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第二十章

20-55.大行進

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 旧王都ラインヴェルトの外壁の上で、仁は眉をひそめた。魔王妃の眷属が襲ってくるのは理解できる。魔王妃の技能で無理やり従わせていたのでなければ、魔王妃との魔力的な繋がりが消えたことで主人の身に何かが起こったと直感し、復讐心を持って攻め寄せることは、眷属の知能の程度にもよるが十分に考えられた。仁に恨みを持つユミラが相手にいるのだから、けしかけられるのであれば、けしかけるだろうとも予想される。

 しかし、仁の目には雷蜥蜴サンダーリザードが視界の内に唐突に現れたように見えたのだ。まだ相応に距離があるとはいえ、揃いも揃って仁もイラックも他のエルフたちも、そして何よりオニキスが気付かなかったとは思えなかった。

 それに、その場を注視していたわけではないが、仁はその巨体の足下が光っていたような気もしていた。

“眷属召喚”

 仁の脳裏に一つの単語が浮かぶ。だが、それはあり得ない。

 玲奈は間違いなく玲奈だった。故に魔王妃の魂は計画通りに大気中に放出され、間もなく消滅したはずなのだ。それなのに、なぜ。仁の頭を疑問符が埋め尽くす。

「ジン殿。あれがメルニールを襲った雷蜥蜴サンダーリザードですか?」

 仁の横に並んだイラックの問いかけが、仁を思考の渦から呼び戻した。疑問はあれど、無為に時を費やすわけにはいかなかった。

「間違いありません。イラックさん。魔王妃の生存の可能性をアシュレイに伝えてください」

 イラックはエルフらしく整った顔を驚愕に染め上げるが、仁が玲奈は玲奈だから心配いらないと付け加えると、頷いてすぐに使いを走らせた。

 仁は小山のような魔物に目を向ける。玲奈が玲奈であると疑わないのは、何も直感と希望的観測だけではない。今、仁の目に映っている光景がそれを証明していた。

 眷属召喚は召喚者の近くにしか呼ぶことができない。それ自体は玲奈の特殊従者召喚やこれまで目にした眷属召喚から推測したものではあるが、もし玲奈が魔王妃の魂に乗っ取られたままならば、街から遠く離れた場所ではなく、街中に召喚すればいいのだ。そうでなくても、もっと近くに召喚して奇襲をかければ仁たちの混乱は今の比ではなかったはずだ。

 仁は魔王妃の魂が玲奈の体から追い出される間際に刈り取り蜥蜴リープリザードを呼んだことを思い出す。魔王妃がいにしえの大賢者レイナの策から逃れて生存しているのだとすれば、あの眷属、もしくはその魔物が抱えていた荷物に何か秘密があるように思えた。

 しかし、今は魔王妃の生存理由を検討するより先にやることがある。玲奈救出作戦の本質はその名の通り玲奈を救出することだ。それ自体は成功したのだからと、仁は気持ちを入れ替えて、だんだんと近付いてくる雷鳴に似た足音の主についての対策を考える。

 山なりの胴体に長い首と尾を持ち、その体長は優に20メートルを超える。翼こそないが、その巨体は仁が以前帝都で戦った火竜ファイヤードラゴンよりも一回り以上大きいため、相応の生命力を持つと予想される。緑がかった灰色の鱗肌はドラゴンの鱗ほどの防御力はないだろうが、それでも生半可な攻撃が通じるとは仁には思えなかった。

 仁は意識を集中し、外壁の上から雷蜥蜴サンダーリザードの進路の遥か上方に自身の魔力を広げていく。まだまだ街からは距離があるが、仁には狙えない距離ではなかった。むしろ、大規模の魔法の余波による街への影響を考えれば、近付かれる前にこそ攻撃すべきだと仁は判断した。

「イラックさん。真ん中の大きいのに先制攻撃を仕掛けます。皆さんは射程距離に入り次第、追撃と周囲の敵への牽制をお願いします」

 雷蜥蜴サンダーリザードを無力化する前に他の眷属の接近を許すわけにはいかない。魔法で強化された外壁や門がメルニールのときほど容易く破られるとは思いたくないが、ヴィクターから聞いたように、身軽な恐るべき鉤爪テリブルクローが壁を乗り越えてくるかもしれないのだ。

「オニキスも頼んだ」
『任せてください!』

 オニキスが意気込み、金色こんじきの角が雷を纏う。仁はイラックらエルフ族と愛馬からの肯定的な返事を聞き、小山のような巨体とその上空に意識を向けた。仁は、より硬くより強くなるようにイメージを固める。大きな足が大地を踏みしめる度に、地を揺るがす雷鳴が近付いてくる。

