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最終章

21-52.送還

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 必死に我慢していた思いの丈をぶちまけて泣き叫んでいたミルだったが、やがて静かな嗚咽へと変わっていく。しかし、それでも仁と玲奈を抱きしめる力だけは一向に弱まる気配を見せなかった。

 その場の皆も涙を流しながら、抱き合う3人を見つめている。もちろん誰も帰還を急かすようなことはしないものの、いつまでもこうしているわけにはいかないと仁は思う。何より、真っ直ぐなミルの想いは、仁自身の決意を鈍らせてしまいかねないほど、仁の心を揺さぶっていた。仁はミルが多少落ち着いたのを見計らい、そっとミルの背中に回していた腕を解く。

「ミルに渡したいものがあるんだ」

 仁がそう囁くと、ミルの犬耳がピクリと動いた。ミルは仁の言動から離れてほしいと言われているのだと察したのか、いやいやと小さく首を左右に振りながら、一層強く二人を抱きしめる。

「ミル。それを渡したからって、すぐにいなくなったりしないから」

 ミルを安心させようと仁が背中をポンポンと軽く叩くと、ミルは名残惜しそうにしながらも抱擁という名の拘束を解き、一歩だけ離れた。改めて正面から見たミルの顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。先ほど、ミルは可愛くないと評したが、仁はとても愛おしく感じた。

「ミル。これを……」

 仁はアイテムリングから一振りの剣を取り出し、魔道具の鞘ごとミルに差し出す。

「ミルが大きくなったとき、もしかしたら剣も使うようになるかもしれない。そのときにはミルにこの剣を使ってほしいんだ。もちろん、必ず使えっていうわけじゃない。ミルが必要なければ、誰か信頼できる人に渡してもいい」

 ミルが剣を見つめ、戸惑いを見せる。柄の部分も合わせればミルの身長と大差ない長さのそれは、ミルにとって忘れられない剣だった。

「その魔剣は、ジンお兄ちゃんのなの……」
「うん。確かに俺の剣だ。だけど、ミルのおかげで直ったこの剣は、元の世界では使うことができないものなんだ」

 過去の送還時を思えば、アイテムリングに収納した状態であれば元の世界に持ち帰ることはできるだろうが、取り出すことはできない。それに、もし仮に取り出せたとしても、元の世界で剣を所持していることが知られれば銃刀法違反で捕まってしまう。

「元の世界には不死者どころか、魔物もいないからね」

 行くところに行けば元の世界にもこの世界の魔物に似た危険な動物はいるが、仁が普通に暮らしていれば、近くの動物園から脱走でもしない限り遭遇することはない。

「だから、受け取ってほしい」

 仁がジッとミルを見つめていると、ミルがおずおずと手を伸ばす。指が剣に触れる直前、ミルは一旦動きを止め、一拍後、何事かを決意したかのような引き締まった表情で受け取った。

「ジンお兄ちゃんと同じくらい大切にするの」

 ミルが身の丈ほどの剣を胸に抱く。仁としては、この剣を自分の代わりのように思ってもらえればという思いが全くなかったわけではない。けれど、ミルはそうは受け取ってはいなかった。ミルが仁の思いを察したかどうかはわからない。しかし、仁は自分の代わりには誰も、何もなれないのだと言われたような気がして、申し訳なさと共に、心が温かくなるのを感じた。

「あ。そうだ、ミル。もし他の人に渡すなら気を付けてね」
「大丈夫なの。この剣は誰にも渡さないの。早く大きくなって、ミルが使うの」

 仁からミルに譲られた剣。それは不死者を滅せし者のみが振るうことを許されるという魔剣。その名は“不死殺しの魔剣イモータルブレイカー”。

「仁くん、ずるい!」
「な、何が!?」

 ミルと見つめ合っていた仁は突然の非難するような大声に驚き、慌てて声のした方を向く。すると、赤い目で頬を膨らませている玲奈が出迎えた。玲奈は仁に向かって両の手のひらを差し出していた。

「出して」
「何を……?」
「私の盾!」

 首を捻っていた仁だったが、そこまで聞けば玲奈の言いたいことは丸わかりだった。仁はすぐさまアイテムリングから玲奈の小盾タージェを取り出し、催促する玲奈に手渡す。玲奈がミルに向き直り、この世界で愛用してきた円形の小ぶりな盾を差し出した。

「ミルちゃん。これも受け取ってくれないかな。もちろんミルちゃん自身が使わなくてもいいけど、そのときはミルちゃんや大切な人たちを守ってくれる人に渡してほしいな」

 玲奈は笑みを浮かべていたが、一方のミルは僅かながらに困惑の表情を見せていた。

「レナお姉ちゃん。お気持ちは嬉しいけど、ミルはもう持てないの……」

 ミルの返答に愕然とした玲奈が勢いよく首を回し、仁を睨みつける。その瞳には再び薄っすらと涙が浮かんでいた。

「れ、玲奈ちゃん、違うから! 今は物理的に持てないだけで、受け取れないっていう意味じゃないから! ねっ、ミル」

 ミルが魔剣を抱きしめるように持ったまま、こくこくと頷く。

「ミル様。自分が剣をお預かりします」

 ロゼッタが苦笑の成分を含んだ微笑みを浮かべて申し出ると、ミルはホッとした様子で魔剣を託した。使用者に資格を求めるタイプの魔剣だが、振るうようなことをせず、ただ持つだけなら特に害はない。

