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第十八章

18-5.ファイエル

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 所々に岩肌の露出した小山を進む。昔からゲルトやトリシャたちの集落から魔の森側へ向かうときに使われてきたため、地面は踏み固められて山道が作られている。道幅は馬が横に2列に並んで歩けるだけの広さがあり、仁たちはオニキスとガーネットに騎乗したまま小高い山を登っていた。

「そういえば、ゲルトの馬はいないの?」
「兄貴、なに言ってんだ。一人で隠密行動するのに、馬に乗っていくわけないだろ」

 ゲルトの話によると、ゲルトたちの暮らす集落では昔から馬の繁殖と確保に力を入れているようで、その数を徐々に増やしているらしい。今では騎馬隊を組織できるだけになり、主にラインヴェルト城周辺の警戒任務に用いられているようだ。その部隊を率いる立場にいるらしいゲルトが、馬を持っていないはずがない。

 今一緒にいる騎馬隊が調査隊から報告のあった武装集団だと確信していた仁は、ゲルトの馬も連れてきているのではないかと思ったのだが、そういうわけではなさそうだった。

 ゲルトの返事は仁の望んだものとはズレていたが、乗り手のいない馬は集落かどこか別の場所に置いてきたのだろうと仁が一人で納得していると、ゲルトは得意げな声で続ける。

「後は、まあ緊急時とかだな」
「そうだね。本当は今回みたいに兄さんがいなくなったときに使うようなものじゃないんだけど」

 仁が顔を正面に向けたまま、背後のゲルトと話していると、少し前を馬に乗って歩いているトリシャが振り返ることなく、トゲのある言葉を付け加えた。

 小さな体で十分に馬体に跨れていないどころか、明らかにあぶみに足が届いていないが、トリシャは鞍の上で器用にバランスを取っていた。

「俺が頼んだわけじゃないし……」

 ゲルトが仁の背に隠れてボソッと呟く。仁が代弁してやると、トリシャが勢いよく振り返った。

「あ、兄貴。裏切ったな!」
「いや、まあ、今回は全面的にゲルトが悪いし」

 反射的に顔を上げたゲルトだったが、トリシャのつり上がった目に迎えられ、即座に肩を丸めて再び仁の背中に引っ込む。

 トリシャの視線は呆れの成分を多分に含んでいて、情けない兄の姿に溜息を吐いた。トリシャが視線の焦点を仁の背後から仁に移す。

「ジンさん。オニキスくんもガーネットちゃんもすごく立派だけど、この子もなかなかだと思わない?」
「うん。俺は馬に詳しいわけじゃないから素人目になっちゃうけど、いい馬に見えるよ」

 オニキスやガーネットに対してあまり委縮している様子もなく、精悍さを感じさせる馬体に、暗めの茶色い毛並みもとてもきれいに見えた。仁が感想を伝えると、トリシャは嬉しそうに片手を手綱から離し、愛馬の首元を優しく撫でた。トリシャの乗る馬が首をくねらせ、気持ちよさそうにいなないた。

「この子も喜んでるみたい。勇者様に褒めてもらえてよかったね、ファイエル」

 トリシャの乗る馬はファイエルという名前なのかと仁が思っていると、ゲルトが唐突に仁の肩に手を乗せ、顔を覗かせた。

「ファイエルだって!?」
「ジンさん。ちょっと赤みがかったたてがみがチャームポイントなんだよ」
「やっぱりファイエルじゃないか!」

 ゲルトが騒ぎ立て、仁は90度首を回して迷惑そうな横顔をゲルトに向けた。

「ファイエルがどうかしたの?」
「兄貴。ファイエルは俺の馬なんだよ!」
「……は?」

 仁は口を半開きにし、先ほど自分の馬はこの場にいないと言っていたのは何だったのかと呆れかえる。

「ジンさん。ファイエルは村で名前を持つ唯一の馬で、この名前は代々、馬のリーダーに受け継がれてるんだよ。最初の馬は炎みたいな真っ赤なたてがみだったんだって。この子もちょっとだけ赤いし、ピッタリだよね」

 トリシャはゲルトを無視するかのように話を続け、仁もトリシャとファイエルに視線を戻して相槌を打った。

「最近は騎馬隊のリーダーが乗るのが慣例になってたみたいだけど、ひいばあ様が言うには、本当は勇者様に乗ってもらう馬なんだって――あっ」

 トリシャが、さも何かに気付いたように、わざとらしく目を見開いた。

「ジンさんが勇者様なんだから、ファイエルはジンさんの馬っていうことじゃない?」
「うん? そう言われればそういうことになるのかな? でも――うわっ」

 突然オニキスの真紅のたてがみから炎が立ち昇り、仁は思わず背を仰け反らせる。必然的にゲルトが押されてバランスを崩した。

「オニキス、何やってんの!?」

 瞬時に黒炎の膜で防いだからいいものの、下手をしたら丸焦げになっていたかもしれない。仁が抗議をすると、徐々に炎が小さくなり、オニキスの首が垂れ下がっていく。

「オニキスくん、ごめんね。ジンさんにはオニキスくんがいるもんね」
あるじはファイエルくんの方がいいんですか……? いっぱい褒めてましたし……』

 仁は「ああ、なるほど」と納得し、オニキスがいるから自分には必要ないと断りを入れる。首を少しだけ回して仁の言葉に嘘がないかと探りを入れてくるオニキスに、仁はオニキスがいいのだと念話を送る。オニキスは疑り深く、何度も念を押してきたが、仁は苦笑いを浮かべながらも呆れることなく思いを届けた。

「オニキスくんはジンさんが大好きなんだね」

 笑顔のトリシャに、オニキスが尻尾をぶんぶんと振って応じる。

「じゃあ、ファイエルはお役御免ってことで、私が乗っても問題ないよね」
「ある! むしろ、問題しかない!」

 仁にしがみ付いて落馬を免れたゲルトが再び騒ぎ出すが、仁もトリシャも取り合わない。

「オニキスくんもガーネットちゃんも、自分を大切にしてくれる人に乗ってもらえて幸せだね。何も言わずに置き去りにして、近くにいても気付かないような薄情者と違って」
『ファイエルくんもトリシャに乗ってもらえて嬉しいって言ってます!』

 オニキスがファイエルの気持ちを代弁すると、隣を歩くガーネットも静かに頷いていた。

「嬉しい! これからもよろしくね、ファイエル」

 仁の目の前で、ファイエルの色つやの良い尾が嬉しそうに揺れていた。オニキスたちと違い、普通の馬であるファイエルはもちろん人語を全て理解できるわけではないが、トリシャの気持ちは伝わっているようだった。

「トリシャ、兄貴。みんな、無視しないでくれよ!」
「ゲルト殿。誠心誠意、謝られた方が良いのでは?」

 無視を決め込む仁たちの中で、唯一ロゼッタだけが律儀に答えた。ゲルトはロゼッタのこれ以上ない正論に言葉を詰まらせる。それでも自分に否があることは理解しているのか、諦めたようにゲルトが口を開こうとしたその瞬間。

「あ、ジンさん。そろそろお城が見えてくるよ」

 散発的に生える木々が途切れ、山頂の向こうに、白い建造物の先が見えてきた。仁をはじめ、皆の意識が前方に集中し、ゲルトは間の悪さを嘆きながら口を閉じたのだった。
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