「いきます――岩弾雨ロックレイン!」

 巨大な眷属の遥か上方に生まれたラグビーボール大の岩の砲弾が、鋭い回転を伴って直下に向けて加速を開始した。10の砲弾が空を切り裂く。

 自身に迫る脅威を感知したのか、水平に近かった雷蜥蜴サンダーリザードの長い首が持ち上がり、天を仰ぎ見た。

「遅い!」

 そう仁が口にした直後、岩弾の雨が雷蜥蜴サンダーリザードの胴体に着弾し、辺りに爆音が響く。コントロールより威力を重視したため10の砲弾の一部は脇を掠めていったが、大半は目標を捉えていた。

 巨体がよろめき、規則正しく鳴っていた雷鳴が乱れる。しかし、その歩みを完全に止めるには至っていなかった。雷蜥蜴サンダーリザードの足下にできた小さなクレーターは目標を外した岩弾による3つだけ。無傷というわけではないにしても、胴体を貫通するほどのダメージを与えることはできていない。

 歩みを再開した魔物が長い首をしならせた。

「みんな、屈め!」

 仁が叫ぶと同時に、雷蜥蜴サンダーリザードは首を勢いよく前に振りながら、口から黄色い雷撃を放った。かつてメルニールの街中に放たれた雷撃が、放射状に広がりながら外壁に迫る。

 幸い、広範囲に広がった雷は外壁に到達する頃には勢いを失くし、欄干に身を隠した仁たちに被害を与えるほどの威力はなくなっていた。仁たちがホッとしたのも束の間、雷鳴の間隔が早まる。

 慌てて仁が覗き込むと、巨体の足下に何体かの恐るべき鉤爪テリブルクローの姿が見えた。これまで巨体に隠れて見えていなかったが、数体の刈り取り蜥蜴リープリザードも羽毛に覆われた頭を前にして大股で駆けていた。

岩弾雨ロックレイン!」

 仁は雷蜥蜴サンダーリザードに照準を合わせて再び岩弾の雨を降らせるが、巨体の歩みは止まらない。巨大な脚の一歩の歩みはとんでもなく大きく、見かけの印象よりも近付くのが早かった。

 仁が岩弾雨ロックレインを連発する傍らで、オニキスやイラックをはじめとしたエルフたちが魔法の雨を降らせるも、外壁に押し寄せる眷属の大津波の前には大した意味をなさなかった。

 必死の形相で魔法と矢を撃っていた幾人かのエルフが、刈り取り蜥蜴リープリザードの放った渦巻く突風に吹き飛ばされた。

「ジンお兄ちゃん!」
「ミル! 怪我人の治療を!」

 どうやら駆け付けてくれたらしい妹分の呼ぶ声に、仁は振り返ることなく大声で返しつつ、ミルの傍に必ずいるはずの小さなドラゴンに呼びかける。

「イム! 壁の真下に吐息ブレスを!」
「グルゥ!」

 場内から続く階段の上から一気に壁の端、仁の近くまで飛んできたイムが、僅かに外壁を飛び出して真下を向いた。小さな口から炎が噴き出す。赤々とした炎の吐息ブレスが、壁をよじ登っていた恐るべき鉤爪テリブルクローを火だるまにして眼下へ叩き落した。

「危ない!」

 吐息ブレスを放った直後のイム目掛けて雷撃がほとばしり、仁はイムを両手で掴んで引き寄せる。そのまま後ろに倒れ込んだ仁の鼻先を、欄干の間から入り込んだ雷撃が掠めた。周囲から、数人のくぐもった呻き声が聞こえた。

「グ、グルゥ……!」

 仁は素早く状況を見回し、イムを離して恐るべき鉤爪テリブルクローへの対処を頼む。直後、街が揺れた。

 慌てて仁が眼下を窺うと、雷蜥蜴サンダーリザードの長い尾が外壁を打ち付けていた。背を傷だらけにしながらも鞭のように振るわれる強靭な尾の一撃は、とてつもない破壊力を秘めているように感じられた。

 仁は今後訪れるであろうビームを放った何かとの戦いに備えて余力を残しておきたかったが、そうも言っていられない状況になったことに歯噛みする。仁は雷蜥蜴サンダーリザードを止めるべく、全力で体内の魔力を練り上げる。

 その瞬間、眷属の一団の後方から、聞くものすべての恐怖を呼び覚ますかのような地獄の咆哮が轟いた。
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