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第十九章

19-15.才能

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「あ、ジンさん、ロゼさん。おはよー」

 以前と同じリガー村の空き家を借りて一夜を過ごした仁とロゼッタが身支度を整えてから村の奥の牧場に向かうと、幼さの残る少女が馬上から手を振ってきた。

「おはよう。トリ――」

 仁は手を振り返そうとするが、その途中で固まった。トリシャが騎乗しているのは厳密には馬ではなく、馬型の魔物。仁が白馬だと思ったその馬のひたいからは、一本の鋭く細い角が伸びていた。

「え。トリシャ、一角馬ユニコーンに乗せてもらえたの!?」

 仁が目を見開く。トリシャが一角馬ユニコーンに避けられる条件を満たしていないのは仁の想定通りだが、まさか昨日の今日で乗せてもらえるほど仲良くなるとは思っていなかった。

「うん。この子で最後なんだ」

 トリシャは鞍もあぶみも手綱もないまま器用に馬上でバランスを取りながら、笑顔で頷いた。

「最後……?」

 首を捻った仁が尋ねると、トリシャが一角馬ユニコーンをゆっくり歩かせながら、少し離れたところからで口を開く。一定の距離から近付いてこないのは、言うまでもなく一角馬ユニコーンが仁に近寄りたくないからだ。

「え? 数頭から?」

 トリシャの話によると、今朝早く一角馬ユニコーンたちの様子を見に来たところ、数頭に囲まれ、それぞれから自分に乗ってほしいとせがまれたのだという。

 人語を解して念話を操る一角馬ユニコーンとトリシャの間のコミュニケーションは問題なく成立し、騎乗者たる条件を満たしているのだから不思議はないが、玲奈たちとのときとは状況が違うとはいえ、あっさりと乗せてもらえたどころか、乞われたトリシャに、仁は畏敬にも似た感情を抱く。

 一角馬ユニコーン八脚軍馬スレイプニルほど本能的に乗り手を求めるわけはないのだ。

 仁が驚愕していると、四つ足を折って腹部を地に付けた一角馬ユニコーンからトリシャが飛び降り、一言「ありがとう」と告げてから振り向く。仁に近寄るトリシャの後ろで、一角馬ユニコーンが名残惜しそうな眼をしていた。

「それで、ジンさんたちはどうしてここに? 私に用事があったわけじゃないよね?」
「ああ、うん。今日、湖に向かえそうか一角馬ユニコーンたちに確認しておこうかと思って」
「あ、それなら大丈夫そうだよ。みんな、私のためにも頑張るって意気込んでくれてたから」

 少し照れた様子で言うトリシャに、仁は余程気に入られたのかと驚きを隠せない。小さい頃から馬に慣れ親しんできたからか、それともトリシャの気質によるものか。理由は定かではないが、嫌われるよりは好かれている方が良いことだけは間違いなかった。

「そっか。じゃあ、ロゼ。打ち合わせをお願いね」
「承知しました」

 仁はロゼッタが一角馬ユニコーンたちの元へ向かうのをその場で見送り、ふと視線を斜め下に向ける。仁と同様にロゼッタの後姿を眺めていたトリシャが自らに向けられる視線に気付き、顔を上げた。

「どうかした?」
「いや、えっと。トリシャは乗せてもらった一角馬ユニコーンのうちの誰かを愛馬にするのかなって」

 もし本当に一角馬ユニコーンの群れがラインヴェルト湖の湖畔に移住するのであれば、仮に一角馬ユニコーンが群れを離れるのを嫌がったとしても、毎日と言わずともそれなりの頻度で会えるのではないかと仁は考えた。

 一角馬ユニコーンの方からトリシャに乗ってほしいと懇願するくらいなのだから、トリシャの愛馬になりたいと思っていてもおかしくはない。

「うーん……。どうかな。あの子たちが私に乗ってほしいって言ってくれるのは嬉しいんだけど、私にはファイエルがいるし……」
「え、あ、いや。ファイエルはゲルトの馬じゃ……?」

 真顔で考え込むトリシャに仁が戸惑っていると、トリシャは表情を一転させて笑顔になった。

「ジンさん。冗談だよ、冗談。ファイエルのことは大好きだけど、一応は兄さんの愛馬っていうことになってるからね」
「そ、そっか。俺の知らない間にゲルトがまた何かやらかしたのかと思ったよ」

