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第十八章

18-3.氷解

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 その後、大人しくなったトリシャに、仁は自身の境遇について簡単に説明した。

 帝国の手で再びこの世界に召喚され、一緒に巻き込まれた玲奈の奴隷になっていたこと。魔の森でゲルトと出会い、フランやラインヴェルト王国に所縁のある人たちの子孫が暮らす村があると知ったこと。それから、ラインヴェルト湖のぬし、ゲルトたちの言うところの湖神こがみ様とその眷属に用があること。

 そして、仁の仲間である調査隊とゲルトの集落の武装集団の間で争いが起きないようにするためにこの地を訪れたこと。

 最後に、オニキスもガーネットも、魔物だが人語を理解し、念話で意思の疎通ができる仲間だと伝える。

 仁の話を聞くトリシャは先ほどまでの元気さをすっかり失い、ビクビクした様子で背を丸めて縮こまっていた。

「ご、ごめんなさい……!」

 話が一段落したところで、トリシャが勢いよく頭を下げた。トリシャは仁を勇者と信じずに吐いた暴言の数々と、問答無用でロゼッタに奇襲をかけたことへの謝罪の言葉を口にする。仁がわかってくれればそれでいいと優しい声音で応じると、トリシャは恐る恐る顔を上げ、ロゼッタを窺い見た。

「もしかして、リーゼ様だったり……しますか?」
「いえ。自分はロゼッタと申します」

 その答えに、トリシャは露骨なほどホッとしたような顔を見せる。ロゼッタはこの世界でも成人前だと思われるトリシャに、温かい目を向けていた。

 仁がロゼッタを今の仲間だと紹介する。

「勇者様は白虎族の人に縁があるんだ――ですね」
「言い直さなくても、普段通りに話してくれればいいよ。それと“勇者様”じゃなくて、名前で呼んで欲しいかな」
「わ、わか……った」

 トリシャはそう答えた後、「ジン様、ジンさん?」と、小さく声に出しながら仁の呼び名を考えているようだったが、そんなトリシャのえんじ色の頭頂にゲルトが手を当てた。

「そんな他人行儀な呼び方じゃ、ご先祖様に怒られちまうぞ。兄貴はご先祖様の兄貴分なんだから、俺たちにとっても兄貴みたいなもんだろ」
「そ、そんなこと言ったって、私の兄さんは兄さんだけだし……」

 困ったような笑みを浮かべるトリシャに、仁はブラコン疑惑を抱く。ブラコンとは総じて兄のことが大好きな兄弟姉妹のことを指す俗称だ。

「トリシャ……さん?」
「あ。えっと、トリシャでいいよ」
「じゃあトリシャ。ゲルトの言うことは気にせず、好きに呼んでくれればいいよ。できれば、あんまり堅苦しくないやつでね」
「う、うん。わかった」
「えー」

 ゲルトが口を尖らせ、「俺の兄貴ならトリシャの兄貴だろう」と不満げにしていたが、仁がなだめると、渋々納得した。

「ていうか、兄さん。いつまで撫でてるの! もう子供じゃないんだから、気安く触らないでよ!」

 赤い顔をしたトリシャがゲルトの手を振り払う。仁は「ブラコンでツンデレか!?」と、アニメや漫画でよく見るやつだと思うが、口には出さない。

 仁は、ふと元の世界での実の妹を思い出し、最後に頭を撫でたのはいつだったかと考える。トリシャに比べれば何歳か年上だろうが、きっと年齢差による問題ではなく素気無く振り払われる気がして、仁は内心でゲルトを羨ましく思った。

 その直後、仁が「自分にはミルがいる! ミルなら振り払わないし!」と心の内で謎に張り合っていると、その思いが伝わったのか、ゲルトがミルの話題を口にした。

「小さな姉貴は兄貴に撫でられると嬉しそうにしてたのになー」
「……小さな姉貴?」
「おう。兄貴の妹分の女の子。お前より年下だけど、俺が兄貴の弟分になるより先に兄貴の妹分になってるから、そう呼んでるんだよ」
「ふーん……」

 二人だけの兄妹という観点から見れば不満はあるが、妹でなく姉ならいいか。思案気な顔のトリシャの心情を、仁はそう推測した。

「まあ、俺の呼び名は追々でいいとして、そろそろ二人の村に案内してもらっていいかな?」

 まだ日暮れには程遠いが、仁はできることなら今日のうちに小山を越えてしまいたいと思っていた。

「……あれ?」

 二人の返事を待たず、仁が首を傾げる。

「どうしたんだ、兄貴」
「いや、俺はゲルトたちの村も小山の向こうにあると思っていたんだけど、ゲルトはそっちに行こうとしたよね?」

 仁は石壁の牢獄の残骸を指差す。ゲルトが逃げ出したとき、小山の向こうにラインヴェルト城があるとは言っていたが、村もそちらにあるとは一言も口にしていないのだ。

「俺の勝手なイメージで、もっと城に近いところにあると思っていたんだけど、違ったんだなって」

 よく考えれば、帝国の前身のグレンシール王国が去ったとはいえ、いつ再びやってくるかわからないのだから、あまり近すぎる場所は危険だと思って避けてもおかしくはなかった。それに加えて、湖の主の眷属が城を襲ったというのだから、下手に近くに村を作って巻き添えを食らっては元も子もない。

 仁が一人で納得していると、トリシャが、きょとんとした表情で小首を傾げた。その隣で、ゲルトの顔から、サーッと血の気が引いていく。

「ジンさん、なに言ってるの? 私たちの村もその山の向こうだよ。遠回りして山を迂回しても行けるけど、魔物もそんなに出ないし、みんな山を通るよ」
「え、そうなの?」

 すっかり青ざめたゲルトは、仁の視線から逃れるように顔を背けた。

「ていうか、すっかり忘れてたけど、なんで兄さんは逃げ出したの? ジンさんたちを案内してたなら、逃げ出す必要なんてないよね?」
「そ、それは……」
「そうだよ。兄さんがそんなことしなければ、私が勘違いして迷惑かけちゃうこともなかったじゃん!」

 トリシャが目を細め、ゲルトを詰問する。ゲルトはあちこちに目を泳がせていたが、トリシャの言うように、ゲルトが奇妙な行動をしたせいでトリシャと争うことになり、ロゼッタが危ない思いをしたのだから、仁が助け舟を出すことはない。

「兄さん。兄さんがそうやって私と目を合わせないのは、何かやましいことがあるからだよ!」

 トリシャがゲルトの前に仁王立ちし、ビシッとそう言い放つ。

「そもそも、ジンさんは兄さんと魔の森で会ったって言ってたけど、なんで誰にも言わないで一人でそんなところに行ったの!?」
「……え?」

 仁は思わず驚きの声をこぼす。ゲルトが魔の森にいた理由は、エルフの里の調査隊の正体と目的を探るべく、一団と別れて里に戻る使いの後をつけたからだと聞いていたが、まさか独断で、それも誰にも伝えていないなどとは思ってもみなかった。

「に・い・さ・ん!」

 トリシャがまなじりを吊り上げ、鬼の形相でゲルトを睨みつける。仁はゲルトがあまり村に帰りたがっていないように見えたことを思い出し、疑問を氷解させたのだった。
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