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第六章

6-21.対峙

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「ここで大丈夫です。ありがとうございました。襲われないように商隊のところに戻っていてくださいね」

 玲奈は御者に声をかけて、馬車が止まると同時に素早く降りる。ミルとロゼッタも玲奈に続いた。そのまま村に向かって駆け出す。

 強い力で押し倒されたように壊れた柵を横目に捉えながら、玲奈たちは村の敷地内に足を踏み入れた。息を潜め、周囲に気を配りながら慎重に進む。木造の平屋の家々に多く残された真新しい痕跡からも、村が魔物に襲われたのは疑いようのない事実に思えた。

 村の中央に近付くにつれて、魔物のものと思しき唸り声に混ざって、何かを引きずるような音やグチャグチャと気味の悪い音が聞こえてきた。玲奈は眉をひそめながら、そっと物陰から顔を出す。それと同時に若い女性の悲鳴が玲奈の耳に届いた。

「や、やめて……!」

 懇願するような声の元に、玲奈の視線が吸い寄せられる。直後に赤子の甲高い泣き声が響いた。肩口に鋭い牙を突き立てられて引きずられている母親らしき女性の手から、銀の狼が赤子を取り上げようとしていた。足を咥えられた赤子を、母親が必死の形相で抱きかかえている。

氷弾アイスバレット!」

 玲奈は反射的に物陰から躍り出て、突き出した左手から氷弾アイスバレットを放った。唸りを上げて直進する氷の弾丸が、赤子を咥えた銀狼シルバーウルフの首元を貫く。鮮血が噴きだし、銀の体躯がその場に崩れ落ちる。玲奈が一陣の風のように駆け、右手の銀灰色ぎんかいしょくの剣で母親に牙を立てている銀の首を斬り落とした。ミルとロゼッタが玲奈の左右を固め、母娘を庇うように立つ。

「あ、ああ、私の赤ちゃん……!」

 母親が牙の刺さったままの衰弱した体で再び赤子を掻き抱く。周囲から、グチャグチャと鳴るおぞましい音以外の音が消えた。

 玲奈は周囲に目を向け、思わず左手で口元を覆う。広場の中央に山積みにされた瀕死の村人たちが、輝くような金色の体毛を持った一際大きな狼の魔物に生きたまま喰われていた。その魔物は虎やライオンを優に上回る体躯を誇り、人を丸のみにできるほどの大口を村人の山に突っ込んでいた。視界に飛び込んできた予想以上に凄惨な光景に、玲奈は目をこれでもかと見開き、喉の奥から込み上げてくる吐き気を、必死に飲み下す。目の端から涙が溢れ出た。

「レナ様」
「う、うん。大丈夫……」

 玲奈は蒼白になった顔で弱々しく答える。今は嘆いている時ではなかった。玲奈たちに注意を向けることなく食事を続ける巨躯の魔物の他に、辺りには多くの狼型の魔物が存在していた。一対を除いて、全ての双眸が玲奈たちに向いていた。

「ミルちゃん」

 ミルは無言で小さく頷き、母親の肩から銀狼シルバーウルフの牙を抜いて回復魔法による治療を始める。玲奈たちを観察するかのように動きを止めていた金と銀の狼たちの口々から唸り声が溢れだした。

「レナお姉ちゃん。あれはきっと、金狼ゴールデンウルフの王様なの。とっても強いの」

 治療を終えたばかりのミルが、視線を金色の巨体に固定したまま告げる。おそらく冒険者だった両親から聞いたことがあるのだろう。ミルの硬い声に、玲奈は表情を曇らせる。

「あっちにいる普通の金狼ゴールデンウルフも、銀狼シルバーウルフよりすっごく強いって、おとーさんが言ってたの」

 玲奈は仁なしでこの場を切り抜けられるのか、不安を感じていた。玲奈たちにとって幸いなことに、金狼の王は動く気配を見せていなかった。玲奈の視線がチラッと村人の山に向く。

