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第十九章

19-6.祈り

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「あら? どなたかと思えば、ルーナリア皇女殿下ではありませんか」

 一回り大きい恐るべき鉤爪テリブルクローに跨ったフードの人物の芝居がかった女性の声に、玲奈は眉をひそめる。玲奈は目の前の人をエルヴィナではないかと推測していたのだが、どうやら違うようだった。フードの中までは、はっきり見えないが、聞き覚えのない声だった。

「皇女殿下は帝都に護送中のはずでは?」

 女性がフードの中で首を大きく傾げる。その声には嘲笑の色が濃く表れていた。

 玲奈が目を見開き、言葉を失う。ルーナリアがなぜ魔の森にいるか最後まで話は聞けていなかったが、ガザムの街か、それ以降の道中で捕らわれの身となっていたということだ。

「あなたこそ、せっかく陥落せしめたメルニールを放っておいてよろしいのですか? ユミラ・ルーズワース――いえ、魔王妃まおうひアナスタシア」
「……え?」

 玲奈が限界まで瞼を上げ、驚愕に満ちた視線をフードの中に送る。数拍の後、女性が勿体ぶったようにフードを脱ぎ、前髪をかき上げた。その口角がニヤリと吊り上がる。

 一瞬、女性が双眸そうぼうを鋭く細め、玲奈に憎悪の念を送り付けるが、一度瞬きする頃には何事もなかったかのように視線をルーナリアに戻した。

 素早く振り向いて目で問う玲奈に、ルーナリアが頷きを返す。玲奈はユミラの容姿を知らなかったが、確信に満ちたルーナリアの様子から、玲奈は恐るべき鉤爪テリブルクロー――仁とイムの知るところの恐るべき鋭い鉤爪テリブルシャープクローに騎乗した女性が魔王妃の魂に憑りつかれたユミラであると受け入れる。

 魔王妃と思われるユミラに向き直った玲奈はまさかの事態に仁を召喚すべきかと悩むが、ユミラの体と心がどの程度乗っ取られているかわからないものの、仁を殺そうと憎悪しているというユミラの前に呼び出すことを躊躇してしまう。

 戦争で愛する婚約者を失ったユミラには同情するが、玲奈はその憎しみを仁に向けてほしくないと思っていた。

「ルーナリア皇女殿下。世迷言よまいごとはお止めください。わたくしはユミラ。そう、ただのユミラですわ」

 ユミラが笑みを深め、右の手のひらを自身と玲奈の間の地面に向けて突き出す。

 玲奈が小盾を胸の前に掲げると同時に、ヴォルグがその横に並んだ。ミルがルーナリアを乗せたパールの隣でいつでも飛び出せるように腰を沈め、イムが周囲へ油断ない視線を送る。

 次の瞬間、玲奈たちとユミラの中間の地面が青白い光を放った。円に囲まれた六芒星と、それを彩る数々の幾何学模様。そのどれもが、どこか神聖さを感じさせる青白い光で輝き、数瞬の後、光の魔法陣が天に向けてせり上がる。

 既視感を覚える光景に、玲奈の胸が騒めく。仁と玲奈をこの世界に、そして仁を玲奈の元から帝都へと召喚した際の現象に、恐ろしく酷似していた。違うのは、青白い魔法陣の上には何者も存在しないこと――否、しなかったこと。

「何か来る!」

 円柱状の魔法陣の中心で、光が膨れ上がった。光の爆発と言っても過言ではない輝きが辺りを殊更に青白く染め上げる。

「レナ殿!」

 激しい光に視界を遮られる中、ヴォルグが斧槍を携えて玲奈と光の間に歩み出る。玲奈は「はいっ!」と短く答えて左手に魔法の弓を生み出した。

 光の中心だった場所に、死神の鎌を思わせる長大な爪がトレードマークの魔物が召喚されていた。

 目の前で新たな眷属を召喚した行為は、自分がユミラだと言う主張を完全に否定するものとしか玲奈には思えなかった。魔王妃の眷属を召喚できる者が、ただのユミラであるはずがない。

