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最終章

21-12.生け贄

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 どうしてこうなった。仁は心の中でそう反芻しながら、ベッドの上で仰向けになったまま体を硬直させた。

 先ほど、仁の祈りもむなしく、仁たち三人は一緒に体を清めることとなった。仁がアイテムリングから取り出した桶の中に玲奈が魔法で氷塊を作り出し、仁は諦めたような心境でその氷を溶かした。

 部屋の外に出れば魔道具から水やお湯は得られるが、ミルは出会ったばかりの頃のように過ごすのが望みのようだった。

 仁は恥ずかしさを覚えつつもミルの要望をできるだけ叶えたいと思い、玲奈もまた同じ想いだったため、ミルの希望は叶えられ、仁にとって嬉しくも恥ずかしく、後ろめたい時間を過ごすこととなった。

 傍から見れば今更なことかもしれないが、玲奈への恋心を自覚した今の仁にとっては極度の緊張をもたらす事態に他ならない。背後から聞こえる様々な音が仁に多種多様な妄想を見せつけるが、仁は鋼の意志で振り返ることなくやり過ごした。

 しかし、心臓が血液を送り出す音が仁の体中にけたたましく鳴り響き、少し離れて背中合わせになった玲奈にまで届いてしまうのではないかと戦々恐々とした時間が終わりを告げたにもかかわらず、事態は決して好転することはなかった。いや、仁にとっては嬉しくもあるので複雑な心境だったが、玲奈がどう感じているのかわからないことが仁の不安と緊張を掻き立てたのだった。

「あの、ミルさん。ちょっと場所がおかしくないですか?」

 仁の部屋の片隅に鎮座する一般的なサイズのシングルベッド。そのベッドを3人で使うとなれば、密着することは避けられない。故に仁は両隣から人の体温を感じていた。

「普通、こういう場合って“川”の字――って言ってもミルはわからないだろうけど、真ん中はミルなのでは……?」
「そ、そうだよ」

 玲奈も仁の言う通りだと同意する。ミルは妹的存在で娘というわけではないが、仁の脳裏に子供を挟んで眠る父母のイメージが浮かんでいた。一瞬、そのイメージ上の父母が自身と玲奈に置き換わり、仁は小さくかぶりを振って空想を追い払う。

「おかしくないの。ミルはここでいいの」

 仁が首だけ回してミルの様子を窺うと、仁の方に体を向けていたミルがもぞもぞと寝返りを打ち、背中を見せた。まるで仁の視線から逃れんとするかのようなミルの動きが、仁にある仮説を浮かび上がらせる。それはこの部屋に至る前に考え、否定したものと似たものだった。

「ミル……まさか……」

 仁が小さく呟くと、ミルの耳がピクンと跳ねた。

 ミルが仁と玲奈と一緒に寝るのだと自ら言い出しておきながら、仁と玲奈の間に収まらなかった理由。それは至極単純で、玲奈の抱き枕として仁を生け贄に差し出したからに他ならなかった。

「ミル……」
「違うの。レナお姉ちゃんはジンお兄ちゃんのことが大好きなの。だから間違ってないの」

 ミルが早口で言い募る。仁は自身の仮説が正しいものであると確信すると同時に、ミルの様子があまりにおかしくて、仁の緊張が幾分か鳴りを潜め、悪戯心が顔を出した。

「ミ~ル~? 俺はミルのことが大好きだし、玲奈ちゃんもミルのことが大好きだから、ミルが真ん中の方がいいんじゃない? ねっ、玲奈ちゃ――」

 勢いよく玲奈の方に首を回した仁だったが、眼前に現れた玲奈の顔のあまりの近さに、先ほど以上の緊張感が舞い戻り、そのまま硬直してしまう。暗がりであまりはっきりとは見えないのが救いだが、もし明るい中であれば仁は自身の顔が茹蛸になっているのがありありとわかるほど、瞬間的に頬が熱を持つのを感じた。

