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第十八章

18-11.知り合い

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 仁は暫し言葉を忘れ、湖面に現れた女性に見入ってしまった。とても今まで水中にいたとは思えないくらいサラサラと流れる黄金の長い髪を持つその女性はとても見目麗しく、客観的な目で見ればロゼッタやアシュレイと同等に美人と評されるであろうことは間違いないと仁が確信できるほど、整った顔をしていた。

『我らの言葉を話すおかの人間とは、そなたらか』

 女性の切れ長の目が仁たちを捉える。湖面に露出した上半身の内、慎ましやかな胸元のみを黄色い貝殻のようなもので覆っただけの女性は、下半身を水中に沈めたまま桟橋の上の仁たちを睥睨へいげいしていた。湖面に黄金色の影が揺らめく。

『は、はい』

 仁は理解が追いつかないまま、言葉がわかるのは自分だけだと名乗り出る。仁はてっきりハギールの上司のような魚人族が現れるのだと思っていたため、美しい女性が出てきたことに戸惑いを隠せないでいた。

『あの。もしかして、あなたがこの湖のぬし……様でしょうか』

 ハギールと見た目が全く異なるこの女性が魚人族だとは、仁には思えなかった。魚人族でなければ、他に心当たりのある存在は湖のぬしくらいだ。湖のぬしを水竜のような存在ではないかと予想していた仁にとっては、それはそれで驚きの結果に違いないが、ハギールの相方の言動から、少なくとも相当高い身分の人物なのは間違いない。

『事もあろうに、わらわ如きをぬし様と見紛みまごうとは……』

 女性の目が鋭く細められ、その視線に侮蔑の色が濃く表れる。仁は失言だったのかと悔いるが、仁が謝罪するより早く、女性はハギールと相方に命令を与え、すぐさま湖中に姿を消した。

 僅かに濁った水の中に、仁は黄金の魚の尾を見た気がした。

『というわけだ。悪く思うなよ』

 ハギールの相方が銛のような槍を構える。話の見えないロゼッタとゲルトが戸惑いながらそれぞれの武器を手に臨戦態勢をとるが、仁は二人を庇うように立った。

『お願いだ。話を聞いてくれ!』
『お前らを消せというのが俺の受けた命令だ。俺らの言葉が理解できるんなら、わかってるだろ』

 仁は必死に敵ではないと訴えるが、目の前の魚人族は「命令は絶対だ」と聞く耳を持たなかった。ハギールは、おろおろと狼狽えた様子で仁と相方の間で視線を迷わせている。

『おい、ハギール。お前もとっとと武器を取れ』
『ま、待つだ。ジンはぬし様のお姿を知らないだけだべ!』
『そうよ!』

 戸惑いながらもジンの肩を持つ発言をしたハギールに、突然、湖の中から同意する声がかかった。若い女性の声だった。

 皆の視線が湖に注がれる中、湖面から何者かが顔を出す。

『やっぱり!』

 暗い紫の髪の女性は一同の中に仁の姿を認め、髪と同じ色の目を輝かせた。

『よっ……と』

 妙齢に見える女性は子供っぽい笑みを浮かべると、掛け声と共に水中に消える。次の瞬間、激しい水音と同時に湖面から紫の影が勢いよく飛び出した。

「え。に、人魚……!?」

 空高く跳び上がった女性の髪と腰から下が、日の光を反射して紫色に輝く。湖面に隠れていた女性の下半身は、暗い紫の鱗に覆われた魚の尾の姿をしていた。

 半人半魚の女性はそのまま桟橋を越え、真っすぐに仁の元へと落ちてくる。仁は動揺しつつも反射的に抱き留めた。

 魚の半身を持つ女性を地面に下ろすのがはばられた仁は、所謂お姫様抱っこの形で抱きかかえる。先ほどまで水中にいたとは思えないほど水気はなかったが、肌色の背中はしっとりとしていて、仁の混乱に拍車をかけた。

『やっぱり勇者のお兄ちゃんだったんだ! 久しぶりだね!』

 仁は胸部の紫の貝殻以外に何も身に着けていない女性を見下ろし、目を泳がせる。肌色を直視できなかったのも理由の一つだが、仁の記憶が確かなら、絵本から飛び出してきたかのような綺麗な人魚に知り合いはいなかった。

『あれ? もしかして私のこと、忘れちゃった?』

 別に綺麗じゃなくても人魚の知り合いはいないだろうと仁が脳内で自身にツッコミを入れていると、腕の中の人魚が、こてんと首を傾けた。

『あー、そっか。人間は私たち魚人族より早い時間の中で生きているってお姉ちゃんが言ってたっけ。そうすると、勇者のお兄ちゃんにとっては、私が感じているより遥か前の出来事になっちゃうのかな?』

 綺麗な人魚が、見た目から感じる大人の女性のような雰囲気から少しずれた、子供っぽい口調で尋ねる。その口ぶりから、仁は本当にこの人魚の女性と過去に会っているのだとすれば、かつてこの地に召喚されたときなのではないかと推測するが、全く心当たりがなかった。

『って、あれ? でも、それなら勇者のお兄ちゃんって結構なお年寄りになっちゃってるような……?』

 仁を上目遣いで見上げていた紫の瞳が、怪訝そうに細められた。仁は何となくゲルトやトリシャと出会ったときと同じような展開を予感したが、どう反応すればいいのかわからず、言葉が出てこない。

『お、おい、お前! メーア様を離せ!』

 呆然としていたハギールの相方が、仁に向かって怒鳴り声を上げた。仁がビクッとしながら顔を上げると、鮫顔の魚人族が鋭い歯をむき出しに、鬼の形相をしていた。

 仁は呆けている場合ではないことを思い出し、この場を穏便に済ませる方法はないかと頭をフル回転させる。

「うん? メーア……様?」

 仁は頭に引っかかるものを感じて腕の中を見下ろした。仁よりも年上に見える人魚の女性が、ふいに記憶の中の幼い少女の姿と重なった。

 仁がクリスティーナによってこの世界に召喚されてしばらくした頃。まだグレンシール王国との戦争が激化する前、ラインヴェルト城ではささやかな祭りが開かれた。

 その際、祭りで提供される魚をとる前に、今、仁たちのいる場所で湖のぬしへ許しを請う儀式が行われた。クリスティーナの勧めでその儀式を見学していた仁は、そのとき、儀式を取り仕切る妙齢の人族の女性と、その女性の歳の離れた妹の女の子と知り合ったのだった。

 人見知りなのか、5、6歳に見えた女の子は出会った当初、ほとんど口を開かなかったが、転んでしまったところを仁が助け起こしたことをきっかけに、少しずつ打ち解けていった。

 祭りの後は戦争が激化していったこともあって会う機会はなかったのだが、助け起こした仁に笑顔で「ありがとう」と言った後、自然と感謝の言葉を口にしてしまったことが恥ずかしかったのか、ハッと口を押えて仁の顔色を窺うように見上げていたのが印象的だった。

 その女の子は紫色の綺麗な長い髪と、澄んだ紫の瞳をしていた。

『もしかして、メーア……ちゃん? 祭りのときに一緒にいた……』

 仁の記憶の中のメーアはもちろん人魚ではなく姉同様に人族だったはずだが、仁が半信半疑で尋ねると、あのときの女の子と同じ名を持つ人魚は、綺麗な顔に、見る者を幸せにするような笑顔の花を咲かせて頷いた。

 その笑顔が、仁の記憶の中の幼い少女のものと重なった。
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