 僅かに首を傾げるような仕草をしていた体長10メートル超の魔物が長い両手を左右に広げ、バタバタと上下させた。間近で地団駄でも踏むような動きをした直後、悍ましい咆哮と共に鉤爪付きの両腕を振りかぶれば、もはや交渉などと言っていられる場合ではなかった。

 ヴォルグが斧槍を地面と平行に掲げて6本の鎌を受け止める。ヴォルグの口から、くぐもった呻き声が零れた。偉丈夫の全身の筋肉が悲鳴を上げる。

「ヴォルグさん!」

 玲奈が数歩横に立ち位置を変え、矢の照準を魔王妃の眷属に向けた。玲奈はヴォルグに当ててしまわないよう気を付けつつ、素早く光の矢を射る。

「そんな……」

 強力な魔力を秘めた光の矢は的確に魔物の首元を捉えていたが、羽毛を貫くことなく消えてしまった。魔物は煩わしそうに一鳴きすると、くちばしのない口先を玲奈に向けた。魔物の口内に魔力が集まる。

「レナ殿。おそらく亜種だ」

 ヴォルグの言葉に玲奈がハッとしたとき、魔物の口から無数の小さな氷塊が打ち出された。玲奈は小盾に魔力を通し、バリアのような傘を広げて身を守る。

 玲奈の知る刈り取り蜥蜴リープリザードは風魔法を使ったが、氷魔法を使ったところは見たことがない。よくよく目の前の魔物を観察してみれば、体の大半の羽毛は灰色で同じだが、頭頂から尾の先まで連なった毛が黒ではなく白かった。玲奈はヴォルグの言う通り、亜種、もしくは上位種だと認める。

氷砲アイスシェル!」

 氷の礫が途切れると、お返しとばかりに玲奈が氷の砲弾を放つ。顎先を狙う砲弾を、魔物は頭突きで迎え撃ち、氷が砕け散る。

 衝撃は与えたものの、大して効いていない。そう判断した玲奈は即座に石の弾丸を連打するが、結果は変わらなかった。

「どうする」

 ヴォルグが隙をついて魔物の鉤爪の下から抜け出し、玲奈の横に並ぶ。ヴォルグの問いかけに玲奈が逡巡していると、魔物の向こうから声が聞こえた。

「それでは皆様、ごきげんよう。次にお会いできる日を楽しみにしておりますわ」

 ユミラを乗せた眷属が反転し、背中を見せる。パールで追おうにも、鎌の鉤爪の魔物と2体の恐るべき鉤爪テリブルクローが睨みをきかせていてどうにもならない。

 ユミラが魔の森の闇の中に消えていく。

「ヴォルグさん。パールとルーナを連れて包囲網を脱出して、エルフの里に向かってください」

 色違いの刈り取り蜥蜴リープリザードが体を左右に揺らす様を見据えつつ、玲奈が真剣な声音で告げた。

「パール。ルーナをお願い!」

 未だ恐るべき鉤爪テリブルクローによる包囲網は解かれておらず、パールの足でも包囲網を突っ切れる保証がない。そのため、護衛は必須だった。

「しかし、それでは貴殿らが――」
「仁くんを呼びます」

 玲奈の意志の込められたその言葉は、ヴォルグの決断を促すのに十分な説得力を持っていた。

「ミルちゃん、イムちゃん。ちょっとの間、任せていいかな?」
「はいなの!」
「グルッ!」

 味方も敵も、皆が動き出す。

「すまぬ。武運を祈る」

 ヴォルグが頭を下げるのを横目に、玲奈は特殊従者召喚の技能を発動させた。ルーナリアが玲奈やミルたちの身を案じていたが、一心に仁を想う玲奈には届かない。

「仁くん……!」

 玲奈の祈りが、通じた。
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