「レナお姉ちゃん、ありがとう。大切にするの」

 ミルが大事そうに盾を抱く。玲奈も満足げな表情を浮かべ、仁は内心で安堵の息を吐いた。その後、ミルが剣と盾をロゼッタと交換したのを目の当たりにした玲奈が「確かにミルちゃんの戦闘スタイル的に盾は邪魔かもしれないけど……」と小声で呟いていたが、仁は聞かなかったことにした。

「名残惜しいけど、玲奈ちゃん、そろそろ行こうか」

 一連のやり取りで弛緩していた空気が一瞬で張り詰めたものへと変わるが、そこにあるのは悲しさだけではなかった。仁がミルの足元に屈みこむ。

「イム。ずっとミルに寄り添ってくれてありがとう。これからもミルと一緒に大きくなるんだぞ」

 仁は手を伸ばし、イムの頭を撫でる。その間、イムは抵抗することなく大人しくしていた。

『なんだかイムだけ適当な感じがするの』
「そんなことないよ。俺はイムが大好きだから」

 仁が撫でるのを止めて抱き抱えようとすると、イムは即座に飛び上がり、仁の頭を軽く一蹴りしてから玲奈の胸に飛び込んだ。

『レナお姉ちゃん。ミルちゃんのことはイムに任せるの』
「うん、お願いね」

 ミル以外にはあまり甘えることのなかったイムが、玲奈に頬ずりをしていた。期せずして、仁は先ほどの玲奈はこんな気持ちだったのかと思い知ることになったのだった。



「こちらはいつでもいいわよ」

 皆と再度の、そしてコーデリアとも別れの挨拶を交わした後、仁と玲奈が勇者召喚魔法陣の中央に立った。コーデリアとシルフィが魔法陣の傍らに、他の皆は少しだけ離れたところに並んでいる。

 仁はコーデリアにもう少しだけ待ってほしいと頼むと、アイテムリングを指から外し、チェーンのネックレスに通して首から提げた。その様子を見ていた玲奈も、耐毒の指輪をネックレスに取り付ける。

 玲奈の指輪はアイテムリングと違って世界の壁を越えた実績はないが、玲奈の期待通りになった場合を考えると指輪をしているわけにはいかない。仁と玲奈がこれから戻る握手会では、ファンも指輪など手に付けるアクセサリーは事前に外すようアナウンスされるし、当然、玲奈もしていない。

 それまでしていたネックレスの先端に急に指輪が現れると、気付いた人にはそれはそれで不可思議な現象に思われてしまうかもしれないが、イベント自体が撮影禁止のため、もし指摘されても勘違いで済ますことができる。

 もっとも、諸々の整合性を考えれば耐毒の指輪を身に着けたまま帰るべきではないのだが、それは玲奈が譲らなかった。

「あ、仁くん」
「どうかした?」
「どうしようもないんだけど、腫れた目で大丈夫かな? 今更だけど、メイクとかもしてないし、前髪も……」
「あー……」

 仁は玲奈の顔と髪を眺める。ノーメイクでも目が腫れていても前髪がバッチリ決まっていなくても玲奈は可愛いと仁は思っているが、そういう問題ではない。

「たぶん大丈夫だと思うけど、もしものときは何とか頑張って誤魔化して」
「そんなの無理だよ!」

 前回の帰還時も特に髪が伸びていて驚かれるようなことはなかったため、仁は身に着けているものと同じように世界の謎の力で辻褄合わせが行われたのではないかと思っている。玲奈は相当焦っていたが、仁がその辺りを説明すると無理やり納得することにしたようだった。

「じゃあ、玲奈ちゃん」
「うん」

 仁と玲奈は揃って皆の方を向いた。魔剣を胸に抱いたミルを中心に、イム、ロゼッタ、リリー、アシュレイが並んでいる。皆、大なり小なり、今にも泣き出しそうな顔で微笑んでいた。

「みんな、元気で!」
「今まで本当にありがとう!」

 仁と玲奈が涙と笑顔で見送ってくれる皆に最後の別れの言葉を投げかけると、皆がそれぞれに応じる。そのすべてに優しさと温かさが込められていて、仁はこの世界に召喚されたことを心から嬉しく思った。

 過去の召喚も含め、楽しいことばかりではなかった。今だって寂しさが完全になくなったわけではない。それでも仁は、この世界に召喚されて良かったと、皆に出会えて良かったと思った。

「俺は、みんなのいるこの世界が大好きだ!」
「私も大好き!」

 自然と笑みがこぼれていた。

「コーディー、シルフィさん、お願い!」

 仁はコーデリアとシルフィが頷くのを確認すると、魔法陣の中央で玲奈と向かい合う。仁の差し出した手を玲奈が優しく包み込んだ。魔法陣が淡く光り、幾何学模様が青白い輝きを放つ。

 円形の輝きがせり上がり、魔法陣の外と中が光のカーテンで区切られたかのように仁は感じた。仁と玲奈の名を叫ぶ皆の声が、どこか遠くなったような気がした。

「仁くん」

 大好きな声が、玲奈の想いが、耳からだけでなく、握られた手を通じて全身に染みわたっていく。

「仁くんと一緒で、本当に良かった」
「俺の方こそ、玲奈ちゃんと一緒で幸せだった」

 魔法陣の輝きが増していく。光の奔流が二人を飲み込んだ。目の前にいるのに、手の温もりは感じるのに、大好きな顔が滲んで見えた。体が、魂が光に引っ張られるような浮遊感を覚える。

「私は仁くんのことが――」
「俺は玲奈ちゃんが――」

 光が一際輝きを放ち、やがて消えた。こつんと、何かが落ちた音が響く。



 薄暗さの戻った白亜の城の地下室の真ん中で二つに割れた魔法陣。その亀裂の中で、小さな紫の宝石が寂し気な光を湛えていた。
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