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第十九章

19-1.糸口

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「じゃあ、ミルちゃん、イムちゃん。また後でね」
「はい、なの!」
「グルッ」

 快晴の空の下、メルニール組と朝食を共にした玲奈とミルが一時の別れに手を振り合った。タタタッと駆けていくミルの後ろをイムが飛んで追いかけていく。

 仁とロゼッタがゲルトの村に向かって既に数日。その間、里に残った戦乙女の翼ヴァルキリーウイングの二人と一体も、他の面々と一緒にそれぞれのすべきこと、できることに勤しんでいた。

 玲奈が「今日も頑張ろう」と気合を入れた後、ふと、仁たちのいるであろう方角に顔を向けた。やや上を向いた玲奈の視線が雲一つない青空に吸い込まれていく。

「仁くんたちはそろそろ着く頃かな?」
「何ですか、レナさん。もうジンさん成分が無くなっちゃいましたか?」

 一人呟いた言葉に返事が来て、玲奈が驚いて振り返ると、小首を傾げた赤髪の少女と目が合った。傾いた頭に合わせて、トレードマークのツインテールが揺れ動く。

「ちなみに、わたしはとっくに切れちゃったので、早くジンさんに会いたくて仕方がないですっ」

 仁への好意を微塵も隠す気のなさそうなリリーに、玲奈は眩しいものでも見るように目を細めた。

「リリーは今日も相変わらずだね」

 玲奈はチクリと胸を刺すような極々小さな心の痛みを感じるが、その正体に気付かないまま苦笑いを浮かべる。

「何を他人事ひとごとみたいに言ってるんですかっ。レナさんだって、こないだのジンさんの温もりを思い出して寂しい気持ちを慰めてますよね」
「な、なんで決めつけてるの!?」

 せめて語尾にクエスチョンマークを付けてほしいと玲奈は声に出さずに訴えるが、その言葉に反して頬が熱を持つのを感じて目を泳がせた。

 リリーの言う“こないだ”が仁とロゼッタの出発前夜のパジャマパーティーであることは疑う余地がなかった。玲奈は体の側面に感じた仁の感触を思い出し、顔を赤面させる。

「レナさん。寂しいからって、ジンさんを召喚しちゃダメですよ?」
「し、しないよっ!」
「あ。でも、もし寂しさに耐えきれずに呼んじゃったら、わたしにもすぐ教えてくださいね。レナさんの次でいいですけど、わたしもジンさんを、ぎゅーってしたいのでっ」

 リリーが右の頬の横に人差し指を立てて「独り占めはダメですよっ」と続け、玲奈は再度、どもりながらも否定の言葉を繰り返す。

「“しない”のは召喚ですか? それとも情熱的に抱きしめちゃう方ですか?」
「召喚もしないし、情熱的でもないから!」

 玲奈がそう言い切ってそっぽを向くと、リリーは「抱きしめるのは否定しないんですねっ」と嬉しそうに笑った。

「へ、変なことばっかり言ってると、練習に付き合ってあげないよ?」

 玲奈は火照った顔を横に向けたまま、チラリと目だけでリリーを追う。おしゃべりはおしまいだと言外に宣言すると、リリーが笑顔のまま「ごめんなさい」と謝罪も反省の気持ちも全く籠っていない言葉を返し、玲奈は唇を尖らせた。



「じゃあレナさん。今日もよろしくお願いします」

 二人並んでメルニール組のテントから少し離れた空き地に移動すると、リリーがペコリと頭を下げた。玲奈は「私の訓練にもなっているから」といつものように返し、気を引き締める。

 玲奈は差し出されたリリーの左手に自身の右手を絡ませ、左腕を体の横に突き出した。左の手のひらを水平よりやや下に向ける。近くに誰もいなことを確認し、玲奈は深呼吸を繰り返す。

