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最終章

21-32.切迫

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あるじ!』
「うん。俺も感じた」

 仁はオニキスの背中の上で身震いをする。凄まじい悪寒が仁の背を伝っていった。

「みんな、森の中へ!」

 仁の指示に3頭の馬の魔物たちが即座に反応し、街道を大きく外れて魔の森へ一目散に駆けていく。

「ジンさん、何かあったんですかっ!?」
「わからないけど、何か危険な気配がしたんだ」

 いにしえの魔王の力を受け継いだ仁をして危険と言わしめる何か。仁の腰に回された腕から、リリーの恐怖が伝わってきた。仁たちは魔の森の木々に紛れて身を潜める。このときばかりはパールも仁から距離をとることなく、三頭はそれぞれの主を背に乗せたまま身を寄せ合った。

「イム。この気配って――」

 もうそろそろメルニールが見えてくると言う頃に感じた恐ろしいほどに強大な気配。帝都の向こう、遥か西方より迫りくるそれは、仁の知るものに似ていた。しかし、似ているということは、即ち同一ではないということだ。

 まったく同じ存在だったらどれだけよかったか。仁は神妙な表情で頷くイムを見て、当たってほしくない予想が見事的中してしまっているのだろうと悟った。

「仁くん、もしかして……」
「うん。おそらくドラゴンだ。それも、イムの父親級の」

 皆が息を呑み、リリーが仁に強く抱き付く。その体はガタガタと震えていた。仁はリリーの手に自身の手のひらを重ねる。

「ジン殿。ドラゴンはめったなことでは人里に姿を現すことはないはず。いったいどうしたのでしょう」
「わからない。まさか俺たちに用があるとは思いたくないけど」

 仁たちが声をひそめて話し合う間にもドラゴンのものと思しき気配は真っ直ぐに近付いてきていた。このままドラゴンが仁たちを通り越して進むと、いずれメルニールに到達する。最近復興を始めたばかりのメルニールがドラゴンの目的とは思えないが、万一の可能性を考えると、このままやり過ごすのが最善とは言い切れない。とはいえ、目的不明のドラゴンを無駄に刺激することも避けなければならない。仁は頭を悩ませる。

「玲奈ちゃん。リリーを乗せて、みんなと魔の森を通ってメルニールに先行してほしい」
「え?」
「万が一、ドラゴンがメルニールを襲うようなら、街の人をダンジョンに避難させてほしいんだ」

 メルニールに設置予定のダンジョンには以前用意した避難所がまだ残っているし、最悪、ラインヴェルトに転移してもらうこともできる。いろいろと明かさなければならないことができてしまうが、それでも人命には代えられない。

「仁くんはどうするの?」
「俺はドラゴンに目的を聞きに行ってくるよ」
「ダメだよ! そんなの危ないよ」

 玲奈が必死の形相で首を横に振る。仁はやんわりとリリーの手を解くとオニキスの背から降り、リリーに手を差し出して下馬を促した。リリーは不安げな顔をしていたが、仁が頷くと、その手を取った。

「玲奈ちゃん、お願い。もしドラゴンが聞く耳を持たずにメルニールに向かったら、頼れるのは玲奈ちゃんとみんなだけなんだ」

 尚も不安そうにしている玲奈に、仁はドラゴンと友好関係にあることを示す称号もあるから大丈夫だと微笑んで見せた。

「ジン殿。それは竜殺しの称号と打ち消し合っているだけではなかったですか?」
「え、いや、うん。まあ、そうとも言うけど。でも、大丈夫。俺、なんだかんだドラゴンと縁があるみたいだし。それに、もしものときはオニキスが地の果てまで逃げてくれるよ」
『はい、あるじ。任せてください!』

 だから大丈夫。そう仁が重ねて言うと、玲奈もロゼッタもミルも、共にいられない未練を滲ませながらも、それぞれに了承の意を示した。

「じゃあ、みんな急いで」
「ジンお兄ちゃん、気を付けてなの」

 玲奈とリリーの跨ったパールが先行し、ロゼッタとミルを乗せたガーネットが続く。去り際に、ミルに抱えられたイムが心配そうな視線を送ってきたが、仁がどうしたのかと思っている間にガーネットは走り去ってしまった。

