上 下
520 / 616
第二十章

20-35.光明

しおりを挟む
 仁が魔王妃への反抗を決意した日から数日が経過した。アシュレイから城で暮らす許可を得た仁は魔王妃に体を乗っ取られた玲奈と一緒に暮らしている。

 とはいえ、四六時中一緒にいるわけではない。今のところ、魔王妃もこの場で全面戦争を始めるつもりはないようで、仁が旧王都ラインヴェルトの城下街やダンジョンで活動することを禁じなかった。

 しかし、夕方には城に帰り、一緒に夕食を取ることを義務づけられ、毎日のように入浴や寝室を共にするよう迫られる生活は、仁にとって、とてもではないが心穏やかでいられるものではなかった。

 救いだったのは魔王妃が玲奈の体を汚すようなことを強制しなかったことだ。実際、強引に風呂場に連れ込まれたときは、仁はずっと目を閉じていて魔王妃に体を洗われただけだし、玲奈の貞操を盾にベッドの中に潜り込んできたときも、抱き付かれて眠る以外のことはされていない。

 玲奈の与り知らぬところで身体的な接触はあったが、何とか玲奈には許してもらえるラインだと仁は思うことにしていた。

 もちろん魔王妃の手から玲奈を救い出した暁には誠心誠意謝罪するつもりではあるが、風呂場では仁からは一切玲奈の体に触れておらず、同じベッドで寝た件に関しては、以前、玲奈が玲奈のときにも経験があるので、これが原因で玲奈に嫌われるようなことはないと仁は自身に言い聞かせていた。

「はぁ……」

 仁がここ数日の魔王妃とのやり取りを振り返り、せめて大好きな玲奈の声で卑猥なことを囁くのは止めてもらいたいと思いながら溜息を吐くと、頬を紅潮させたリリーが心配そうな顔で仁を見つめていた。

「ジンさん、大丈夫ですかっ?」
「あ、ごめん。俺は大丈夫。それより、リリーの方こそ、体は大丈夫?」

 仁とリリーは今、戦乙女の翼ヴァルキリーウイングの家にある仁の部屋のベッドの上にいた。リリーは下半身を掛布団で隠した状態で横になっていて、仁はその傍らに座っている。

「はいっ。少し休んでいたら、だいぶ楽になりました」

 そう言って、額に汗を滲ませたリリーが柔らかく微笑む。仁は申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、リリーは優しい目を細くして小さく笑った。

「わたしにとってはご褒美みたいなものなので、気にしないでください。何なら、このままもう1回してもらってもいいですよ?」
「気持ちは嬉しいけど、リリーの体への負担が大きすぎるから」

 仁は首を横に振る。危険を承知の上で協力してくれているだけでも助かっているのに、必要以上に甘えるわけにはいかなかった。

「わかりました。でも、レナさんを助けるために必要なことなんですから、遠慮はしないでくださいねっ。あ、でも、ジンさんも無理はダメですよっ?」
「うん。ありがとう」

 この数日間、仁はリリーをはじめ、ロゼッタやミル、セシル、コーデリア、トリシャ他、これまで仁の魔力操作の訓練を受けたことのある女性陣の協力を得て、ある実験と練習を繰り返していた。

 その実験とは、魔力操作の訓練の応用で自身の魔力を他者に流し込み、“魂”を探るというものだ。もし魂というものが本当に魔力と同質のものとして体内に存在しているのなら、流し込んだ魔力で触れられるかもしれない。

 そして、もし仁が他者の体内の魂の存在を知覚することができれば、玲奈の内の魔王妃の魂を判別できる可能性がある。その上で魔王妃の魂を仁の魔力で絡み取り、そのまま玲奈の体外に排出する。それが皆で話し合った結果、玲奈を救う手立てとして導き出された手法だった。

 この策は、玲奈が他者から魔力を吸収するように魔王妃の魂を吸い出せないかというリリーの意見が出発点だった。これは魔法を修得するためにずっと玲奈と一緒に練習し続けてきたリリーだからこそ出た意見だと仁は思い、リリーにとても感謝している。