「ミルちゃん、あの人たちは……」

 玲奈の問いに、ミルは弱々しく首を横に振った。回復魔法は対象者の魔力に干渉して肉体自体の持つ自然治癒力を高めるものであるため、あまりに衰弱した人や魔力の枯渇した人を治すことはできない。回復魔法の使い手が優れた魔力操作能力を持つ場合、対象者の魔力の代わりに使い手自身の魔力を用いることで治療することができる場合もあるが、今のミルには不可能なことだった。玲奈は苦渋の決断を下す。

「ロゼは母娘の護衛をお願い。私とミルちゃんで、ボス狼が動き出す前に他の金銀の狼を倒すよ」
「わかったの」
「お任せください」

 玲奈たちが武器を構えた瞬間、いつの間にか玲奈たちの背後に回っていた銀狼シルバーウルフ3匹が跳びかかる。ロゼッタが振り向きざまに亜竜の槍ワイバーンスピアを突き出すこと3回。絶命した3匹分の死骸が地に落ちた。

「行くよ!」

 玲奈の掛け声を合図に、ミルが飛び出す。ミルは狼たちの間をつむじ風のように駆け回りながら、すれ違いざまに血喰らいの魔剣ブラッドイーターで首筋を切り裂いていく。ミルが斬り逃した銀狼シルバーウルフは、玲奈の放つ氷弾アイスバレットで次々と貫かれていった。

「きゃっ」

 突然悲鳴が上がり、物陰から姿を見せた青髪の少女が尻餅をついた。少女を追うように、一匹の金狼ゴールデンウルフが同じ物陰からゆっくりと姿を現す。少女は左手に持った杖を地面に突いて立ち上がろうとするが、それより早く金狼ゴールデンウルフが牙を剥く。

氷弾アイスバレット!」

 3連続で放たれた氷の弾丸が鋭く回転しながら少女の前の金狼ゴールデンウルフの鼻先に迫り、金狼ゴールデンウルフは横っ飛びして回避する。氷弾アイスバレットを放つと同時に距離を詰めた玲奈が、少女の鎧に指をかけて引きずりながら一気に後退した。

 憎々しげな視線を玲奈に向けた金狼ゴールデンウルフの赤い目が妖しい光を放つ。鋭い牙を生やした口が大きく開かれるのと同時に、玲奈は左腕の毒蛇王の小盾バジリスクマジックタージェの鱗部分を展開させた。金狼の口から放たれた金色の雷撃が盾にぶつかり、バチバチと音を立てた。

「ロゼ、そのもお願い」
「承知しました」

 少女は放心したような視線を玲奈に向けていた。玲奈がミルの様子を窺うと、数匹の金狼ゴールデンウルフ相手に切り結んでいた。ミルの魔剣と金色の長い牙のぶつかる甲高い音が辺りに響いている。既に動いている銀狼(ジルバーウルフ)はいなかった。

「ミルちゃん!」

 ミルは魔剣に魔力を込めて渾身の一撃を放つと、大きく後ろに跳び上がる。上空のミル目掛けていくつも雷撃が放たれるが、ミルは赤黒い血の刃で切り払った。そのまま玲奈の横に着地する。それと同時に、ミルの魔剣の一撃を受けた1匹の牙が、鈍い音を立てて半ばから砕けて地面に落ちた。

 玲奈たちは再び金狼ゴールデンウルフたちと対峙した。玲奈は決して勝てない相手ではないと希望を抱く。その瞬間、玲奈は心の底から、ぞわりと寒気を感じた。金狼の王の燃えるような真紅の双眸が玲奈たちに向いていた。その瞳は、まるで希望など存在しないと主張しているようだった。

 巨躯がのそりと持ち上がる。金狼の王は口元を赤黒く染めたまま、ゆっくりと広場の中央に足を向けた。それと入れ替わるように、数匹の金狼ゴールデンウルフたちが顔を地に付けながら後退していく。玲奈たちは金縛りにあったかのように動きを止め、巨躯と対峙するのをただ待つことしかできなかった。
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