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最終章

21-2.嘆願

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「おやすみなさいなの」

 ミルが眠気眼を手の甲で擦りながら、イムとココと一緒にリビングを出ていく。仁と玲奈、そしてロゼッタの三人は銘々に挨拶の言葉を返し、二人と一体を見送った。

「それで仁くん。お話って何かな?」

 3人掛けのソファの端に座っていた玲奈が、先ほどまでミルがいた真ん中に少し体を寄せた。同様に仁も反対側から中央に向けて少しだけ腰をずらす。

「ミル様が眠られた後でということでしたが……」

 向かいに座るロゼッタがミルの退出したドアを一瞥いちべつしてから、仁に向き直る。日中にアシュレイから獣王国について聞かされた仁は、ミルのいないところで話がしたいと事前に玲奈とロゼッタに話を通してあった。

「前にミルの両親の素性について話したと思うけど――」

 仁はエルフィーナから聞いた話を改めて二人に伝え、獣王国の関係者がラインヴェルトに出入りすることになるかもしれないという話をする。

 その関係者にミルが獣王国の先王の血を引くと知られれば、クーデターでミルの祖父から王位を継いだ現王は害意を、現王に不満を持つ層は善からぬ企みを胸に抱くかもしれない。

 例えば暗殺者等にミルの命が狙われるのは元より、もしミルが祖国を追われた両親の敵討ちをしないかと誘われて、亡き両親を想う優しい気持ちを利用されたりしたらと思うと、仁は気が気ではなかった。近い将来にミルたちを残して元の世界に戻る仁にとって、その後、皆が幸せに暮らしてくれることが心からの願いでもあり、救いだった。

 以前のアシュレイの言葉を借りれば、ミルたちが仁や玲奈のことを大切に思ってくれていればいるだけ、何の憂いもない真の意味での幸せと言える日は来ないのかもしれない。それでも、心穏やかに自らの人生を歩んでいってほしいというのが、無責任にこの世界を去る仁の嘘偽りない思いだ。

「俺と玲奈ちゃんが元の世界に帰った後のことを考えても、ミルに事情を話して注意を促すのがいいと思うんだけど、どうかな」

 その結果、ミルが獣王国の現王に憎しみを抱いてしまう恐れはあるが、知らずに身を危険に晒したり、利用されたりするよりは良いように、仁には思えた。

 仁が玲奈とロゼッタの様子を窺うと、二人とも考え込んでいるようだった。

「私は、うん。そうだね。その方がいいと思う。それに、もしかすると悪い人ばっかりじゃなくて、ミルちゃんの親戚とかも存命かもしれないし。こっちから接触するかどうかはミルちゃん次第だけど、それを判断するためにも、ちゃんと伝えないと」

 やはり玲奈も、自分たちの帰った後のミルを心配しているようだった。玲奈の答えを受け、仁はロゼッタに視線を移す。

「自分もそれ自体には賛成です。知っていれば避けられることはありますから。ただ……」
「ロゼ?」

 言葉を濁すロゼに、仁は首を捻る。ロゼッタは仁と玲奈に真剣な眼差しを向けていた。

「差し出がましいことを申しますが、お二人は元の世界にお帰りになることを、いつミル様にお伝えするつもりですか?」

 仁と玲奈が揃って、ビクッと肩を揺らす。二人がいずれ元の世界に戻ることはミルも知っているはずだが、ロゼッタがそういうことを言っているわけではないと、仁にも、そして玲奈にも理解できた。

「魔王妃の問題が片付き、帝国との件についても、いずれルーナ様方が実権を握ることで解決することでしょう。そうなれば、お二人の帰還はそう遠くないのではないですか?」

 確かにロゼッタの言う通り、ルーナリアとコーデリアは事が落ち着き次第、転移魔法陣の研究を再開すると約束してくれたどころか、既に忙しい間を縫ってコーデリアが帰還の方法を探ってくれているようだ。

 奴隷騎士隊の中で戦闘力の下位のものたちを中心に、アシュレイらの許可を取って、かつての帝国が見逃した資料がないか、ラインヴェルト城を調べて回っているらしい。

 そちらがどの程度期待できるかは未知数にしても、勇者という名の魔王の召喚を実際に成功させたルーナリアとコーデリアであれば、きっとクリスティーナが行った送還の方法にも近いうちに辿り着くと仁は信じている。

「自分はお二人の帰還後にミル様を支えるために購入されたことは承知の上ですし、例えレナ様に命じられずとも、ミル様の拒まぬ限り、共にある所存です。いずれ訪れる、お二人との別れも理解しています。とても悲しく、寂しいことではありますが……」
「ロゼ……」

 ロゼッタは僅かに顔を俯かせた後、再び強い視線を仁たちに向けた。

「しかし、ミル様は違います。ミル様はジン殿のおっしゃった“ずっと一緒”という言葉を無邪気に信じておられます」

 それは仁も痛いほど理解している。その言葉の裏に“元の世界に戻るまで”という意味があることなど、ミルはまったく思いもしていないのだ。

「ミル様は、お二人と一緒に、いえ、自分も含め、皆で世界を渡るのだと信じておられます」

 そうだろうと思いながらも心のどこかで否定したかった事実が、ロゼッタの口からナイフとなって放たれた。そのナイフは仁の心を深くえぐるが、決してロゼッタに悪意があるわけでも害意があるわけでもない。ひとえに、仁が自ら招いた傷だ。

 ミルが純真なのをいいことに、知っていながら後回しにしたツケを払うときが来ただけの話だった。

「レナ様は先ほど、獣王国にミル様の親戚が残っているかもしれないとおっしゃいました。その親戚方がミル様のことを知って心から心配し、大切にしてくださる方々だったとしても、今、ミル様の家族はジン殿とレナ様なのです。ご両親を亡くして困窮していたミル様に手を差し伸べ、生きる力と新たな家族としての温もりを与えた、あなた方なのです」

 どこまでも真っ直ぐにミルを想うロゼッタの言葉に、仁も玲奈も口を挟むことができない。

「そんな家族を、ミル様は再び失うことになるのです。ジン殿やレナ様の事情を鑑みれば、元の世界への帰還を止めることは自分にはできません。お二人がこの世界に残ることで悲しむ人たちがいるのですから。だから、自分は残されたお二人との時間を大切にしたいと思っています」

 ロゼッタは一度言葉を切って、仁と玲奈を真正面から見つめる。その真摯な視線は、仁と玲奈の心に深く突き刺さった。

「お願いです。どうか、ミル様に時間をあげてください。家族との別れを惜しみ、そして、大切な思い出を作る時間を……!」

 ロゼッタが勢いよく頭を下げる。白く輝く髪が、ばさりとなびいた。沈黙の帳が下りる。

「ロゼ――」

 仁が何事か言わなければという自らの心に従って口を開いたとき、“ガチャリ”とリビングのドアの開く音が聞こえた。
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