 その後、皆で意見を出し合ってこの結論を迎えたが、体への負担を顧みず、リリーもこの実験と練習の相手として名乗りを上げたのだった。

「ジンさん。わたしならもう大丈夫です。だから、ジンさんが大丈夫なら、次の練習に行ってくださいっ」

 仁はリリーが起き上がれるようになるまで傍で見守っているつもりだったが、リリーは仁にロゼッタの部屋に向かうよう促した。

「……わかった。俺のベッドで良ければ、このまま休んでいてほしい。夕食はココに頼んでおくよ」

 夕方には城に戻らなければならない仁は一緒に食べることはできないが、リリーはその提案を快く受け入れた。

「リリー、ありがとう。」

 仁は最後に再び感謝の気持ちを伝え、自室を後にする。まだまだ乗り越えなければならない壁は多くあるが、ようやく玲奈を救い出す光明が見えたのだ。

 ロゼッタの待つ部屋に足を向けながら、仁は玲奈を救う方法に考えを巡らす。

 まずは召喚魔法陣をアイテムリングに収納するなどして、再度の召喚を封じる。その上で、以前、仁が失った記憶を自力で取り戻したときと同じように自ら隷属を解く。そして玲奈を拘束し、魔力を流し込んで魔王妃の魂を玲奈の体外へ排除する。その際、周囲から魔王妃の魂の退避先をなくし、更に、空気中の魔王妃の魂を何とかして処分する。

 そうすれば一連の魔王妃の問題は解決するはずだ。

 しかし、どんなに人を近づけないようにしてもロゼッタは玲奈の特殊従者召喚で呼び出されてしまうし、空気中の魔王妃の魂を魔力感知等で判別できるかどうかもわからない。そして、それをどう処分するかも。

 そもそも、玲奈の体自体が人質とされている状況で拘束できるのか。それに、途中で目論見がバレてしまえば、街中に眷属たる魔物たちが放たれてしまう恐れがある。遠隔魔法のように地面などに触れずとも眷属を召喚できることは先のルーナリアとユミラの件で判明しているため、玲奈の体を拘束していても防げない可能性の方が高いのだ。

 恐るべき鉤爪テリブルクローや刈り取り蜥蜴《リープリザード》は元より、雷蜥蜴サンダーリザードやまだ見ぬ大型肉食恐竜の魔物などから、どうやって皆を守るのか。光明はあれど、それは圧倒的な暗闇にいつ飲み込まれてしまってもおかしくはなかった。

 ズキンと、仁の下腹部がうずく。仁は思わず臍の下辺りに手を当てるが、別に腹痛がするわけではなかった。仁は何となく違和感を覚えるが、魂喰らいの魔剣ソウルイーターから受け入れた魔力の一部がまだ完全には馴染んでいないのかもしれないと考え、とりあえず放っておくことにする。

 実験と練習に支障をきたすほどではないと思う一方、暗い感情のように、心の、体の奥底に沈殿しているかのようにも思える魔王の魔力が皆の体内に悪影響を及ぼさないように気を付けなければならないと心に刻む。

 感情と魔力は別だとわかっているし、今の仁は魔王とは別の人格だと信じているが、仁は当時の自分の内にあったであろう負の感情を、あまり皆に知られたくはなかった。

 とはいえ、玲奈を救うためには、この行為を止めるわけにはいかない。仁の手のひらの下で、再度、下腹部が疼いた。

 まるで「ここにいるぞ」とでも言われているような薄ら寒さを感じながら、仁は一筋の光明を信じ、ロゼッタの部屋に向かって重い足を動かした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】ご都合主義で生きてます。-ストレージは最強の防御魔法。生活魔法を工夫し創生魔法で乗り切る-

