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第二十章

20-44.優先順位

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 仁は城を出てすぐ、エルフの長老宅に駆け込んだ。魔王妃の話が真実ならば、帝国軍が間近に迫っているかもしれないのだ。ちょうど斥候の一部の消息が途絶えたという知らせに対処していたアシュレイは、仁の話を聞くなり、すぐさま部下に情報収集と警戒を命じた。

「魔王妃が自ら動く気配はないんだな?」
「今のところは。少なくとも敵に加勢するつもりはないみたい」

 逆に言えば、味方でもない。おそらく仁に魂喰らいの魔剣ソウルイーターを使わせてジークハイドの記憶と人格のようなものを取り戻させたいと思っているであろう魔王妃が、積極的に介入してくるとは思えなかった。完璧に玲奈を演じているのならともかく、魔王妃にそのつもりがないだろうことは明々白々だ。

「まったくの無警戒というわけにはいかないが、外と内の両側から攻められるよりは……」
たわむれで街中に眷属を放たれなければいいけど……」

 仁とアシュレイは眉間に深く皺を刻んだ顔を突き合わせる。

「ジン。メルニールで眷属が数を減らしていたのは覚えているか?」

 確か雷蜥蜴サンダーリザードや一部の刈り取り蜥蜴リープリザードの姿が確認できなくなっていたはずだと、仁は以前聞いた話を思い出す。

「ああ。ただ、玲奈ちゃんとパールやガーネットが使っていた送還用のアーティファクトのようなものを魔王妃も使っているなら、またいつ召喚されてもおかしくはないけど」

 実のところ、ジークハイドの魂を受け入れた今の仁にも、魔王妃の眷属召喚の詳細はわからなかった。いにしえの大戦時にはジークハイドが戦場に一度出れば圧倒的な個の力でどうとでもなり、アナスタシアの眷属召喚の力を必要としなかった。そのため、ジークハイドが眷属と共に戦ったことはほとんどない。

 加えて、記憶というものはひどく曖昧で、印象的なエピソードは覚えていても、体験したすべてを事細かに把握しているわけではないのだ。確かなことは、眷属たちが普段は何やら特殊な場所で眠りについていることと、数が限られるものの、その戦力が相当なものだというくらいだった。

 とはいえ、玲奈の特殊従者召喚と魔王妃の眷属召喚の技能が似たようなものだと考えるのであれば、召喚者の近くにしか呼び出せないはずだ。帝国軍と共に眷属が襲ってくると言うのなら、今回は雷蜥蜴サンダーリザードのような大型の眷属は考慮しなくてもいいかもしれない。

 仁はそう思って胸を撫で下ろすが、その考えを聞いたアシュレイは首を横に振った。

「魔王妃がルーナの体を奪ったときから仕込んでいたことなのだろう? どこかで合流してから転移してくるということも十分にあり得るんじゃないか」
「となると、帝国軍もどの程度の規模かわからないわけか……」

 メルニールはそう多くはない眷属だけで陥落した。そこに帝国軍が加わるということは、個の力に数の力が加わるということだ。魔王妃の指示に従って仁が剣のみで戦うのであれば、相当厄介なことになりかねない。仁は過去の体験を思い出し、唇を噛んだ。

 そもそも、玲奈の協力が得られない今、刈り取り蜥蜴リープリザードを倒すだけでも一苦労に違いない。仁の脳裏に見知った無表情が浮かぶが、ルーナリアと別れてから消息の分からない彼女を当てにすることもできない。

 エルフの里や旧王都ラインヴェルトでもダンジョンを利用して経験を積んではきたものの、どれだけ通用するか未知数だった。

 仁が顎に手を当てて考え込んでいる間に、アシュレイは周りのエルフたちに次々と指示を出していく。

 結局のところ、敵の陣容や規模は偵察隊の情報を待つしかないが、アシュレイの招集した者たちが集まってくるまで、仁は頭を働かせ続けた。



「ジン。あなたはユミラを殺すのかしら」

 一旦の話し合いを終えて銘々が動き出す中、館の前でコーデリアが仁を呼び止めた。仁が振り返ると、真面目な顔をしたコーデリアと、おろおろした様子のセシルが出迎えた。

「コーディー。それは……」

 魔王妃に命じられた以上、仁がユミラを殺さなければ何を言われるかわかったものではないが、だからといって殺すと簡単に明言できるほど仁の心は強くもなければ、ユミラにそこまでの敵意を抱いていなかった。

 今更元の世界の倫理観がなどと言うつもりは毛頭ない。仁はかつての召喚の際も今回も、自分の意志で既に多くの人の命を奪っているのだ。

 しかし、戦場で敵として対峙しただけの人間と、僅かながらにも関わりのあった人間とでは感じ方が違ってもおかしくはない。戦場でユミラの婚約者を知らずに殺してしまったことに後悔はないが、ユミラの気持ちを慮れば同情するし、魔王妃にいいように操られている現状も憐れに思っている。

「勘違いしないでほしいのだけれど、ユミラの助命嘆願をするつもりはないわ。思うところがないわけではないけれど、あの子はあなたへの恨みだけで私を売ったのだから」
「コーディー……」

 眉尻を下げる仁を、コーデリアは真っ直ぐに見つめた。

「けれど、お優しいあなたはきっと躊躇するのでしょう?」

 答えられずにいる仁に、コーデリアが一歩近付いた。

「あの子にあなたが殺せるとは思えないわ。魔王妃にしてもあなたに死んでもらっては困るのだから、何か手を回しているとも思えない。けれど、戦場では何があってもおかしくないわ。だから、ジン」

 更に一歩、仁に歩み寄って見上げるように見つめるコーデリアの碧の瞳に、仁の視線が吸い寄せられる。

「ユミラを救おうなんて考えるのはやめなさい。あなたが救うべきはレナさんであり、リリーさんにミル、ロゼたちでしょう?」
「コーディー……」
「優先順位を間違えないで。戦場でのことを持ち出してあなたの命を狙う相手と、あなたの大切な人たち。どちらが大事かなんて、はかりにかけるまでもないわ」

 仁はコーデリアを見つめ返し、ゆっくりと頷く。コーデリアがユミラに対してどういう感情を抱いているのか推し量ることはできないが、仁を心から心配しての忠告だということは、しっかりと伝わっていた。

「でも、さっきのルーナの作戦が成功すれば、ただ魔王妃に命じられたからっていう理由だけでユミラさんを殺す必要はなくなるよね?」

 ユミラが仁への復讐を諦めない限り、仁がユミラを手放しで見逃すわけにはいかない。下手な同情心が、巡り回って玲奈たちの安全をおびやかすかもしれないのだ。しかし、命じられたから殺すということは、仁はしたくなかった。生かすにせよ殺すにせよ、ユミラと仁の問題であり、魔王妃は関係ない。

「あなたっていう人は……」

 コーデリアが溜息交じりに肩を竦める。コーデリアは呆れたような目で仁を眺めていたが、しばらくすると、スッと表情を改めた。

「いいわ。もし殺さずに済ませられたのなら、私の前に連れてきなさい。あの子には私も言いたいことが山ほどあるわ。だから、必ず作戦を成功させなさい。いいわね」

 仁が大きく頷くと、コーデリアは満足そうに口角を吊り上げた。その背後でセシルがホッと安堵の息を吐く。

 その場で二人と別れた仁は白き尖塔を仰ぎ見て、心の中で「もう少しだけ待っていて」と強く念じ、自らの役目を果たすべく目的地に向けて大きな一歩を踏み出した。
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