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最終章

21-22.埒外

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「ジン殿。その、昨夜の件はどうかご内密に……」

 翌朝、仁の腕の中で目を覚ましたロゼッタが真っ白な肌を僅かに朱に染めていた。二人の間に何かやましいことがあったわけではない。ただ、泣き疲れてそのまま眠ってしまったことを、ロゼッタは幼い子どものようだと恥じ入っているだけだった。仁としては別に恥ずかしいことだとは思っていないが、かと言って、特段言い触らすようなことでもないので素直に頷いた。

 それ以降、ロゼッタは何もなかったかのように普段通りの様子に戻り、仁もそれに倣うことにする。二人は手早く身支度を済ませ、再び旅路についた。

「ロゼ、俺にしてほしいことがあったら何でも言ってね。できる限りのことはするから」
「何でもですか……!?」

 オニキスと並走しているガーネットの上で、ロゼッタが勢いよく仁の方に体を向けて身を乗り出した。それくらいのことでロゼッタがバランスを崩すことはないが、仁はあまりの食いつきっぷりに若干身を反らす。

「あ。も、申し訳ありません! 昨夜胸をお貸しいただいたというのに……」
「いや、いいんだよ。胸を貸したくらいじゃ全然足りないくらい俺はロゼッタに感謝しているんだし、そうじゃなくても、仲間に、大切な家族に何かしてあげたいと思うのは普通のことだよ」
「な、何でもですか……?」
「できることならね」

 仁は“何でも”という部分を強調するロゼッタに苦笑いを浮かべる。ロゼッタが「ずっとこの世界にいてほしい」などと言うとは思わないが、仁に叶えられることには限りがあるのだ。

「そ、それなら……。いや、しかし……」

 ロゼッタが眉間に皺を寄せ、小さな声で「舌の根の乾かぬ内に」と呟いていた。

「ロゼだって俺や玲奈ちゃん、ミルのためにいろいろしてくれているよね。それと同じだよ。別に特別なことじゃない。ロゼのために俺にできることがあるなら、可能な限りしてあげたいんだよ」
「ジン殿……」
「遠慮しなくてもいいよ。できないことはできないってちゃんと言うし」
「わ、わかりました。では――」

 ガーネットの馬上でロゼッタが大きく息を吸い込んだ。オニキスとガーネットは気を利かせ、すれすれの並走を続けている。

「ジン殿には元の世界に帰る前にこの世界でレナ様と結婚していただきたいです」
「――え」

 仁としてはもっとロゼッタ自身に益のあることを願ってほしかったが、事あるごとに仁と玲奈をくっつけようとしてきたロゼッタだ。故にその願い自体に不思議はない。しかし、それは仁には叶えることのできない願いだ。仮に仁がそれを望んだとしても、自分だけの思いでどうにかなることではない。

 そもそも、これまでの人生でただの一度も告白すらしたことのない仁にとって、玲奈にプロポーズする状況など想像すら及ばない世界だった。

「そ、それは無――」

 仁が無理だと言い切る前に、ロゼッタが更に言い募る。

「そして、その上でお子をもうけ、自分の腕に抱かせていただきたいです」

 仁は絶句し、口をパクパクさせた。

「む、無理無理無理無理! 絶対無理だから!」
「なぜですか?」
「な、なぜって……」

 ようやく玲奈への恋心を自覚した仁だが、玲奈と付き合えるとは思っていないし、告白するつもりもない。それなのに一足飛びで結婚、ましてや子作りなど、仁の想像の埒外らちがいだ。

 元の世界にいるときに所謂子作り的な行為を妄想したことがないとは言い切れないが、それは生殖を目的としたものではなかった。

「とにかく無理だから。いつも言っているけど、俺と玲奈ちゃんはそういうんじゃないから!」

 思わず玲奈との子作り的なシーンを想像してしまった仁が顔を真っ赤にしながら訴えると、ロゼッタはこれ見よがしに大きく溜息を吐いた。

「以前は本当にそう思っておられたのかもしれません。しかし、今のジン殿では説得力に欠けますよ」
「え?」
「ジン殿はレナ様のことを愛しておられますよね。一人の女性として。そのくらいは見ていればわかります」
「そ、そんなこと……」

 仁はロゼッタから目を逸らす。玲奈への思いを自覚してからもそれまでと同様にふるまおうとしていたが、できていなかったのではないかと不安を覚える。最悪、玲奈に知られなければ大して問題ないとはいえ、周りにバレバレなようでは、いつ玲奈に感づかれるかわかったものではなかった。

「これは、ミル様とリリー様の願いでもあります。もっとも、リリー様はご自身のお子も望んでいらっしゃいますが」

 ロゼッタ曰く、ミルが家を飛び出したあの晩、三人で話したことなのだという。仁と玲奈の子を両親と引き離して置いて行けとは言えないが、せめて一度だけでも自身の手で抱きたいというのだ。リリーとの子は皆で育てたいとも言っていたが、仁の頭はパンク寸前で、まともに機能していなかった。

「ジン殿。一度レナ様と検討していただけませんか? きっとレナ様も……」

 最後の方は声が小さくて聞き取れなかったが、とても承服できる内容ではなかった。

「ロゼ。悪いけど、それはできない」

 皆に望まれたからと玲奈に結婚と子作りを持ちかけるなど、仁にはできない。仮に仁が望んだとしても、玲奈が頷くはずがないと仁は信じ切っている。もしそれで玲奈との幸せな時間に狂いが生じるかもしれないと考えれば、断固拒否しなければならない願いだった。

「わかりました。もちろん無理強いはしませんが、それが自分たちの願いだということは覚えておいてください」
「それは、うん。わかった」

 いろいろと言いたいことはあったが、仁とロゼッタはお互いにこれ以上は不毛だと判断し、話を終える。

『ボクはあるじのお子さんにだったら乗ってもらいたいです!』

 空気を読まないオニキスに発言に仁は大きく息を吐き、そっとその首元を撫でつける。オニキスたちには出発前に元の世界への帰還のことを伝えたのだが、大いに寂しがられ、オニキスには仁以外の主を持つ気はないと言われていた。

 今は数日にわたって仁に乗ってもらえるという事実で元気になったオニキスだが、出発前の憔悴ぶりを思い出すと仁は罪悪感を覚えざるを得ない。とはいえ、仁にこのままこの話題を続ける勇気はなかった。

「まあ、それはそれとして、ロゼ。他にはないの? 本当に俺にできることで」
「先ほどの願いが不可能だとは思いませんが、そうですね……」

 再び眉間に皺を寄せて思考にふけるロゼッタを、仁は戦々恐々としながら見守る。今度は仁にできるもので祈っていると、ロゼッタがパッと瞳を輝かせた。

「では、ジン殿。魔力操作の訓練を――」

 仁の脳裏に、以前も似たようなやり取りをした記憶が過った。今でこそほとんどなくなったが、仁の施す魔力操作の訓練を気持ちよく感じたロゼッタは事あるごとに仁に求めてきたのだった。しかし。

「後世に伝えるために、その技術を受け継ぐ後継者を育てていただけませんか?」

 その予想を超えた願いに、仁は目を丸くした。
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