ジェルミ
ファンタジー
鑑定サーチ?ストレージで防御?生活魔法を工夫し最強に!! 28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。 しかし授かったのは鑑定や生活魔法など戦闘向きではなかった。 しかし生きていくために生活魔法を組合せ、工夫を重ね創生魔法に進化させ成り上がっていく。 え、鑑定サーチてなに? ストレージで収納防御て? お馬鹿な男と、それを支えるヒロインになれない3人の女性達。 スキルを試行錯誤で工夫し、お馬鹿な男女が幸せを掴むまでを描く。 ※この作品は「ご都合主義で生きてます。商売の力で世界を変える」を、もしも冒険者だったら、として内容を大きく変えスキルも制限し一部文章を流用し前作を読まなくても楽しめるように書いています。 またカクヨム様にも掲載しております。

田舎暮らしと思ったら、異世界暮らしだった。

けむし
ファンタジー
突然の異世界転移とともに魔法が使えるようになった青年の、ほぼ手に汗握らない物語。 日本と異世界を行き来する転移魔法、物を複製する魔法。 あらゆる魔法を使えるようになった主人公は異世界で、そして日本でチート能力を発揮・・・するの? ゆる~くのんびり進む物語です。読者の皆様ものんびりお付き合いください。 感想などお待ちしております。

ぐ~たら第三王子、牧場でスローライフ始めるってよ

雑木林
ファンタジー
 現代日本で草臥れたサラリーマンをやっていた俺は、過労死した後に何の脈絡もなく異世界転生を果たした。  第二の人生で新たに得た俺の身分は、とある王国の第三王子だ。  この世界では神様が人々に天職を授けると言われており、俺の父親である国王は【軍神】で、長男の第一王子が【剣聖】、それから次男の第二王子が【賢者】という天職を授かっている。  そんなエリートな王族の末席に加わった俺は、当然のように周囲から期待されていたが……しかし、俺が授かった天職は、なんと【牧場主】だった。  畜産業は人類の食文化を支える素晴らしいものだが、王族が従事する仕事としては相応しくない。  斯くして、父親に失望された俺は王城から追放され、辺境の片隅でひっそりとスローライフを始めることになる。

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

若返ったおっさん、第2の人生は異世界無双

たまゆら
ファンタジー
事故で死んだネトゲ廃人のおっさん主人公が、ネトゲと酷似した異世界に転移。 ゲームの知識を活かして成り上がります。 圧倒的効率で金を稼ぎ、レベルを上げ、無双します。

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

役立たずと言われダンジョンで殺されかけたが、実は最強で万能スキルでした !

本条蒼依
ファンタジー
地球とは違う異世界シンアースでの物語。  主人公マルクは神聖の儀で何にも反応しないスキルを貰い、絶望の淵へと叩き込まれる。 その役に立たないスキルで冒険者になるが、役立たずと言われダンジョンで殺されかけるが、そのスキルは唯一無二の万能スキルだった。  そのスキルで成り上がり、ダンジョンで裏切った人間は落ちぶれざまあ展開。 主人公マルクは、そのスキルで色んなことを解決し幸せになる。  ハーレム要素はしばらくありません。

キャンピングカーで往く異世界徒然紀行

タジリユウ
ファンタジー
《第4回次世代ファンタジーカップ 面白スキル賞》 【書籍化!】 コツコツとお金を貯めて念願のキャンピングカーを手に入れた主人公。 早速キャンピングカーで初めてのキャンプをしたのだが、次の日目が覚めるとそこは異世界であった。 そしていつの間にかキャンピングカーにはナビゲーション機能、自動修復機能、燃料補給機能など様々な機能を拡張できるようになっていた。 道中で出会ったもふもふの魔物やちょっと残念なエルフを仲間に加えて、キャンピングカーで異世界をのんびりと旅したいのだが… ※旧題)チートなキャンピングカーで旅する異世界徒然紀行〜もふもふと愉快な仲間を添えて〜 ※カクヨム様でも投稿をしております

処理中です...