上 下
533 / 616
第二十章

20-48.接触

しおりを挟む
 仁がアナスタシアの体内に魔力を注ぎ込もうとしていたとき、玲奈は絶望の中にいた。

 玲奈は魔王妃に体を奪われてから現状を打開すべく思考を続け、魂というものが魔力に近しいものなのではないかという思い付きにも似た推測に基づき、魔力操作を応用して何とか魔王妃の魂に干渉できないかと試行錯誤してきた。

 その原動力の一端を担っていたのは、今は自分の意志では何一つ動かすことのできない自身の体から、目や耳から強制的に伝わってくる仁の辛そうな姿だった。

 仁にそんな思いをしてほしくないと魂が震えるほど願った玲奈は、きっと仁や皆が助けてくれると信じながらも、ただ待つことを良しとしなかった。

 そうして少しずつ自身の魂というものと向き合うにつれ、一皮隔てたところで身動みじろぎぎできないというような感覚を離れ、魂の輪郭のようなものを感じるに至った。肉体から乖離した玲奈の魂は、魔力の海の中を、ふわふわと揺蕩たゆたっているようだった。

 そして、これまでに数度、魔王妃の、アナスタシアの魂と接触することに成功した。もっとも、それはほとんど偶然のような出会いで、何度も狙ってできるようなものではなかった。しかし、僅かながら魂同士の邂逅を果たしたことで、玲奈は何となくアナスタシアの想いに触れたような気がしていた。

 アナスタシアの魂の大半を占める、仁への、いや、ジークハイドへの執着は玲奈に少なからず衝撃を与えた。

 仁をジークハイドと同一の魂を持つ者と認めながらも、魔王妃は、あくまで“アナスタシア”を知るジークハイドに強い拘りを持っている。そのことを知った玲奈は、仁が仁でなくなってしまことを心の底から恐れた。

 そんな中、仁が玲奈の知らない声の調子でジークハイドの自我を取り戻したと話したのだから、玲奈が思わず思考を止めてしまうのも無理からぬことだった。

 あまりの衝撃は玲奈の魂を越えて魔力の海を大きく波打たせ、意図せずアナスタシアの魂と再度の接触を持ったが、玲奈はそのことに気付くことなく絶望の波に身を任せた。

 自分が体を取り戻せたとしても、仁が仁でなければ意味がない。そんな思いが玲奈の心の中を支配していた。

 そんなとき、再び体内の魔力が大きく波打った。今度は玲奈の魂の震えが起こしたものではない。外部からの刺激。仁が、ジークハイドが起こしたものだった。

 玲奈は以前よりは一歩引いた位置にいながらも、やはり強制的に送られてくる五感からの情報で、それが仁と繋がる恥ずかしくも気持ちの良い行為によるものだと知った。

 玲奈は、嫌だと思った。

 仁と魔力操作の訓練をしたことがあるのは玲奈だけではない。ミル、ロゼッタ、リリーのみならず、数多くの女性たちが仁と魔力で繋がってきた。そのことに嫉妬しなかったと言えば嘘になってしまうだろうと、今ならわかる。

 それでも、必要なことだからと、恋人でも何でもない自分が言うのは烏滸おこがましいと思いながらも、玲奈は仁と彼女らの行為を認めてきた。許してきた。

 しかし、昨夜、仁が魔王妃に“気持ちいいこと”をすると約束したとき、玲奈は嫉妬を超えた拒否感を強く抱いた。自分の体で仁と魔王妃が一つになるところを最前列で見せつけられるなど、拷問だと思った。

 それが、今、現実のものとなったのだ。玲奈は仁の手を振りほどこうと必死に体に命じるが、仁の手の感触とくすぐったい感覚で身をよじるのを強制的に味わわされただけだった。

 悔しさが玲奈の魂を震わせた。

 その瞬間、玲奈は魔力の海を通じ、仁を感じた。うっすらとした輪郭が消えようとしていた玲奈の魂が、魔力との境界線をしっかりと描き出す。

 仁の人格は消えていない。玲奈はそう信じられた。波打つ魔力の中で、玲奈は再び思考を開始する。

 もし本当に仁の意識がジークハイドに乗っ取られていないのであれば、今行われている目を逸らしたくなる行為にも意味があるかもしれない。そう考えた玲奈は魂の体で手を必死に伸ばす。

 玲奈の心の中に、元の世界のアニメなどで心と心の触れ合いを演出するかのような、裸で抱き合うシーンが浮かんでいた。

(仁くん……!)

 今も仁の魔力は感じるが、広い魔力の海に比べ、玲奈の魂の手はあまりにも短すぎた。それでも、玲奈は心の中で仁の名を呼びながら、腕が千切れんばかりに魂の手を伸ばし続ける。

「あなたがレナちゃん?」

 ふと、玲奈の魂に声が届いた。どこか懐かしいような、知らない声だった。戸惑う玲奈の魂の手を、何かが、誰かが掴んだ。玲奈の魂を、さざ波が伝っていく。

(だ、誰……!?)

