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第十八章

18-10.半魚人

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 大きな水音と共に姿を現したのは、身長2メートルを超えるほどの、鮫のようにも見える魚類の頭を持った二足歩行の生物だった。腰巻以外に何も身に着けていない肌は青緑の細かな鱗でびっしりと覆われ、大きな手足には水掻きが付いている。

 仁の頭の中に“半魚人”という言葉が浮かび、直感的に彼らこそが湖のぬしの眷属だと悟った。

あるじ。ごめんなさい! 水の中の気配は上手く探れなくて……』

 慌てた様子のオニキスに、仁は落ち着くように念話を送る。仁は武器を構えたロゼッタとゲルトを目で制し、二人の前に出た。2人の半魚人たちは真っ黒な丸い瞳で仁たちの様子を窺っている。

『おい。こいつら、良い人間か悪い人間か、どっちだ? なんか魔物も一緒みてえだが』
『そったらこと聞かれても、オラにわかるわけねえべ』
『ま、そりゃそうだ。というか、その妙ななまり、いい加減直せよ』
『今はそったらこと言っとる場合でねえ。早う追い払わんと』

 半魚人たちが銛を逆手に持ち替え、投げ槍のように構えた。仁は他言語理解の特殊技能で半魚人たちの会話が理解できたことに安堵しつつ、訛りをどこかの方言のように表現する無駄な高性能ぶりに呆れるべきなのか感心するべきなのか悩んでいたが、それどころではないと慌てて声を上げる。

『待った。俺たちは争いに来たわけじゃない。話を聞いてほしい!』

 仁が半魚人たちの言語を話そうと強く念じながら言葉を紡ぐと、半魚人たちはのこぎり状の歯の並ぶ口を大きく開けて動きを止めた。

『お、おい。こいつ、俺たちと同じ言葉をしゃべらなかったか? 話を聞いてほしいって……』
『オ、オラにもそう聞こえたべ!』

 戸惑う2人を前に、仁はホッと息を吐く。

「ジ、ジン殿?」
「大丈夫。とりあえず、言葉はちゃんと通じたみたい。交渉はこれからだけど」

 仁は半魚人を刺激しないようにロゼッタたちを後ろに下げさせ、自身はゆっくりと桟橋へ近付いていく。

『驚くのも無理はないと思うけど、俺は君たちの言葉がわかる。だから、落ち着いて、まずは話をさせてもらえないだろうか』
『ち、近付くな!』

 訛りのない方の半魚人が鋭い声を上げ、仁は足を止める。

『お、おい! 俺はどうしたらいいか、戻って聞いてくる。お前はこいつらを見張ってろ。いいな!』

 半魚人の一人が早口で言い残して湖の中に消えた。もう一人は反射的に振り返って伸ばした手を下ろし、ゆっくりと仁に向き直る。なんとなく気まずい空気が流れ、仁は頬を掻いた。

『あの。確認なんだけど、君たちは湖のぬしの眷属……でいいんだよね?』
『眷属かどうかはわかんねえけども、オラたち魚人族はぬし様にお仕えするのが使命だって、ばっちゃが言ってたべ』

 訛りの半魚人改め、魚人族が戸惑いながらも返事を返す。仁はこの純朴そうな魚人族の警戒心を取り除くべく、努めて落ち着いた声で会話を続けることにする。

 正直なところ、間近で見る魚人族の姿には恐怖を覚えたが、見た目で判断してはいけないと自身に言い聞かせた。事実、方言のような訛りのある話し方も相まって、映画で見たことのあるような人食い鮫に似た黒々した瞳も、つぶらで可愛らしく思えなくもないような気がしてきた。



 そうして、しばらく話してみると、いろいろなことが分かってきた。ハギールと名乗った魚人族によれば、彼らは遥か昔から湖のぬしと共存してきた一族で、湖底の街で暮らしているらしい。

 仁は住んでいる場所を明かしてしまっていいのか心配したが、ハギールは地上で暮らす人々には当たり前に知られていると思っていたようで、驚かれてしまった。

 ちなみに、魚人族からすると人族も獣人族も、皆同じように見えるらしい。注意深く意識すれば個人を識別することは不可能ではないようだが、そもそもこれまで覚える必要に駆られたことがないため、やってみないとわからないとのことだった。

