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第一章

1-12.出発

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 仁と玲奈は、二人揃って暗闇の中に新たな一歩を踏み出した――はずだった。四方を平らに固められたトンネルのような長い通路に、足音が反響していた。

「ねえ、仁くん」
「何かな、玲奈ちゃん」

 真っ直ぐ前だけを見て進む。決して振り返ってはいけないという制約があるわけではない。

「全然暗くないんだけど……」
「奇遇だね。俺もそう思うよ。何でかな……」

 二人の周囲に暗闇なんてなかった。

「私が照らしているからですが、何か?」

 我慢できずに二人が揃って振り向く。

「「何でいるんですか!?」」

 二人の気持ちは一つだった。

「え。灯りは必要ないのですか。それは失礼しました」

 そう言うとシックなメイド服に身を包んだ長身の女性は、手に持った魔道具の使用を止めた。周囲から光が消えた。まごうことなき暗闇だった。

「「いります!」」
「では」

 二人の周囲に灯りが戻った。メイドの気だるげな瞳がキラリと光った気がした。

「こちらが携帯用の照明の魔道具です。はい、どうぞ」
「あ、はい。ありがとうございます」

 おもむろに手渡され、思わず受け取ってしまった。その魔道具は松明に似た造りをしており、手で持つための金属製の棒の上部に、光を放つ核が設置されていた。メイドに促され、歩みを再開する。当然のようにメイドも後に続く。

「えっと、サラさん、でしたか?」
「はい。ルーナ様付きのメイド長のサラです。勇者様に名前を憶えていただけるなんてとても光栄です」

 サラがとても光栄じゃなさそうな無表情で玲奈に答えた。

「あの、すごく言いにくいのですが……」
「なんでもおっしゃってください。メイドの矜持にかけて、可能な限り要望にお応えいたします」
「要望っていうか……」

 玲奈が言いよどむ。玲奈でなくても、誰でもこの質問をするには勇気がいるに違いない。

「えっと、なんで付いてくるんですか?」
「はい。お二人が脱出された後、この通路の出口を塞ぐためです。中からしか閉じられないようになっておりますので」
「あ、そうなのですね」

 理由がわかって玲奈が安堵の息を吐く。

「レナ様、心配なされずとも大丈夫ですよ。レナ様がジン様の隣を歩きたい旨は重々承知しております。わたしはこのまま後ろを付いて行きますので、存分にご堪能ください」
「き、聞かれてた……!」

 玲奈が狼狽している。

「ち、違うんです! 物理的な意味じゃなくて、精神的にっていうか!」
「ああ、はい。わかっていますよ。それはそうと、ジン様」
「聞いて……!」

 サラは玲奈の懇願を華麗に聞き流して、矛先を仁に向けた。

「は、はい。なんでしょう」

 声に緊張が混ざった。

「ジン様はここを出た後、どちらに向かわれるおつもりですか?」
「え、それは……」
「召喚されてまだ2日足らずと、仕方ない部分もあるでしょう。ですが、周辺の地理はもちろん、これから目指すべき場所も、向かってはいけない場所も、何も知らずにどうされるおつもりなのですか? 当面の食糧は準備しましたが、それでこの先、生きていけるのですか?」

 言い返す言葉が浮かばない。自然と視線が下を向く。

「ジン様もレナ様も、ついでにルーナ様も、ご自身の立場や境遇に酔っていらっしゃいませんか? もっと地に足を付けて堅実に歩まれませんと――あ、いえ、何でもありません」

 何でもなくなかった。無表情と抑揚のあまりない口調が、淡々と、心の傷口を深く抉ってくる。甘く考えすぎていたのかもしれない。

「というわけで、これをどうぞ」

 変わらない調子のサラから1枚の紙を受け取る。

「一部の主要な街道と国、都市の大まかな場所が書いてあります」
「あ、ありがとうございます!」
「それで、この後向かわれる場所ですが、こちらがよろしいかと」

 サラの指先を追う。帝都から東に真っ直ぐ進んだ街だ。

「自由都市メルニール?」
「はい。帝国の領内で唯一、帝国の権力から影響を受けない街です。お二人には身分証が存在しないため、まずはそちらで冒険者か探索者などのギルドに登録されるのがよろしいかと。ヴォルグ様と引き分けられる実力であれば、不自由なく暮らすことも容易でしょう」

 かつて召喚されたときにも冒険者と呼ばれる人たちはいたが、登録制でもなければ、そもそもギルドというもの自体が存在しなかったはずだ。探索者は聞いたこともなかった。

「詳しいことは無事に着いてから現地で聞いてください。その後どうされるかはお二人次第ですが、ルーナ様との約束だけは忘れないでくださいね」
「ええ。何があっても生き抜いてみせますよ」
「うん!」

 無表情のサラの目じりが、わずかに下がったような気がした。



「さて。随分かかりましたが、ここが出口です」

 一見行き止まりに見えるが、隠し装置を使って開閉するようだ。使い方を知っているサラに任せ、成り行きを見守っていると、車庫のシャッターが開くように、下に生まれた隙間が徐々に上へと広がっていった。

「では、ここでお別れですね。ジン様、レナ様。お二人の無事を祈っております」
「はい。サラさん、いろいろありがとうございました」
「ルーナとシルフィさんにもよろしくお伝えください」
「はい。承りました」

 別れの言葉を済ませ、仁と玲奈が出口から出る。そこは滝の裏の小さな洞穴になっているようで、水が流れ落ちる音が聞こえた。サラが出口を閉めようと隠し装置に手を掛けた。

「あ、サラさん、これ!」

 仁がサラから借りていた照明の魔道具を手渡そうとする。

「それはジン様がお持ちください。今後何かで必要になるかもしれません」
「でも、それだとサラさんが困るのでは」
「そうですよ! 暗闇をずっと歩くなんて無理です!」

 玲奈が最初の態度を棚に上げた。心配する二人を余所に、サラの無表情は崩れない。

「心配には及びません。光源ライト

 サラの右の手のひらの上に、バレーボール大の光の球が現れ、通路内を白く照らした。

「え!」

 玲奈が驚きに目を見開く。まさかの無詠唱だった。

「ああ、そういえば、レナ様も確か光魔法の技能をお持ちだとか。であれば、その魔道具は必要ないかもしれませんね」
「ま、まだ使えません……」
「そうですか。それではそのままお持ちください。ではこれで失礼いたします」

 そう言ってサラが通路の出口を塞ぐ。最後に見えたサラの気だるそうな無表情が、どこか得意げに見えたのは気のせいだろうか。
 サラの姿が岩壁の向こうに消えると同時に、玲奈が仁の方を向いた。

「仁くん。私に魔法を教えて!」

 玲奈の可愛い声が、洞穴に木霊した。
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