 玲奈の心の声が困惑に揺れる。触れる手の温かさから敵意は感じられず、魔王妃ではないだろうと思いながらも未知の存在に対して玲奈は身構えるが、そっと抱き寄せられると、自然と反発心は生まれてこず、体がとろけていくような心地よい感覚を覚えた。

「そっか。そうだったんだね……」

 柔らかな感触に包まれ、玲奈の意識が不意に遠のいた瞬間、ぼんやりとした輪郭の仄かに光る裸の少女が、玲奈の魂の肩を掴んで引きはがした。顔はぼやけていてはっきりと認識できないが、玲奈は少女が嬉しそうに、それでいて僅かに切なさそうに微笑んでいるように思えた。

「レナちゃん。後のことは私に任せて」
(え、あの――)
「大丈夫。アナスタシアは私が何とかするから」

 夢の世界から急に現実の世界に引き戻されたかのような混乱の最中さなか、光の少女は玲奈の心の声を遮り、今度は幸せそうな笑みを浮かべていた。

「だから、レナちゃんはジンくんを、大切な人を想っていて」

 目の前で微笑む少女が誰か分からずとも、少女のその言葉は玲奈の魂に、すっと染み渡った。

(そ、そうだ。仁くんは――)
「心配いらないよ。ジンくんと一緒に幸せになってね」
(あの、あなたは……!)

 少女が玲奈の伸ばす手から、するりと逃れ、魔力の海を昇っていく。玲奈の視線が少女を追うが、海はうねりを増し、少女の姿は波の中に消えた。

 結局、少女の素性も、ここにいた理由も、そして仁との関係も玲奈にはわからなかったが、不思議と少女を疑う気持ちは湧いてこなかった。ただ仁を想えばいいという少女の言葉だけが、玲奈の心に強く残った。

(仁くん……仁くん……!)

 仁の人格は消えていない。それが分かった今、玲奈には絶望している暇も、その必要もなかった。玲奈は少女に言われたように、ひたすら仁を想う。

(仁くん……!)

 その想いに呼応するかのように、玲奈の魂の体が必死に手を伸ばす。すぐそこまで、仁の気配が近付いていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

田舎暮らしと思ったら、異世界暮らしだった。

けむし
ファンタジー
突然の異世界転移とともに魔法が使えるようになった青年の、ほぼ手に汗握らない物語。 日本と異世界を行き来する転移魔法、物を複製する魔法。 あらゆる魔法を使えるようになった主人公は異世界で、そして日本でチート能力を発揮・・・するの? ゆる~くのんびり進む物語です。読者の皆様ものんびりお付き合いください。 感想などお待ちしております。

ぐ~たら第三王子、牧場でスローライフ始めるってよ

雑木林
ファンタジー
 現代日本で草臥れたサラリーマンをやっていた俺は、過労死した後に何の脈絡もなく異世界転生を果たした。  第二の人生で新たに得た俺の身分は、とある王国の第三王子だ。  この世界では神様が人々に天職を授けると言われており、俺の父親である国王は【軍神】で、長男の第一王子が【剣聖】、それから次男の第二王子が【賢者】という天職を授かっている。  そんなエリートな王族の末席に加わった俺は、当然のように周囲から期待されていたが……しかし、俺が授かった天職は、なんと【牧場主】だった。  畜産業は人類の食文化を支える素晴らしいものだが、王族が従事する仕事としては相応しくない。  斯くして、父親に失望された俺は王城から追放され、辺境の片隅でひっそりとスローライフを始めることになる。

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

若返ったおっさん、第2の人生は異世界無双

たまゆら
ファンタジー
事故で死んだネトゲ廃人のおっさん主人公が、ネトゲと酷似した異世界に転移。 ゲームの知識を活かして成り上がります。 圧倒的効率で金を稼ぎ、レベルを上げ、無双します。

キャンピングカーで往く異世界徒然紀行

タジリユウ
ファンタジー
《第4回次世代ファンタジーカップ 面白スキル賞》 【書籍化!】 コツコツとお金を貯めて念願のキャンピングカーを手に入れた主人公。 早速キャンピングカーで初めてのキャンプをしたのだが、次の日目が覚めるとそこは異世界であった。 そしていつの間にかキャンピングカーにはナビゲーション機能、自動修復機能、燃料補給機能など様々な機能を拡張できるようになっていた。 道中で出会ったもふもふの魔物やちょっと残念なエルフを仲間に加えて、キャンピングカーで異世界をのんびりと旅したいのだが… ※旧題)チートなキャンピングカーで旅する異世界徒然紀行〜もふもふと愉快な仲間を添えて〜 ※カクヨム様でも投稿をしております

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

1×∞(ワンバイエイト) 経験値1でレベルアップする俺は、最速で異世界最強になりました!

マツヤマユタカ
ファンタジー
23年5月22日にアルファポリス様より、拙著が出版されました!そのため改題しました。 今後ともよろしくお願いいたします! トラックに轢かれ、気づくと異世界の自然豊かな場所に一人いた少年、カズマ・ナカミチ。彼は事情がわからないまま、仕方なくそこでサバイバル生活を開始する。だが、未経験だった釣りや狩りは妙に上手くいった。その秘密は、レベル上げに必要な経験値にあった。実はカズマは、あらゆるスキルが経験値1でレベルアップするのだ。おかげで、何をやっても簡単にこなせて――。異世界爆速成長系ファンタジー、堂々開幕! タイトルの『1×∞』は『ワンバイエイト』と読みます。 男性向けHOTランキング1位!ファンタジー1位を獲得しました!【22/7/22】 そして『第15回ファンタジー小説大賞』において、奨励賞を受賞いたしました!【22/10/31】 アルファポリス様より出版されました!現在第四巻まで発売中です! コミカライズされました!公式漫画タブから見られます!【24/8/28】 よろしくお願いいたします。 マツヤマユタカ名義でTwitterやってます。 見てください。

処理中です...