 仁が頬を掻くと、トリシャは「あはは」と笑った。

「大丈夫だよ。兄さんがジンさんたちを迎えに行ったとき、ファイエルに乗ってたでしょ?」
「あ、そっか。そうだよね」

 昨日のことを思い出し、仁はホッと息を吐く。そんな仁の様子に、トリシャが自身の笑みに苦笑いを混ぜ込んだ。

「ジンさんの兄さんの評価って、けっこうアレだよね」
「あ。いや、その。頼りにはしているよ?」

 兄が大好きなトリシャの気分を害してしまったかと仁は慌てるが、トリシャは違う違うとでも言うように、首を素早く左右に振った。

「兄さんがアレなのは事実だけど、すっかり仲良しだなって」
「仲良し?」
「うん」

 トリシャが迷いなく頷く。仁は僅かに首を捻りながらも、確かに出会ってまだ間もないことを考えると、今更ながらに雑な扱いをしてしまったり、かなり気軽に弄ったりしてしまっていたことに気付く。

「まぁ、兄さんは誰とでもすぐ打ち解ける方だけど」
「うん。それは確かに」

 思い返せば、ミルやロゼッタもゲルトとすぐ仲良くなっていたし、姉貴と呼ばれる玲奈も、戸惑いつつも少し嬉しそうにしていたような気がした。

 仁としてはゲルトがフランの子孫だという点も大きいのかもしれないと考えながら、兄貴と親しんでくれることを嬉しく思った。

「それもゲルトの才能かもしれないね」

 しみじみと言う仁に、トリシャが顔を綻ばせる。

「まあ、ちょっとアレなところはあるけど」
「うん。兄さんはアレだけど」
「アレって何だ、アレって!」

 仁が「アレなところも親しみやすさに一役買っているのかもしれない」と思いながらトリシャと笑い合っていると、不満さを隠しもしない声が割り込んできた。

「あれ? ゲルト、いつの間に?」
「あれ? 兄さん、いたの?」

 仁とトリシャが同時に声のした方を振り向き、これまた同時に首を傾けた。

「二人して“アレ、アレ”って、何だよ」

 憤るゲルトに、仁とトリシャが顔を見合わせる。

「何って言われても、ねえ」
「うん。アレはアレとしか言えないし」

 二人は再び同時に首を傾げてからゲルトに向き直った。そのシンクロしたかのような動きに、ゲルトの目に浮かぶ剣呑さが増していく。

「ていうか、ゲルト。どこから聞いてたの?」
「“ちょっとアレなところはあるけど”からだよ!」
「何だ。最後のとこだけか」

 仁が肩を竦める。もっと前から聞いていれば、誉め言葉でもあったことが伝わったかもしれないが、そこだけ聞いたのでは不満を持つのも仕方がなかった。

「最初は何のことかわからなかったけど、トリシャが“兄さんはアレだけど”って言ったからな。兄貴、俺は誤魔化されないぞ!」

 ゲルトが「説明と謝罪を要求する!」と声高に訴える。続く「お詫びは湖の浄化への立ち合いの許可でいいぞ!」という言葉に、仁はどう収拾を付けるかを忘れて暫し呆けてしまう。

 一角馬ユニコーンたちを自ら出迎えるくらいなのだから見届けるために当然一緒に来るものだと思っていた仁は戸惑うが、いつの間にか縋るような目でトリシャを見つめるゲルトの様子から、ファイエルを取り上げられることはなくても謹慎処分を言い渡されるだけのことはしたのだと、仁はすべてを察した。

「ゲルト。また何かやらかしたのか……」
「トリシャ、どうせ兄貴と俺の悪口で盛り上がっていたんだろ? 許してやるから謹慎処分を撤回してくれ! な!」

 微妙に上から目線の懇願に、トリシャが大きく溜息を吐いた。仁が小声でこっそり、今度は何をしでかしたのかとトリシャに尋ねると、村長の仕事をトリシャに放り投げて連日一角馬ユニコーンと仁たちを出迎えるために出かけていたとの答えが返ってきた。

 トリシャの両肩を握りしめて許可を得ようと縋りつくゲルトに、仁は半眼を向けた。

「頼む! 一生のお願いだから!」
「兄さんの一生は何回あるの?」
「今度こそ! 今度こそ本当の一生のお願いだから!」

 一角馬ユニコーンや牧場の馬たちが遠巻きに様子を窺う中、ゲルトの情けない叫びは、ロゼッタが戻り、オニキスとガーネットがファイエルを連れてやってくるまで続いたのだった。
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