「じゃあ、オニキス。俺たちも行こうか」

 魔の森を進んでいった皆とは違い、仁とオニキスは街道に出た。幸い、見渡す限りに他の人の姿は見えなかった。気配がどんどんと近付いてくる。

「オニキス、怖くない?」
『怖いですけど、あるじと一緒なら怖くないです!』
「それ、結局どっちなの?」

 仁は小さく笑い、大きく深呼吸をする。仁の内の恐怖心が少しだけ和らぎ、その代わりにドラゴンと対峙する勇気が湧き上がってきた。仁は魔力を練り上げて臨戦態勢を取りつつ、敵意と受け取られないように気を静め、ドラゴンとの接触に備える。見上げる空に、黒いシルエットが浮かんでいた。

「来た!」

 シルエットが大きくなるにつれて威圧感も増していく。黒いドラゴンだった。ラインヴェルト湖の湖畔での戦いの際の隻眼のドラゴンと同等かそれ以上のプレッシャーが、ドラゴンの意図の有無にかかわらず、仁の体を押し潰さんとしていた。

 如何にドラゴンの大群を容易く屠った魔王の魂と力を受け継いでいても、仁にとってドラゴンは憧憬と畏怖の対象だった。仁は、ごくりと喉を鳴らす。間違いなく、既にお互いに視認し合える距離だった。

「黒き竜よ!」

 暴風で髪を靡かせながら、仁が声を張り上げる。あくまで戦闘は最終手段。目的を問うためにも、まずは足を、翼を止めてもらう必要がある。

「黒き竜よ、どうか話を!」

 再度、仁が大声で呼びかけるが、黒いドラゴンは仁を一瞥すると、無情にもその頭上を越えていく。街道の脇の空を飛んでいたドラゴンが、急に魔の森に向かって進路を変えたのを見て、仁の背中に嫌な汗が流れた。

「まさか……!」

 ドラゴンは魔の森の上空に達すると、すぐに向きを変え、再びメルニールへと向かっていく。そのルートは、先ほど仲間たちが通った道だった。

「オニキス!」
『はい!』

 漆黒の馬体が急加速し、黒きドラゴンへと追いすがる。仁は悠然と空を飛ぶ巨体を見据えて何度も何度も呼び掛けるも、ドラゴンは一顧だにしなかった。

 ドラゴンの目的は不明だが、明らかに玲奈たちを追うその動きに、仁は後悔を募らせる。何にも増して仲間たちの安全を願うのなら、その場でダンジョンに避難してもらうべきだった。そんな考えが仁の頭に浮かんでいた。しかし、今は後悔ばかりしていられる状況ではない。

『主! レナさんたちがメルニールに向かう方向から外れていきます』
「自分たちが追われていると気付いたんだ……!」

 仁は足止めもできなかったとことに歯噛みする。これでは玲奈たちを先に行かせた意味がまるでなかった。幸い、今のところ黒いドラゴンが攻撃を仕掛ける様子はなかったが、ドラゴンの苛烈さを知る仁は、このまま何事もなく終わるとは思えなかった。

「やるしかないか……?」

 仁は覚悟を決める。この世界で最強の存在の一角であろうドラゴンは、生半可な覚悟で手を出していい存在ではない。だが、仁は倒すすべを持っている。無駄な殺傷は好まない仁だが、仲間たちに迫る危険を排除するという思いは先制攻撃に足る理由だった。もし様子見をしている間に玲奈たちの身に何かあれば、きっと仁は自分を許せない。

「呼びかけはしたからな!」

 仁は誰に言うでもなく叫び、体内の魔力を練り上げる。

「恨むなよ。ブラックホ――」
『人の子よ、止まれ。止まらねば、そなたの連れ共々、その魂は闇へと返るだろう』

 仁が渾身の魔法を放つ寸前、威厳溢れる重々しい声が空から降ってきた。

「オニキス!」
『はい!』

 玲奈かリリーか。そのどちらが目的かはわからないが、仁はドラゴンに問答無用で攻撃する意図はないと理解すると共に、魔法を放つ直前で助かったと安堵の息を吐きつつ、仲間たちと合流すべくオニキスを走らせた。
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