「え。あ、その、うん……」

 一方の玲奈も混乱しているのか、仁の目に視線を固定したまま、曖昧な肯定の言葉を何とか絞り出した。仁と玲奈。二人は見つめ合ったまま動かない。

「ほら。ジンお兄ちゃんとレナお姉ちゃんは仲良しなの。だからミルは無実なの」

 永遠にも思えた二人の時が、ミルの安堵と勝ち誇った声で終わりを告げる。仁が弾かれたように体ごとミルの方を向くと、ミルは再度体を回し、笑顔を浮かべていた。

「ミル~。何が“ほら”だ。玲奈ちゃんの抱き枕になるのが嫌で、俺を生け贄にするつもりだな~?」
「きゃー」

 再び仁の視線から逃れようとするミルを仁は抱き留め、腋や脇腹をくすぐる。

「ミルは、ぎゅーってされるのは、や、なの。でも、ジン、お兄ちゃんは、レナお姉ちゃん、に、ぎゅってされると、嬉しいの!」

 ミルは身をよじらせながら途絶え途絶えに抗弁するが、それは自白しているのに等しかった。仁はミルを逃がさないとばかりに後ろから抱きしめる。

「お兄ちゃんを生け贄にする悪い妹にはお仕置きが必要だな~?」
「きゃー、きゃー!」

 掛布団の中に潜り込もうとするミルを抱き抱えた仁がくすぐる手を強めると、ミルは楽し気な声を上げる。いつの間にか、仁の心から緊張が消えていた。

 もぞもぞ、ばたばたと動く仁とミルによって掛布団がずり落ちる。ミル同様に楽しい気持ちで胸を満たした仁が、ミルを抱えたまま寝返りを打ち、ミルと自身の場所を入れ替えた。

「仁くん、ミルちゃん」

 必然的に玲奈と面と向かうことになった仁とミルは、直後、笑顔を凍り付かせた。

「ジンお兄ちゃん。レナお姉ちゃんの頭につのが見えるの」
「ミル、奇遇だな。俺にも見えるよ」

 仁とミルが現実逃避を試みる間、玲奈は笑みを湛えたまま、二人をジッと見つめていた。

「仁くんもミルちゃんも、そんなに私の隣で寝るのが嫌なのかな?」
「め、滅相もない……! 玲奈ちゃんの隣で寝られるなんて、この上なく幸せなことだよ!」

 仁の腕の中で、ミルが同意するように、こくこくと頷く。

「ふーん、そうなんだ」

 玲奈は仁とミルを恐怖のどん底に突き落とす笑顔を振りまきつつ、ふと何か思いついたような顔を浮かべた。仁の背筋を冷たいものが駆け上る。

「えっと、玲奈ちゃんの隣で寝たいのは山々だけど、今日の主役はミルの訳だし、玲奈ちゃんの隣で寝られる栄誉はミルに譲るよ。残念だけど。すごく残念だけど」
「ジンお兄ちゃん、ひどいの!」
「ははは。何を言っているんだ、ミル。ミルも玲奈ちゃんの隣で寝たかったんだろう?」

 ミルが仁の拘束を振りほどこうともがくが、ミルの力で振りほどかれるほど魔王の力は弱くはなかった。

「残念だなー。あー、残念だ」

 わざとらしく連呼する仁に、ミルが首を後ろに反らして恨めし気な視線を送る。仁の胸がチクリと痛んだが、ちょっとくらい苦しくても、何だかんだ大好きな玲奈と寝られるのならミルも本気で嫌がっているわけではないと思うことにする。仁だって、きつく抱きしめられれば苦しいのは苦しいが、嬉しい気持ちもまた嘘ではないのだ。

「仁くん。心配しなくても大丈夫だよ」
「うん?」

 ミルを生け贄にして安堵していた仁に、底冷えするような玲奈の笑顔が注がれた。

 暫しの後、緊張で身を硬くする仁とミルの間で玲奈が微笑む。

「これで二人とも私の隣で寝られるよ」

 静かな声で「嬉しいよね?」と問う玲奈に、仁とミルは頷く以外の選択肢を持っていなかった。

「仁くん、ミルちゃん。私は二人とも大好きだよ。おやすみ」

 仁が就寝の挨拶を返しつつ、そっと玲奈の様子を窺うと、玲奈は穏やかな顔で目をつむっていた。仁は玲奈が本気で怒っているわけではないのと、仁と一緒に寝るのを苦痛に思っているわけではないと悟り、安堵の息を吐く。

 今夜、玲奈に抱き枕にされるのは仁かミルか。それはわからないが、仁は期待と不安でい交ぜになったまま、それでも玲奈とミルと同じベッドの上で寝られることを幸せに思いながら瞼を閉じた。
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