上 下
488 / 616
第二十章

20-3.二つ名

しおりを挟む
「玲奈ちゃん。今、ミルはどこにいるんだっけ」
「えっと。診療所に顔を出してから、ルビーの様子を見に行ってるはずだよ」

 リリーと別れた仁はトリシャの望みを受け入れ、ミルのところまで案内することになった。これからロゼッタ、カティアと合流して各所の手伝いに回る予定の玲奈を見送り、仁は「じゃあ、行こうか」とトリシャに声をかける。

「診療所……やっぱり噂は本当なんだ……」

 小声で呟くトリシャを促し、仁は診療所に向かって歩き出した。仁と玲奈がラインヴェルト城の地下室を訪れていた時間を考慮すれば、既にミルは湖にいるかもしれないが、城前からは診療所の方が近かった。

 この場合の診療所とは、しっかりとした施設が完成するまで街の広場の脇に仮に設置された野外診療所のことで、ミルは度々そこを訪れては回復魔法を必要とする怪我人の治療を行っている。

 戦時ではない今、それほど重傷者が発生するわけではないが、街に程近い魔物が生息するエリアの探索や街の復旧工事での事故等々で、少なからず負傷者は生まれていた。

 先日などは騎馬隊が巡回中に突如現れた殺人鰐キラークロコダイルの襲撃を受けて隊員の一人が落馬して大怪我を負い、ミルの回復魔法による治療を受けたこともあった。

 仁はもしかするとその時のことがリガー村で噂になったのかもしれないと想像しながら、背後を俯き加減で付いてくるトリシャの様子をこっそり窺う。

 ゲルトやグイダからは、トリシャが回復魔法を使えるとは聞いていない。だからと言ってトリシャに回復魔法の適性がないと決めつけられるわけではないが、何事か考え込んでいるようなトリシャを見れば、その可能性が高いのではないかと仁には感じられた。

 小さな聖女として名をせた、旧ラインヴェルト王国の、リガー村の英雄の子孫であることを誇りに思い、祖先の志を受け継ごうとしているトリシャの目に、偶然とはいえ同じ二つ名で呼ばれているミルの存在がどう映るのか、仁は少しだけ心配になってしまう。

 ミルがかつての小さな聖女フランと同じく、仁の仲間という立ち位置にいるのだから、なおさらだ。

 しかし、その一方で、短い期間ながらも近くで接したトリシャの印象からは、それをもってミルに悪感情を抱くとは思い難かった。

「トリシャ」

 仁が歩幅を縮め、トリシャに並んで呼びかけると、トリシャが暗い顔を仁に向けた。

「えっとさ、ミルがメルニールの人とかエルフの里の人たちにフランと同じ“小さな聖女”って呼ばれているのは本当だけど、ミルが自ら名乗ったわけでもなければ、周りの人たちがフランになぞらえてそう呼んでいるわけでもないからね」

 仁はゆっくり歩きながら、簡単にこれまでの経緯を説明する。メルニールでは帝国との最初の戦争で、エルフの里では恐るべき鉤爪テリブルクローの襲撃の際の治療行為がきっかけだったと仁は記憶している。

 そして、貴重な回復魔法の優れた使い手で、治療に対価を求めず、年若い女性。これらの共通点が、二人が同じ二つ名で呼ばれるという偶然を生み出したのだと仁は思っていた。

 ちなみに、診療所を任されているエルフの薬師らからは、戦時を除いて治療費を取るべきではないかと打診されたが、ミル本人や仲間たちとの話し合いの結果、あくまで無理のない範囲でミルが善意で行っていることであることから、少なくとも街が本格的に稼働するまでは対価を求めないことに決まった。

 それに対して、追々は冒険者として生計を立てているミルへの依頼という形で診療所から報酬を出すつもりだという申し出があった。仁は、対象がミルでなくても他にもいるかもしれない回復魔法の使い手が戦わずとも生きられる道に繋がるかもしれないと、喜んで受け入れた。

