イムちゃんがレナお姉ちゃんに乗ってたの!」

 仁の予想通り、イムの大きさはほとんど変わっていなかったが、ミルはそんなことはどうでもいいようだった。ミルはイムを両手で頭上に掲げ、くるくると楽しそうにその場で回転を始めた。

「じ、仁くん、違うの……!」

 耳まで真っ赤になった玲奈が目の端に涙を湛えて仁を上目遣いで見上げる。悪戯の見つかった子犬が飼い主の機嫌を窺うように肩を丸める玲奈を、仁はただただ可愛いと思ったのだった。
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