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最終章

21-21.競争

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 あれから数日後。仁はオニキスを駆って森を疾走していた。似ているようで違う緑の景色が、次から次へと視界の中を流れて消えていく。

「オニキス。速すぎない? 大丈夫?」
『大丈夫です~。ちゃんと付いてこられる速さに抑えてますから!』

 漆黒の馬の魔物が燃えるような赤い鬣をなびかせる。その念話には喜びの感情が満ち溢れていて、仁は久しく乗っていなかったことを申し訳なく思った。仁が適度に感じる風を心地よく思いながら振り返ると、少し離れたところを二本角の馬の魔物が駆けていた。その背に白が映えている。

「ガーネットもすごいな……」

 オニキスはかなりの速度で走っているはずだが、双角馬バイコーンの無口な彼女も涼しげな顔で追走してくることに、仁は驚いていた。オニキス曰く、レベルが上がったことによる恩恵だということだった。

『それでも、一番速いのはボクですけどね!』

 自慢げなオニキスに仁が苦笑いを浮かべていると、いつの間にかガーネットが並びかけてくる。仁はガーネットが静かに闘志を燃やしているように感じた。

「ジン殿。このは存外に負けず嫌いなようです」

 ロゼッタが仁と同じく鞍上あんじょうで苦笑していた。

「オニキス。みんなに伝わるようにしていたのか……」

 念話は伝える相手を意図的に制限することができる。オニキスが先ほどの言葉を仁に限定していなかったということは、ガーネットに対しての宣言でもあったということだ。

 オニキスが更に速度を上げ、ガーネットがそれに追従する。直線での最高速や一瞬の加速はオニキスの方が上のようだが、木々の密集地帯を縫って進むような小回りを要求されるところではガーネットに分があるようだった。

 とはいえ、おそらく八脚軍馬スレイプニルのオニキスが本気になれば多少の不利など全く問題にならないくらい突き放すことが可能であろうことは、騎手である仁には何となく理解できた。

 それでも追いすがることのできる範疇に抑えているのは、こうして一緒に駆けるのをオニキスが楽しんでいるからに他ならない。それがわからないガーネットではないだろうが、侮られたというような感情が見受けられないのは二頭ともが同じ気持ちだからだろうと、仁は微笑ましく思った。

 ふと、仁の脳裏に“ユニコーンレース”なる単語が浮かぶ。元の世界の競馬のように賭け事となるといろいろと気を付けないといけないが、一角馬ユニコーンの競争が単純に娯楽の一つとしてこの世界の人たちに受け入れられるなら、一角馬ユニコーンの一族に話を持ち掛けてもいいかもしれないと仁は思った。問題があるとすれば、もし元の世界と同じように騎手を必要とするのならそれが女性に限られるということと、それから――

「オニキスが出るのは反則だよなぁ……」
あるじ?』

 ぼそっと呟いた仁の言葉に、オニキスが速度を落とさないまま首を回す。仁が何でもないと伝えると、オニキスは再び前を向いて嬉しそうに速度を上げた。



「今夜はこの辺りで野営しよう」

 その仁の一言で、オニキスとガーネットの楽し気な競争は終わりを迎えた。すぐに二頭がテントを張れるくらいに開けた場所を探し出し、仁とロゼッタは地に足をつけて大きく伸びをする。オニキスやガーネットが色々と気を使ってくれはするが、やはり長時間を鞍に跨って過ごすのは、騎馬民族でもない二人の体にはある程度負担になるのは仕方がないことだった。

「オニキスもガーネットも、ありがとう」

 仁とロゼッタが口々に感謝を述べながら首筋を撫でると、二頭は気持ちよさそうに小さくいなないた。

 それから、いつも通り周囲の警戒を引き受けるという愛馬の申し出に甘えることにした仁たちは、出来合いの保存食で手早く夕食を終えてテントで体を休めることとなった。

 新ダンジョンを一時的にこの地に設置してラインヴェルトに帰ることもできるが、魔の森に放置して想定外の出来事が起こるのを防ぐため、この旅の間はミルにも納得してもらって別々で過ごすことになっていた。決して抱き枕から逃れたかったわけではない。たぶん。

「ジン殿、テントは一つでいいですよ」

 2つ目のテントをアイテムリングから取り出そうとした仁に、ロゼッタが待ったをかけた。仁が首を傾げていると、ロゼッタは微笑みながら言葉を続ける。

「最近は自分だけ仲間外れだったのですから、今夜くらい一緒でもばちは当たらないのでは?」
「まぁ、その、ロゼがいいなら」

 考えてみると、ここ最近は玲奈に加えてミルかココ、リリーの誰かと一緒に寝ていて、もう一人の家族であるロゼッタは蚊帳の外だった。ロゼッタがそのことを寂しく思っていたとしても不思議はないと感じた仁は、ロゼッタの提案を受け入れることにする。もちろん、二人で寝るからといって特筆すべき何かが起こることを期待してのものではない。

 それに、仁はロゼッタに話したいことがあった。そういう意味では渡りに船とも言えた。話をするだけなら馬上でも可能なのだが、まじめな話にはそれにふさわしい時と場所があるのだ。

 ロゼッタが就寝の準備を終えたのを見計らい、仁が声をかける。すぐに応じたロゼッタと、テントの中で向かい合った。

「ジン殿、改まってどうされたのですか? もし夜伽をお求めなら――」

 からかい交じりだったロゼッタが、仁のまじめな表情を目にして居住まいを正した。

「ロゼ。ありがとう」

 仁が頭を下げる。ロゼッタは仁と玲奈、そしてミルのために言いにくいことを進言してくれ、仁と玲奈の元を飛び出したミルを支えてくれた。自身の感情よりも他者の気持ちを優先し、皆のために行動してくれる。仁はそんなロゼッタへの感謝の思いを言葉に込めた。

「ジン殿、顔をお上げください。不用心な自分の言葉でミル様に知られてしまったことを申し訳なく思っているのですから」

 仁は顔を上げない。確かにあの場でミルに聞かれてしまったのは想定外だったが、いつかは話さなければならないことだったのだ。それを伝えられずにいた仁と玲奈の背中を押してくれたことに変わりはない。

「それに、ジン殿やレナ様に感謝しているのは自分の方ですよ」

 ロゼッタが近づき、仁の肩を優しく掴んで引き起こす。

「ジン殿とレナ様に買っていただき、ミル様と出会えたこと。それから奴隷商館にいたままではまみえることすら叶わなかったような多くの方々と知り合い、あまつさえ友誼を結び、そして何より、お二人は大切なものと、それを守るための力を授けてくださいました」
「ロゼ……」
「なので、もしジン殿が自分に少しでも感謝の念を抱いてくださっているのであれば、それはほんの僅かでも恩返しができたということに他なりません」

 ロゼッタの真っ直ぐな視線が仁を捉えて放さない。

「ですから、ジン殿が頭を下げる必要はないのです。でも、そうですね――」

 端正なロゼッタの瞳の端が、僅かに滲む。

「それでもジン殿が自分に頭を下げたいというのであれば、お二人に返し切れないほどの恩を抱えたままお二人を見送ることになる自分に、今だけ、少しだけ、ジン殿の胸をお貸しください」

 その夜、寂し気な月明かりに照らされた静かな魔の森の一角で、嗚咽が聞こえた。
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