「うん、わかってる」

 トリシャが複雑な表情をしながらも、仁を見上げて頷いた。

 そんなトリシャの様子に、仁は、やはりリガー村の人たちにとって“小さな聖女”というものがとても大きな存在なのだと改めて思い知る。今にして思えば、白虎族であるロゼッタに対しての村人たちの態度から考えれば、ミルの二つ名について軽く考えるべきではなかったと仁は反省する。

 ふと、仁の頭に「ゲルトはミルの二つ名を知っていたっけ?」という考えが浮かぶが、その答えがどうであれ、ミルを“ちっちゃい姉貴”と呼んで仲良くしている姿を思い出せば、大した問題にはならないだろうと仁は結論付けた。

 やや気まずい沈黙の中、二人が広場の診療所を訪れると、エルフの薬師から既にミルが立ち去ったと告げられた。薬師がミルへの感謝を口にしている間、トリシャはずっと俯いたままだった。



「ミルはミルなの! ジンお兄ちゃんたちの妹なの!」

 仁がトリシャをゲルトの妹だと紹介すると、ミルは普段と変わらず元気よく、笑顔で自己紹介した。

「トリシャ・リガーです……」

 トリシャのどこか不安げな様子に、ミルが小さく小首を傾げる。横で見ていた仁がどう間を取りなすべきか頭を悩ませていると、ミルは、ハッとしたように顔を真横に向けてからトリシャに向き直る。

「イムちゃんはイムちゃんっていうの。怖くないの。とっても優しくて可愛いの!」
「グルッ!? グ、グルゥ!」

 イムが焦ったような声を上げた後、トリシャに向かって自己紹介代わりに一鳴きする。

 トリシャの事情に明るくないミルはトリシャがイムを怖がっているのではないかと推測したようだった。仁としてはまだ小さいイムよりも、ミルの背後の湖に浮かんでこちらの様子をジッと見つめているルビーの方が怖がられるかもしれないと思ったが、トリシャの思いつめたような様から、そもそもどちらも目に入っていないのだろうと考える。

 トリシャが意を決したように勢いよく顔を上げ、切羽詰まった顔をミルに向けた。

「あ、あの……!」

 必死さの滲み出る声と表情に、ミルが目を丸くする。

「私に回復魔法を教えてください! お願いします……!」

 トリシャが、ガバッと頭を下げる。ミルは困惑の視線をトリシャの頭頂に向けた後、仁に縋るような目を向けた。仁は苦笑いを浮かべ、混乱の最中にいるミルの頭にそっと手を置いた。

「トリシャ、とりあえず顔を上げて。落ち着いて話をしよう」

 仁はトリシャがミルに悪感情を抱いているわけではないと知って、内心で安堵の息を吐く。

 トリシャがゆっくりと上半身を起こし、仁とミルの間で視線を彷徨わせてから、小さく頷いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】ひとりで異世界は寂しかったのでペット(男)を飼い始めました

桜 ちひろ
恋愛
最近流行りの異世界転生。まさか自分がそうなるなんて… 小説やアニメで見ていた転生後はある小説の世界に飛び込んで主人公を凌駕するほどのチート級の力があったり、特殊能力が!と思っていたが、小説やアニメでもみたことがない世界。そして仮に覚えていないだけでそういう世界だったとしても「モブ中のモブ」で間違いないだろう。 この世界ではさほど珍しくない「治癒魔法」が使えるだけで、特別な魔法や魔力はなかった。 そして小さな治療院で働く普通の女性だ。 ただ普通ではなかったのは「性欲」 前世もなかなか強すぎる性欲のせいで苦労したのに転生してまで同じことに悩まされることになるとは… その強すぎる性欲のせいでこちらの世界でも25歳という年齢にもかかわらず独身。彼氏なし。 こちらの世界では16歳〜20歳で結婚するのが普通なので婚活はかなり難航している。 もう諦めてペットに癒されながら独身でいることを決意した私はペットショップで小動物を飼うはずが、自分より大きな動物…「人間のオス」を飼うことになってしまった。 特に躾はせずに番犬代わりになればいいと思っていたが、この「人間のオス」が私の全てを満たしてくれる最高のペットだったのだ。

