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第二十章

20-72.枕

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「ジンさ~ん!」

 ダンジョンに一歩足を踏み入れた仁は、直後、マスタールームへと転送され、正面からリリーに抱き着かれていた。

「ジンさんジンさんジンさ~ん!」

 ぎゅうぎゅうと抱きしめてくるリリーに、仁は両手を彷徨わせる。空気を読めば仁も両腕をリリーの背中に回すべきなのだろうが、玲奈への恋心を自覚してしまった仁はそうすることができなかった。

 一頻ひとしきり仁の胸に頬を擦り付けていたリリーが体を離し、満足そうにしつつも殊更に頬を膨らませる。

「ジンさん。そこはギュッと情熱的に抱きしめるところだと思いますっ!」
「えっと……。ごめん……?」

 リリーの表情から冗談だとわかっていても、全く本心でないわけでもないのだろうと思ってしまえば、仁はどう反応すればいいのかわからなかった。

「もう。でも、ご無事でよかったですっ」

 リリーが一度口を尖らせてから、今度は何の憂いもない笑みを浮かべた。仁はリリーに申し訳なさと感謝の念を抱きながら「ありがとう」と返す。

「それでジンさん。レナさんは一緒じゃないんですか?」

 リリーが宙に浮かぶウインドウを覗き込み、首を傾けた。仁をマスタールームに連れてきた張本人であるリリーには既知のことのはずだが、今回リリーに会いに来たのは仁だけだ。ちなみに、玲奈救出作戦成功の報は、連絡係を通してリリーにも既に伝えられている。

「あー、うん。リリーも心配していたし玲奈ちゃんも一緒にって誘ったんだけど、何か用事があるみたいで。後で顔を出したいとは言っていたよ。ていうか、水晶のところじゃなくても操作できたんだ」

 マスタールームの中央に座す水晶玉のようなダンジョン核。仁はいつもその球体に触れて操作していたため、離れたところでウインドウを出しているリリーに驚きを禁じ得なかった。

「あ、はい。わたしも最初はそう思っていたんですけど、慣れてくると簡易的なことならダンジョン内のどこでも操作できるみたいです」

 リリーの話を聞くに、ダンジョンマスターになったときに基本的な仕様は情報として受け取るが、ダンジョン核にはそれ以外にも様々な機能があるようだった。仁はそのことを知っていればパワーレベリングの際に手間を省けたのではないかとショックを受けるが、今更悔やんでも仕方がなかった。

「そんなことより、ジンさん。お疲れですよね? こっちに座ってください」

 リリーが仁の手を引いてダンジョン核の近くに配置されたソファに誘導する。この3人掛けのソファは、仁がリリーのマスタールーム長期間滞在に備えてアイテムリングで持ち込んだものだ。

 そのソファの端にリリーが腰を下ろし、仁はリリーに言われるまま、すぐ横に座った。肩と肩が触れ合う距離に仁が落ち着かないでいると、リリーが仁の方を向いてニヤリと口角を吊り上げた。

「ジンさん」

 仁の名を呼びながら、リリーが自身の太腿ふとももをポンポンと軽やかに叩いた。リリーは有事に備えていつものスカートではなく短パンを履いているため、肌色の露出が目立っている。

 リリーの言わんとしていることを本能的に理解してしまった仁は戸惑うが、リリーが再度仁の名を呼び、蠱惑的な太腿を叩いて誘惑する。リリーのそれは玲奈のものより肉付きが良く、仁は生唾を飲み込んだ。

「ほらっ」

 痺れを切らしたリリーが仁の体に手を回し、仁の頭が自身の太腿の上に来るように強引に引き倒す。

「リ、リリー!?」
「ジンさん。文句は受け付けていませんよっ」

 仁の頬がリリーの太腿に押し付けられ、仁が身をよじるが、リリーは逃がさない。リリーがニヤニヤと見下ろす。やがて仁は観念してソファの上に両足を上げ、リリーの膝枕を受け入れて全身を弛緩させた。リリーが仁の髪を梳くように優しく撫でる。

今はこの場にはいないが、リリーのサポートを務めるキャロルとココも一緒に休めるようにと用意された3人掛けのソファは、今この時、仁にとって最高のベッドの一つへとその役割を変えていた、

 恥ずかしくも心地よい、幸せな時が流れる。仁はリリーに甘えているようで申し訳なく思いながらも、玲奈をアナスタシアに奪われてから長らく続いていた緊張がほぐれていくような気がした。

