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第十九章

19-5.逃避行

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 胸部の灰色の羽毛が弾け、鮮血がほとばしる。玲奈の放った光弓の一矢が刈り取り蜥蜴リープリザードの胸元を深々と抉っていた。魔王妃まおうひの眷属たる魔物が地に響くような呻き声を上げる。しかし、その命は未だ尽きてはいなかった。

 玲奈が再び右手を引き絞る。すぐさま放たれた二射目の矢が一条の光となって魔物を襲い、寸分違わぬ傷跡に突き刺さった。刈り取り蜥蜴リープリザードの呻き声が断末魔の叫びへと変じ、ほどなくして物言わぬ肉塊となって地に倒れ伏した。

「レナお姉ちゃん、やったの!」

 ミルが小さく飛び跳ねて喜びを全身で表す。かつて苦戦し、仁や多くの冒険者たちを苦しめた強力な魔物を、一撃とは言わずとも瞬殺せしめたのだ。例え出会い頭の奇襲故の戦果であったとしても、十二分に誇れるものだった。

 ミルが玲奈を見上げ、元気いっぱいに「すごいの!」と繰り返す。

 玲奈は仁やヴィクターたちから刈り取り蜥蜴リープリザードのメルニールでの暴れっぷりを聞いていたため、如何に弱点を突いたとはいえ、想像よりもあっけなく倒せてしまったことに半ば呆然としてしまった。

「レナ。助かりました」

 銀髪碧眼の少女が玲奈に歩み寄る。玲奈は、ハッとして愛馬から降り、少女と向き合った。玲奈の頭と心に、先ほど戦闘中に封じた疑問がムクムクと湧き上がってきた。

「ルーナ。どうしてここに?」

 仁から聞いた話では、ルーナリアはサラとヴォルグを連れて帝都に向かったはずだった。ヴォルグが周囲を警戒しながら玲奈に一礼し、ルーナリアの背後に控える。

「サラさんはどちらに?」

 首を傾げた玲奈が質問を重ねる。改めて首を回してみても、この場に無表情の頼れるメイドの姿はなかった。

「まさか……」

 嫌な想像が脳裏を過り、玲奈の背筋が冷たくなるが、ルーナリアは優しく微笑んだ。

「サラは一時的に別行動をとっているだけですよ」
「そうなんですね。良かった……」

 玲奈はホッと胸を撫で下ろし、ルーナリアがなぜ魔の森にいるのか、再度尋ねる。

「それは――」

 ルーナリアは視線を玲奈の向こう、刈り取り蜥蜴リープリザードの骸の先の深い森に向けた。

「話は移動しながらにいたしましょう」

 玲奈に向き直り、ルーナリアがエルフの里への案内を乞う。玲奈は頷き、一行はその場を後にした。



 パールの背にルーナリアを乗せ、玲奈たちは魔の森を進む。ルーナリアは玲奈に道案内を頼んだが、玲奈自身、正確には把握できておらず、進路はパール任せだった。

 先頭をミルとイムが務め、玲奈はパールと並んで歩く。少し離れた最後尾にはヴォルグが就き、背後からの奇襲に備えている。一人だけ離れているのはパールの性質によるものだ。

「ジンは怒っていましたか?」

 馬上から尋ねるルーナリアに、玲奈は首を横に振って答える。ルーナリアはメルニール近くの避難所で仁を待たずに出発したことを気にしているようだったが、玲奈が心配していただけだと伝えると、安堵の笑みを浮かべた。

「それで、帝都に向かったはずのルーナが、どうして魔の森にいるの?」

 魔王妃の眷属に狙われていたからには帝都を追われたのではないかと玲奈は考える。もしそうなら無事でよかったと思いながら、玲奈はルーナリアを見上げた。

「はい。それなのですが、実は――」

 ルーナリアが真剣な表情でこれまでのことを語り始め、玲奈たちは静かに耳を傾けた。



 避難所を出発したルーナリア主従はメルニールを北に大きく迂回して帝都に向かった。その途中、道中に必要な物資を調達するためにガザムの街に立ち寄る予定だったのだが、サラを先行させたところ、帝国軍の一部隊が駐屯していることがわかった。

 当時、メルニールを襲ったのは魔王妃の眷属と思しき魔物のみだったため、ルーナリアはこの部隊こそが最終的にメルニールを占領するための戦力だと考えた。そして、この戦争における帝国の総指揮官がガザムの街にいるとも。