【完結】酔い潰れた騎士を身体で慰めたら、二年後王様とバトルする事になりました

アムロナオ
恋愛
医療費が払えず頭を抱えていたアニーは、ひょんな事から浮気されヤケ酒で潰れていた騎士のダリウシュを介抱する。自暴自棄になった彼は「温めてくれ」と縋ってきて……アニーはお金のためそして魔力を得るため彼に抱かれる。最初は傷つけるようにダリウシュ本位の行為だったが、その後彼に泣きながら謝罪され、その姿に絆されてしまったアニーは、その出来事をきっかけにダリウシュが気になり始める。 しかし翌朝、眼が覚めるとダリウシュはお金を残して消えていたーー。 ーー二年後、力に目覚めたアニーはそれを利用しイカサマしてお金を稼いでいたが、悪事が放置されるはずもなく、とうとう逮捕されてしまう。 国王の前で裁かれたアニーは再びダリウシュと再開し、彼のおかげで軽い罰で済んだ……のだが、アニーを助けたダリウシュは「一緒に国王を倒そう!」と言ってきて!? 愚直なマイペース好青年ダリウシュ×コミュ障一匹狼アニーのエロありのサクセスストーリーです! 途中重いテーマも入りますが、楽しんで頂けると嬉しいな♬ ※えち描写あり→タイトルに◆マークつけてます ※完結まで毎日更新

二人の公爵令嬢 どうやら愛されるのはひとりだけのようです

矢野りと
恋愛
ある日、マーコック公爵家の屋敷から一歳になったばかりの娘の姿が忽然と消えた。 それから十六年後、リディアは自分が公爵令嬢だと知る。 本当の家族と感動の再会を果たし、温かく迎え入れられたリディア。 しかし、公爵家には自分と同じ年齢、同じ髪の色、同じ瞳の子がすでにいた。その子はリディアの身代わりとして縁戚から引き取られた養女だった。 『シャロンと申します、お姉様』 彼女が口にしたのは、両親が生まれたばかりのリディアに贈ったはずの名だった。 家族の愛情も本当の名前も婚約者も、すでにその子のものだと気づくのに時間は掛からなかった。 自分の居場所を見つけられず、葛藤するリディア。 『……今更見つかるなんて……』 ある晩、母である公爵夫人の本音を聞いてしまい、リディアは家族と距離を置こうと決意する。  これ以上、傷つくのは嫌だから……。 けれども、公爵家を出たリディアを家族はそっとしておいてはくれず……。 ――どうして誘拐されたのか、誰にひとりだけ愛されるのか。それぞれの事情が絡み合っていく。 ◇家族との関係に悩みながらも、自分らしく生きようと奮闘するリディア。そんな彼女が自分の居場所を見つけるお話です。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※作品の内容が合わない時は、そっと閉じていただければ幸いです(_ _) ※感想欄のネタバレ配慮はありません。 ※執筆中は余裕がないため、感想への返信はお礼のみになっておりますm(_ _;)m

『覇王アンシュラオンの異世界スレイブサーガ』 (旧名:欠番覇王の異世界スレイブサーガ)

