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第二十章

20-58.意志

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 時を僅かにさかのぼる。仁が迫り来る眷属たちとの戦いに臨まんとしていた頃、ラインヴェルト湖のほとりではロゼッタを中心として臨戦態勢が取られていた。

 旧王都ラインヴェルトに通じる唯一の門は固く閉じられ、外壁の上にはリガー村出身の狩人が射手として控える。

 そんな中、ロゼッタは敢えて湖畔に残り、眷属と相対する道を選んだ。未だ改装途中で砦のていを成さない集会所ではなく、槍を手に、門の前で愛馬である双角馬バイコーンのガーネットに跨って待ち構えていた。

 無口なガーネットが3体の眷属と思しき魔物の接近を念話で伝える。そのそれぞれがその辺の魔物とは一線を画す魔力を秘めているようで、ロゼッタは険しい視線を湖の対岸へと向けた。

 魔王妃の眷属が街を襲うつもりなら、湖を渡ってくるしかない。そう考えたロゼッタは多少意思の疎通ができるようになってきたハギールを通じて、魚人族の戦士たち十人には湖の中に身を潜めてもらっている。

 また、肉食暴君鰐ミートクロコダイル・タイラントの子供のルビーも事態を正確に把握しているのか、魚人族とは少し離れたところで湖中に隠れ、眷属の襲撃に備える様子を見せていた。

「魚人族の皆様とルビーが湖中で奇襲をかけ、それを逃れてきたところを自分たちが仕留める」

 ロゼッタは自身の立てた計画を小さく口に出し、今こそこれまでの鍛錬の成果を見せる時だと気合を入れる。

 仁が玲奈を取り戻し、魔王妃との因縁に決着をつけたからには、そう遠くない未来に仁と玲奈はこの世界を、自分たちの元を去ることになるだろうとロゼッタは考えていた。

 元々、二人が元の世界に戻った際にミルを一人きりにしないために購入されたと思っているロゼッタは、仁と玲奈が自分を置いて帰ることへの覚悟はしている。もちろん敬愛する二人といつまでも共にありたいという気持ちはあるが、自分のわがままで迷惑をかけたくはなかった。

 実際にその時を迎えた際に耐えられるかどうかは別にしても、二人を快く見送り、この地でミルを支え続けるという思いは、偽らざるロゼッタの中の真実であり、願いでもあった。

 しかし、仁と玲奈の事情を打ち明けられたときから覚悟しているロゼッタと違い、ミルは二人といずれ別れることになるとはまったく思っていないようだ。仁と玲奈もそのことに気付いていながらも、真実を告げるのを避けているようにロゼッタの目には見えている。

 それがいいことなのか、悪いことなのか、ロゼッタには判断できない。ただ、どちらにせよ、二人が去った後にミルがどうなってしまうかと考えると、心が痛んだ。

 そんなとき、ロゼッタにできることはそう多くはない。ミルと共にあり、共に悲しむことはできても、傷付いた心を癒すことができるとは思えなかった。けれど、どれだけ時間がかかったとしても、ミルは必ず前に進み始める。そうなったとき、せめてミルの足手まといにだけはなりたくなかった。

 だからこそ、ロゼッタはこれだけ強くなったのだと示したかった。仁や玲奈やミルに、そして何より自分自身に。

 武人に憧れながらも夢に見るだけだった自分が、非力だと思われていた白虎族の自分が、この世界の魔物の中でも強者の部類に入るであろう太古の魔物、魔王妃の眷属を打倒せしめるだけの力を得るに至ったと。

 ロゼッタが槍を強く握りしめると、愛馬が心配そうにいなないた。

 ロゼッタは、ハッとして、大きく吸った息を長い時間をかけて吐き出す。過度の緊張や力みは必要ない。今出せる実力のすべてを出し切って、眷属に勝利する。ロゼッタは適度に力を抜きつつも、その瞳に意志の光を宿した。

「ありがとう」

 ロゼッタはガーネットの首筋を一撫でし、気負った心を凪いだ湖面のように落ち着かせる。自分にはガーネットをはじめ、ルビーや魚人族の戦士たちといった頼もしい仲間たちがいると思えば、ロゼッタは負ける気などしなかった。

「来る……!」

 湖の対岸に、濃緑色の影が、ぬっと顔を出す。

 湿地帯から現れた眷属は、細長い顔先をした二足歩行のワニのような姿をしていた。体長10メートル弱。仁や玲奈が見れば所謂肉食恐竜らしいシルエットをしていて、短めの前肢の先には3本の指。そしてその内の1本からは30センチほどの重々しい鉤爪が生えている。

 鑑定の魔眼を持たないロゼッタには知り得ないことだが、その眷属の種族名は重々しい鉤爪ヘビークロー。この後に仁が対峙することになる一時代の陸上の覇者、高隆起蜥蜴ハイスパインリザードとは異なり、水辺での活動を得意とする肉食恐竜の魔物だ。

 三体の重々しい鉤爪ヘビークローが躊躇することなく湖へと足を踏み入れ、その身を沈めた。ロゼッタはその戸惑いのなさに眉をひそめる。

「速い!」

 ゆるゆるとした泳ぎから一気に水中で加速した重々しい鉤爪ヘビークローの背後を、渦巻く水流と魚人族たちの放った銛が抜けていく。矢印のように並んでいた三体の内、両サイドの二体が左右に分かれ、弧を描くように進んでいく。その先にはそれぞれハギールを中心とした魚人族と、ルビーがいた。

 そして中央の一体が湖を真っ直ぐに突っ切ってくる。魚人族たちは半数で追う動きを見せるが、重々しい鉤爪ヘビークローの通った後に残る黄色い鱗粉のようなものに触れた瞬間、体の自由を失った。

 痙攣したかのようにその場で藻掻く魚人族たちを振り向いた重々しい鉤爪ヘビークローが、一番近くにいた魚人族の腕を齧り取る。満足に動かない魚人族の戦士の口から悲鳴にならない呻きが零れ、一角馬ユニコーンたちのよって浄化された澄んだ湖に血が溢れ出した。

 体を動かすことができないまま、魚人族の戦士が自らに迫る死と向き合っていると、片腕を丸呑みにした重々しい鉤爪ヘビークローに別の個体が近付き、顔を突き合わせた。すると、何事かのやり取りがあったのか、最初の一体が渋々といった様子で再度反転し、湖の対岸に向かって再び泳ぎ出した。

 もう一体は湖の赤に鼻先を突っ込み、魚人族の戦士の残された片腕に鋭い歯を突き立てんと口を開けるが、ハギールの投げた銛の槍を避けるために湖中に円を描いて反転する。その際についでとばかりに尾の一撃を受けた片腕の戦士が弾け飛び、湖中に赤い線が引かれた。

「くっ」

 湖中の様子を探っていたガーネットから眷属が水中での戦いを得意としているかもしれないと報告を受けたロゼッタは歯噛みするが、水中戦なら自分たちの番だと力強く言い切っていたハギールの姿を思い出し、彼らの勝利を信じることにする。

 同様にもう一体と戦闘を始めた様子のルビーの無事を祈りつつ、ロゼッタは眷属の上陸の際の隙を突くべく、ガーネットに水際に近付くよう指示を出した。

 水面からワニのような顔が覗いた。重々しい鉤爪ヘビークローはS字のように首を曲げ、何十もの歯の並んだ口を天に向けていた。
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