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第十八章

18-15.献身

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 翌日、仁はロゼッタと共に愛馬を駆り、再びラインヴェルト城へやって来た。ゲルトも一緒に来たがっていたが、どうやら昨日トリシャに黙って案内していたようで、本日の自宅待機を言い渡されていた。

 いくら仁が一緒とはいえ、湖の主と、実際には眷属というわけではなかったが、魚人族との友好関係が結ばれる前に村長自ら赴くことの危険性を訴えるトリシャの言い分はもっともで、仁も特に反論することなく受け入れた。

 仁は「ゲルトも懲りないな」と思いながら、代わりの案内を申し出るトリシャに断りを入れた。リガー村から街道に出るまでの道筋はオニキスたちが覚えているため、昨日ゲルトを連れ出してしまった罪滅ぼしに、仁が兄妹で一緒に過ごしてほしいと告げると、トリシャは「俺も行く!」とわめいているゲルトに冷めた目を向けた。

 ゲルトがヒッと息を呑み、仁はゲルトに反省するよう言ってからリガー村を出発したのだった。

 ちなみに、エルフの里の調査隊の面々への途中経過報告は、トリシャが手配すると請け負ってくれた。

「メーア殿はまだいらっしゃらないようですね」

 白亜の城を横目に、真っすぐ桟橋までやって来た仁たちだったが、そこには誰の姿もなかった。

「そうみたいだね。まあ、時間まできっちり約束したわけではないからね。向こうの都合もあるだろうし、気長に待とうか」

 メーアと連絡を取る方法がないため、これからの数日、仁は毎日この場を訪れることにしていた。幸いなことに、しばらくの間、この辺りの見張りを担当する魚人族はハギールとその相方のようで、無駄な衝突は避けられる見通しだ。

 昨日の別れ際、メーアは明日にでもと息巻いていたが、メーアの母の説得がすんなりいくようには思えない。

 それでも、湖の毒を何とかする方法に目途が立った今、メーアの側の結果がどうあれ、今日待ち合わせをしていたことは仁にとって僥倖ぎょうこうと言えた。

 昨日、ガーネットが浄化した湖の一角は、徐々に周りから侵食されて元の濁った水に戻ってしまったが、一角馬ユニコーン双角馬バイコーンの力で湖の毒を浄化できることは証明されている。

 ガーネット一人の力では難しくとも、玲奈と共にエルフの里に残ったパールや、オニキスたちの群れの力を借りられれば、ラインヴェルト湖を元の姿に戻すことができるかもしれないのだ。

 もし仮にこのことが魚人族の巫女の説得に直接繋がらなかったとしても、仁はオニキスの群れの一角馬ユニコーンたちの協力を仰ぐつもりだ。それは魚人族や湖に暮らす全ての生物のためだけでなく、湖を守るために命をかけたメーアの姉や勇敢で心優しきラインヴェルト王国の住人達のためでもあった。

あるじ。ボクはいつでもあるじを乗せて走る準備ができていますから、必要なときは遠慮しないで言ってください。必要なくても乗ってもらいたいですけど!』

 真摯な瞳で湖の彼方を見つめる仁に、オニキスが顔を近づけた。仁は表情をやわらげ、オニキスに「いつもありがとう」と感謝の言葉を投げかけながら、黒く逞しい首をそっと撫でつける。オニキスが気持ちよさそうに鼻息を吹き出した。

『あ。あるじ、ガーネットさんがまた毒を消してみるそうです!』

 仁が手を止めると、オニキスはどことなく残念そうにしながらも、誇らしげに仁をガーネットの元へ導く。

「ガーネット。無理はしなくていいからね」

 例え僅かでも毒が消えることが無駄であるはずがないが、やはりガーネットだけの力では一旦綺麗になった水も、すぐに濁ってしまう。

 仁の目には、2本の角を湖から引き抜いたガーネットの朱色の瞳に無念さがにじんでいるように映った。

 ガーネットが再び淡い光を放つ2本の角を湖面に突き入れる。仁はガーネットの技能も無限に使えるわけではないだろうと考えて止めようか悩むが、ガーネットの首を愛おしそうに撫でているロゼッタが、仁の目を見て、ゆっくりと首を左右に振った。

あるじ。ガーネットさんもロゼさんやあるじの力になりたいと思っているんです』

 念話と共に、オニキスから優しい気持ちが伝わってきて、仁は愛馬たちの献身に感謝と敬意を抱きつつ、ガーネットの頑張りを見届けようと近寄る。

「ガーネット。無理はしないでね」

 仁が殊更柔らかな言葉で告げると、顔を上げたガーネットが仁を一瞥し、ゆっくりと頷いた。ガーネットが角を湖面に入れるたび、波紋と共に光が伝っていき、半球を描く形で水中にも澄んだ水が広がっていく。

 それからしばらくの間、仁たちはガーネットの清める湖を見つめて過ごすこととなった。途中、ロゼッタが仁に尖塔を頂く白亜の城の様子を見に行ってはと提案したが、仁は皆と一緒にメーアを待つことを選んだ。

 魚人族と友好関係が結べてからでも遅くはない。仁はそう考えていた。

 やがて、ガーネットがゆっくりと湖面から頭を上げ、仁とロゼッタに申し訳なさそうな顔を向けた。

 仁は最近、人と同じではなくても馬の顔にも豊かな表情があるように感じていた。それが念話のように感情が伝わってくるからそう見えるだけなのかはわからないが、無口なガーネットともわかり合えているような気がして、仁は嬉しく思った。

 今回のガーネットのどこか頑固さを感じさせる頑張りには仁も驚いたが、例え澄んだ水が元通りになってしまっても、ガーネットの想いは決して消えはしない。

「ガーネット、ありがとう。よく頑張りましたね」

 ロゼッタが慈愛に満ちた表情で、ガーネットの首を抱きしめる。仁は微笑ましい思いで一人と一頭の主従を見つめた。仁もねぎらいの言葉をかけようと口を開く。

 その瞬間、湖面で魚が跳ねるような大きな水音が響いた。

『お兄ちゃん! 湖から離れて!』

 メーアの鋭い叫び声が聞こえ、仁たちが一斉に湖の方を向くと、メーアが湖面から宙に跳び上がっていた。

 仁は瞬時に気を引き締め、ロゼッタとガーネットを押しやって桟橋の端に立つ。続いてメーアの叫んだ声が、激しい水音に掻き消された。

 爆発でも起こったかのような音と同時に、桟橋にほど近い湖面から水柱が立ち昇る。澄んだ水も濁った水も関係なく、間欠泉のように吹き上がった水の柱の中から、逆V字に尖った灰色の爬虫類の顔が飛び出した。

 分厚い鱗に覆われた上顎と下顎が大きく分かたれ、鋭い歯と、より鋭利で大きな牙が白く輝く。黒い縦長の瞳孔を持つ黄金色こがねいろの瞳は理性を微塵も感じさせず、体長5メートルを超えるその魔物が本能のままに獲物を狙う捕食者であることは疑いようもなかった。

 元の世界のわにを思わせる巨体の魔物が、一直線に仁に向かっていた。
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