「それで、仁さんがここに来たっていうことは、新たに現れたっていう帝国軍の問題は解決したんですよね?」

 穏やかに語りかけるリリーに、仁は肯定的な反応を返す。アナスタシアの魂の憑依した魔導人形ゴーレムを倒した後、オニキスによって接近が知らされた帝国軍。仁たちは慌てて街に引き返したが、その後、彼らが敵ではないことが発覚した。

 帝国軍の後詰、もしくは本隊と思われた軍勢は、帝国内における、所謂ルーナリア派と呼ばれる者たちが中心となった部隊で、アナスタシアやユミラ、ガウェインの意を外れ、ルーナリアやコーデリアの元に馳せ参じんとする者たちだった。

 加えて、彼らをまとめたのがその生存を危ぶまれていたサラだというのだから、知らせを聞いた仁たちは驚愕と歓喜に沸いたのだった。

 仁とシルフィは魔王妃によるルーナリアの体の乗っ取りに気付けなかったことをサラに無表情で揶揄されたが、返す言葉もなかった。とはいえ、サラは過剰に責めるようなことはせず、共に皆の無事を喜び合った。

 その後、ルーナリア派の将校たちが旧王都ラインヴェルトに招かれ、今もアシュレイやゲルトらを交えての話し合いが行われている。

 アースラの里の出のエルフたちやゲルトらリガー村出身の者たち、メルニールからの避難民らは、帝国の人間に対して思うところはあるだろうが、反ガウェインという点で思惑は一致しているし、良い関係を築いているルーナリアとコーデリアが帝国軍の舵取りをすると言うのであれば、きっと協力できるはずだと仁は信じている。

 そんなことをリリーに話しながら、仁の意識は段々と夢の世界へと旅立っていった。魔王妃の問題は解決し、帝国との戦争はまだ続くものの、喫緊の危機は脱したという事実が仁に安らぎを与えていた。もちろん、リリーの膝枕と優しい手の感触が多大な影響を与えたことは言うまでもない。

「う……ん……」

 どれくらいの時間が流れただろうか。未だ微睡まどろみの中にいる仁がうっすらと目を開ける。ソファと平行に向けられた視線が、ぼやけた視界の中に幼い少女たちのニコやかな顔を捉えた。

「ミルとキャロル……?」

 徐々に覚醒していく仁の脳が、目の前の二人と頬に感じる肌の感触を認識する。ふと、仁は微かな違和感を覚えた。何となく。そう、何となくではあるが、至高の枕に変化があるように感じたのだ。

「ジンお兄ちゃんが目を覚ましたの!」
「ジンさん。寝心地は如何でしたかっ?」

 元気なミルの言葉に、リリーの声が続いた。その声で自身の置かれた状況を思い出した仁は目を見開き、首を捻って顔を上に向けた。

「……え?」

 仁が数秒、瞬きを続ける。そこには仁の視界を遮るような豊かな双丘は存在せず、頬を仄かに朱に染めて見下ろす黒髪の少女がいた。そして、その肩越しに、リリーが顔を覗かせている。

「えっと。仁くん、おはよう?」

 照れたように少女がはにかむ。

「れ、玲奈ちゃん……!?」

 仁は暫しの硬直の後、勢いよく起き上がろうとするが、なぜかミルに肩を押さえつけられて叶わない。

「ジンお兄ちゃん。まだ起きちゃダメなの」

 玲奈の健康的で艶めかしい太腿に頬を押し付けられながら、仁は目を白黒させた。

「えっとね、仁くんが寝ている間にリリーと私が交代したんだけど、次はミルちゃんの番で、その後がキャロルちゃんの番っていうことになってるの」
「な、なんでそんなことに……?」
「皆、ジン殿が大好きなのですよ」

 どこからかロゼッタの声が聞こえ、リリーとミルが、うんうんと頷く。玲奈が照れ笑いを浮かべ、キャロルが顔を瞬間沸騰させた。

 こうしてリリーから玲奈、玲奈からミル、そしてミルからキャロルへと仁の枕は移り変わり、その後、避難所から戻ってきたココが仁に膝枕を要求したことで、今度は仁の太腿がロゼッタも含めたその場の全員の枕になることとなった。

「ジンさんもズボンを脱いで生足になりませんかっ?」
「なりません」

 ちぇっと舌を打つリリーの赤い頭を仁が軽く叩くと、周囲から温かな笑い声が上がったのだった。
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