 開戦前の会合に参加していたルーナリアは、メルニールの代表者たちが最悪の場合には降伏という選択肢を選ぶ覚悟をしていたことを知っていた。しかし、結果は宣戦布告もなく魔物の襲撃を受け、メルニールは少なくない犠牲を払った後、放棄されるに至った。

 帝国軍が一切姿を見せなかったために、交渉はおろか、全面降伏をすることすらできなかったのだ。

 ルーナリアは避難所に逃げてきたメルニールの住人たちを想い、更なる被害を防ぐためにガザムの街に向かった。ルーナリアは自身の暮らしていた仁の館を狙って襲撃されたことから、命を狙われている可能性も当然考慮していたが、それはこのまま帝都に向かっても同じだった。

 ならば、魔物の殺戮を止めさせ、せめてメルニールに降伏の意思の確認をするよう諭すのが先決だと考えたのだ。

 そして、ルーナリアは出会った。

 メルニール攻略戦における帝国軍の総指揮官。それは――



 ルーナリアが乾いた唇を開き、息を吸い込む。玲奈が無意識にゴクリと喉を鳴らしたその瞬間、パールがビクッと顔を跳ね上げ、首を回した。

 すぐに送られてきた念話に、玲奈は焦りの表情を浮かべた。その玲奈の様子に、ルーナリアが話を中断する。どうしたのかとルーナリアが問い、玲奈に皆の視線が集まった。

 パールからもたらされた情報。それは、パールの警戒網に再び知らない魔物の気配がかかったというものだった。魔王妃の眷属と思われる魔物の気配。そして、それはおそらく刈り取り蜥蜴リープリザードではない。

 玲奈の脳内のスクリーンに、毒霧を放つ身軽な魔物の姿が鮮明に映し出された。

 今のところ明確に追って来ているというわけではなさそうだが、もし見つかれば、増援を呼ばれる前に仕留めなければならない。

 玲奈が暫し逡巡し、ミル、イム、ヴォルグにルーナリアの護衛を任せてパールと共に討伐に向かうのはどうかと提案すると、ルーナリアがゆっくりと首を左右に振った。

「どれだけの眷属が投入されているのかわからないのです」

 今近くにいるのが1体でも、パールの警戒網のすぐ外に何頭もの眷属がうろついている可能性がある。下手に刺激するより、パールの気配探知を頼りに、見つからないよう気を付けつつ里を目指すべきだとルーナリアは主張する。

 戦力を分散するのは見つかってしまったときでも遅くはない。ルーナリアはそう言いながら、パールの首筋を優しく撫でる。「そのときは頼みますね」と続けるルーナリアに、パールが小さくいなないた。

 こうして始まった玲奈たちの逃避行は日が落ちて辺りが暗くなるまで続いた。パールの捉えた気配が1つ、また1つと増え、徐々に近づいてくる。松明や照明の魔道具を用いることもはばかられ、暗闇の中を祈りながら進む。

 闇夜のとばりの下りた魔の森は玲奈の不安を殊更に掻き立てる。すぐそこの木々の間から羽毛を持つ恐竜に似た顔が、ぬっと出てくるのではないかと玲奈は恐怖を感じた。

 パールやミルらが慎重に気配を探っているため、そんなことは起こり得ないのだが、頭では理解していても玲奈の鼓動は早鐘を打つのを止めなかった。

 仁を呼んでしまいたい。何度そんな願望が玲奈の胸に去来したか分からなくなってきた頃、一行が少し開けた地に足を踏み入れた瞬間。玲奈は自分たちが完全に包囲されていることを愛馬から聞かされた。

 その包囲網の中から、3体だけがゆっくりと、そして確実に玲奈たちの元に向かって歩き出した。そのうちの一体には、人が騎乗しているという。

 玲奈は怪訝に思うが、使者だろうというルーナリアの言を受け入れ、待ち構えることにする。仁を呼ぶべきかと考えるが、交渉が決裂してからでも遅くはないと思い止まる。玲奈は可能な限り、仁の邪魔はしたくなかった。

 玲奈は取り急ぎ、三体が到達する前にヴォルグの持っていた携帯用の照明の魔道具を設置した。一転して辺りが白い光に包まれる中、玲奈たちは戦闘体勢で待ち構える。

 短いようで長く、長いようで短い時間が経過した。

 暗がりから、魔物が姿を現す。その魔物は予想通り恐るべき鉤爪テリブルクロー。そのうちの一体は他の個体より一回り大きく、その背にフードを被った何者かを乗せていた。
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