園島義船(ぷるっと企画)
ファンタジー
★【重要】しばらくは本家の「小説家になろう」のほうだけの更新となります★ ――――――――――――――――――――――― 【燃焼系世界】に転生した少年の、バトルあり、ほのぼのあり、シリアスあり、ギャグありのバトル系ハーレム物語(+最強姉)。  生まれ変わったら、「姉とイチャラブして暮らしたい。ついでに強い力で守ってあげて、頼られたい」。姉属性大好きの元日本人のアンシュラオンは、そんな願いをもって転生したものの、生まれた異世界にいた姉は、最高の資質を持つはずの自分すら超える【最強の姉】であった。  激しく溺愛され、その重い愛で貞操すら(過去に自ら喜んで)奪われ、半ば家畜同然に暮らしていたが、ようやく逃げ出すことに成功する。常に支配され続け、激しいトラウマを負った彼が次に求めるのは、「従順な女性とイチャラブしたい」という願望。そこで目をつけたのがスレイブ(奴隷)である。  「そうだ。スレイブならば、オレを支配しないはずだ。何でも言うことを聞いてくれるし」  そんな単純で不純な動機でスレイブに手を染めるのだが、それが彼の運命を大きく変えていくことになる。  覇王アンシュラオンと『災厄の魔人』である最強姉のパミエルキが織り成す、異世界バトルハーレムファンタジー! ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――  ここはフロンティア。安っぽい倫理観などなく、暴力と金だけが物を言う魔獣溢れる未開の大地。嫌いなやつを殺すことも自由。奪うのも自由。誰かを愛するのも自由。誰かを助けるのも自由。そんな中で好き勝手に生きる少年が、お姉さんとイチャついたり、女の子たちを優遇したり、おっさんと仲良くしたり、商売を始めたり、都市や国を創ったり、魔獣を飼い慣らしたりする物語。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ※しばらく毎日更新予定。最低でも【午前一時】に1話アップ ※よろしければ評価、ブックマークよろしくお願いします(=^^=) ※以前のもの「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」とは異なる新バージョンです。草案に基づいてリメイク、違う展開の新版として再スタートしています!旧版は作者HPで掲載しています。 〇小説家になろう、カクヨムでも同時連載しています。 https://ncode.syosetu.com/n7933hg/ https://kakuyomu.jp/works/16816700429162584988 〇HP https://puruttokikaku.com/ 〇ブログ https://puruttokikaku.muragon.com/

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

少年はメスにもなる

碧碧
BL
「少年はオスになる」の続編です。単体でも読めます。 監禁された少年が前立腺と尿道の開発をされるお話。 フラット貞操帯、媚薬、焦らし(ほんのり)、小スカ、大スカ(ほんのり)、腸内洗浄、メスイキ、エネマグラ、連続絶頂、前立腺責め、尿道責め、亀頭責め(ほんのり)、プロステートチップ、攻めに媚薬、攻めの射精我慢、攻め喘ぎ(押し殺し系)、見られながらの性行為などがあります。 挿入ありです。本編では調教師×ショタ、調教師×ショタ×モブショタの3Pもありますので閲覧ご注意ください。 番外編では全て小スカでの絶頂があり、とにかくラブラブ甘々恋人セックスしています。堅物おじさん調教師がすっかり溺愛攻めとなりました。 早熟→恋人セックス。受けに煽られる攻め。受けが飲精します。 成熟→調教プレイ。乳首責めや射精我慢、オナホ腰振り、オナホに入れながらセックスなど。攻めが受けの前で自慰、飲精、攻めフェラもあります。 完熟(前編)→3年後と10年後の話。乳首責め、甘イキ、攻めが受けの中で潮吹き、攻めに手コキ、飲精など。 完熟(後編)→ほぼエロのみ。15年後の話。調教プレイ。乳首責め、射精我慢、甘イキ、脳イキ、キスイキ、亀頭責め、ローションガーゼ、オナホ、オナホコキ、潮吹き、睡姦、連続絶頂、メスイキなど。

モブだった私、今日からヒロインです!

まぁ
恋愛
かもなく不可もない人生を歩んで二十八年。周りが次々と結婚していく中、彼氏いない歴が長い陽菜は焦って……はいなかった。 このまま人生静かに流れるならそれでもいいかな。 そう思っていた時、突然目の前に金髪碧眼のイケメン外国人アレンが…… アレンは陽菜を気に入り迫る。 だがイケメンなだけのアレンには金持ち、有名会社CEOなど、とんでもないセレブ様。まるで少女漫画のような付属品がいっぱいのアレン…… モブ人生街道まっしぐらな自分がどうして? ※モブ止まりの私がヒロインになる?の完全R指定付きの姉妹ものですが、単品で全然お召し上がりになれます。 ※印はR部分になります。

【R-18】踊り狂えその身朽ちるまで

あっきコタロウ
恋愛
投稿小説&漫画「そしてふたりでワルツを(http://www.alphapolis.co.jp/content/cover/630048599/)」のR-18外伝集。 連作のつもりだけどエロだから好きな所だけおつまみしてってください。 ニッチなものが含まれるのでまえがきにてシチュ明記。苦手な回は避けてどうぞ。 IF(7話)は本編からの派生。

処理中です...