 集中力の高まりと共に、玲奈の頬から熱が引いていった。

「じゃあ、いくよ」

 玲奈の宣言を受け、リリーが大きく頷いてから瞼を閉じる。遅れて玲奈も目を閉じ、自身の体内の魔力に意識を向けた。

 ここ数日、玲奈とリリーは毎日少しずつ時間を割き、同じ訓練を繰り返してきたが、今となっては技能のサポートのおかげで特段意識しなくても可能になった魔力譲渡と異なり、繋いだ手から他者の魔力を吸い上げることには未だ成功していない。

 リリーの魔法発動のきっかけとすべく仁から提示された方法には玲奈も賛同したが、実際に行うとなると簡単なことではなかった。

 魔力譲渡では自身の魔力を他者の魔力に変換するが、リリーの魔力を吸い上げて自身の魔力として扱うためには他者のものを自分のものに変換しなければならない。言葉にすると大した差がないように思えるかもしれないが、玲奈は段違いの難易度に感じていた。

 それでも、何度か繰り返すうちに何となくその糸口を見つけた玲奈は、リリーと繋がった部分に意識を集中させた。

 魔力譲渡をするときのように玲奈の魔力が徐々に二人を分かつ境界線を越え、リリーの手のひらの中へと侵入を開始する。僅かに接触した両者の魔力が溶け合い絡み合い、ゆっくりと一つになっていく。

 玲奈が無意識に喉を鳴らした。

 本来であればこのまま玲奈の魔力がリリーの魔力と同化し、繋がりを絶ったときにはそのままリリーの魔力となるはずだが、玲奈は完全に一つになる前に、絡み合ったままの魔力を自身の体内へと引き戻さんと試みる。

 慎重に慎重に。玲奈は極限まで集中し、極小の針に何本もの細い糸を通すかのような繊細さで魔力を操作する。

「あ……」

 絡み合った魔力が、引き戻す前に、するりとほどけた。玲奈の口から零れ落ちた声に、無念さが滲んでいた。

 玲奈は繋いだ手を離し、ぶらりと垂れ下げる。そのまま視線を下に向け、唇を噛んだ。じんわりと汗ばんでいる左手で握り拳を作る。

 仁が戻ってくる前に成功させると息巻いていたにもかかわらず、思ったように進まないことに玲奈の胸は焦燥に駆られていた。

 以前の玲奈と違い、仮に実現できなかったところで仁が失望するとは思っていないし、それによって仁が自身の元を離れるとも思っていない。それでも、玲奈は仁の、リリーの、皆の役に立ちたいと心の底から願っていた。

「レナさん、ごめんなさい。わたしができないばっかりに……」

 自責の念を感じさせるリリーの言葉に、玲奈はハッと顔を上げた。

 仁が出立する前から魔法が使えるように頑張ってきたリリーの悔しさを、玲奈は知っている。玲奈は両手で自身の頬をピシッと叩いた。

「レナさん!?」

 目を丸くして慌てるリリーに、玲奈は気合を入れただけだと笑顔を返す。

「もう少し付き合ってもらっていい?」
「もちろんですっ。というか、レナさんがわたしに協力してくれてるんですからね?」

 二人は顔を見合わせて微笑み合う。差し出されたリリーの手を玲奈が取り、所謂恋人繋ぎのようにお互いの指を交互に絡ませる。

「ジンさんじゃなくて、ごめんなさい」

 リリーが、おどけたように言い、玲奈の頬が僅かに朱に染まる。

「は、始めるよ!」
「はいっ!」

 全く悪びれた様子もなく元気に返事をするリリーに、玲奈は溜息を吐いた。こうしてリリーが仁のことで揶揄からかってくるのは前からだが、最近やたらと多くなったように感じて玲奈は小さく首を傾げた。

「さあ、いつでもどうぞっ!」

 リリーがにこやかな笑みを浮かべる。玲奈はリリーも仁と離れて寂しいのだろうと、あまり気にしないことにする。恥ずかしさや困ってしまうことはあっても、決して嫌なわけではないのだから。

 玲奈が深呼吸をしてから再び瞼を閉じ、集中力を高めた。

 その後の二人の訓練は、そろそろダンジョンに向かう時間だとミルとイムが迎えに来るまで続いたのだった。
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