『けども、ジンは覚えたべ』
『ハギール。俺はこっち。そっちはゲルト』

 仁が自身とゲルトを指差す。争いに来たわけではないとハギールに信じてもらった後、仁はハギールの許しを得て、ゲルトやロゼッタたちも近くに招き寄せていた。魚人族も魔物と日常的に争っているようで、ハギールは初め、オニキスとガーネットを警戒していたが、敵意が感じられないことから敵ではないと受け入れてくれた。

 とはいえ、すぐに慣れるものでもなく、仁はオニキスとガーネットと、魔物ではないがファイエルも一緒に、少し離れていてもらうことにした。

『なかなか難しいべ』

 ハギールが水掻きのついた手で頭を抱え、周囲が笑い声で包まれる。全部を通訳しているわけではないが、ゲルトやロゼッタも仁とハギールの身振りからわかったようだった。

『ロゼはわかるのにね』
『そりゃ、女子おなごは一人だで』
『あ、性別で判断していたのか』

 仁はそう言って納得しかけたが、どこでそれを判断しているのだろうかと首を傾げる。

『ジン。もっとよく顔を見せるべ!』

 ハギールが仁の脇腹を左右から掴んで持ち上げた。あまりにも軽々と持ち上げられたことに驚き、仁の頭から先ほどのまでの疑問が彼方へ飛んでいった。

 鮫顔でマジマジと見つめられ、仁は思わず声を上げそうになったが、何とか押し止める。ハギールの人柄もわかって既に怖がる気持ちはなくなっていたが、目の前のほんの数センチ先に鮫の顔があれば、多少顔が引き攣ってしまうのは仕方がないと仁は自身に言い訳した。

『次は当てるべ!』

 ハギールは仁を下ろし、後ろを向く。先ほど試したのと同様に仁とゲルトが立ち位置を変え、立っていた場所から判別できないようにすると、ロゼッタの合図でハギールが振り返った。

『うーん。こっちがジンだべ!』

 腕を組んで呻った後、ハギールが勢いよく指差す。

「うん。今度は正解」
『やったべ!』

 ハギールが大口を開けて鋭い歯を見せた。今にも人を丸のみにしてしまいそうな大きな口だが、それが笑顔だとわかった今、仁たちは自然と頬を緩めたのだった。



 難しい話は相方が戻ってきてから。そう告げたハギールの意を汲んで世間話に興じた仁たちの会話は和気あいあいと進んでいった。

 ハギールの訛りは大好きだった祖母の口調が中途半端にうつったもので、仲間たちから度々からかわれて直そうとした時期もあったが、今では個性だと割り切っているらしい。

 仁が話し方でハギールだとわかって助かると言うと、ハギールは喜んでいた。実際、街に戻ったもう一人の魚人族の姿を思い出してみると、仁は見た目でハギールと判別できる自信がなかった。

『おいおい。心配して急いで来てみりゃ、何だこりゃ』

 派手な水音と共に、別の魚人族が湖の中から飛び出してきた。その口ぶりから、仁は先ほどハギールを置いていった相方だと察する。

『やっと戻ってきたべか。ジンたちは悪い人間じゃなかったべ』

 ロゼッタとゲルトが僅かに警戒する中、ハギールが相方の肩をバシバシと叩いた。仁は敵意を見せないように気を付けながら、ロゼッタたちを背に庇い、少しだけ桟橋から距離をとる。

 注意深く気配を探った仁は、湖の中にもう一人、何者かが潜んでいることに気付いていた。

『ま。少なくとも無防備なお前を襲わない奴らなのはわかった』

 相方はハギールの手を払い、仁たちを一瞥する。

『おう、お前ら。俺たちの言葉がわかるようだから言っておく。これからお前らと話すお方に傷一つでも付けてみろ。絶対に生きて返さねえからな。わかったな!』

 仁が素早く通訳し、皆で頷きを返す。相方の魚人族はその様子を見届けると、すぐさま振り返り、湖の中に顔を突き入れた。

 直後、静かな水音と共に何者かが湖面に姿を現す。

「……え?」

 仁は口を半開きにして固まった。湖の中から上半身だけを覗かせたのは、美しい女の人だった。
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