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第十七章

17-32.湖主

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 すぐに答えを出せない仁に、アシュレイが少し検討させてほしいと助け舟を出す。ゲルトも即断を求めていたわけではないのか、快く了承した。

 フランの歩んだその後の人生や真実の見えてこないクリスティーナの思惑に心と頭を乱されていた仁だったが、答えられなかった理由はそれだけではない。エルフの里が帝国に狙われているかもしれない今、里の人々は元より、メルニールからの避難者に不安を与えることになりかねないのだ。

 仁は自分の力を過信はしていないが、決して低く見積もっているわけではない。仁がいることで守れる命や心は、きっとある。

 仁がどうするべきか悩んでいる間にもアシュレイとゲルトの会話は続いた。アシュレイはゲルトからラインヴェルト城周辺の様子について尋ね、調査隊の報告から得た情報を補強するつもりのようだった。

「アシュレイ様。そもそも、この里で暮らすあなた方が、あの辺りを調査する必要があるんですか? 城の様子が気になったにしては時機を逸しているような……」

 首を捻りながらそう尋ねたゲルトが、何かに気が付いたような顔で仁を見た。

「もしかして、兄貴の要望だったり? 最近になって再びこの世界に召喚された兄貴が今の城の様子を知りたがったとか」
「ゲルトは、その、俺の事情を知っているっていうことでいいのかな」
「事情っていうと、兄貴がこの世界の人間ではないってことか?」

 事も無げに言うゲルトに、仁は驚きながら頷く。直接当時を知っている世代ならまだしも、100年も経った今、にわかには信じ難い話なのではないかと仁は思っていた。

「そりゃあ、もちろん知ってるさ。じゃなけりゃ、エルフ族でもない兄貴がそんな若い姿をしているなんて信じられるわけがないじゃないか。そもそも、そういう特殊な事情だからこそ、俺たち一族は兄貴の再訪を信じて命を繋いできたわけだし」

 仁は姿が若いだけではなく年齢も若いのだと突っ込みたい気持ちを押し止め、「なるほど」と返す。仁は自分がゲルトの立場だったら信じられる自信はなかったが、これまでのゲルトのフランに敬意を払っている様子から、単にゲルトが素直なだけでなく、フランの人望によるところも大きいのだろうと納得する。

 仁の知るフランは素直で優しく、それでいて心の強さも兼ね備えた、誰からも愛され可愛がられる少女だった。その後の人生では仁には想像できないような辛く苦しい出来事もあったに違いないが、きっとそんな根っこの部分は変わらなかったのだろうと思いを馳せた。

 二人の間に何となくしんみりとした空気が流れるが、アシュレイが話を戻す。

 アシュレイはゲルトたちと友好的な関係を築くためには無為な隠し立ては不要だと判断したようで、ラインヴェルト城とその城下町への移住を計画していることを明かした。

 アースラの一族が帝国と魔王妃と戦う道を選んだ以上、移住先にも帝国の手が伸びないとは限らない。むしろ、かつて自ら放棄した地とはいえ、一時は帝国の支配領域だったラインヴェルト城にエルフ族が入ることを好ましく思うわけがない。

 この里の人々は大なり小なり帝国と戦う覚悟を持っているが、戦争になれば周辺に暮らすというゲルトの一族も巻き込んでしまう恐れがある。

 友好をうたう以上、そのことを隠したままでいるのは誠実ではない。

 ゲルトの一族がフランの子孫であり、且つ、フランとクリスティーナの遺志を継いで仁の力になりたいと願っているというのであれば、積極的に味方はしないまでも、帝国にくみするようなことにはならないと予想された。

 希望的観測が含まれていることは否めないが、仁はアシュレイの胸の内を推測し、自身も同じ考えだと感じながら、ゲルトの反応を窺う。

 ゲルトは幼さの残る顔に様々な感情を乗せ、アシュレイの話に耳を傾けていた。

「話はわかりました。いろいろと詳しく聞きたいことはありますが、あの地で長く暮らしてきた俺から言えるのは、あの城への移住は止めた方がいいということです」

 一通り話を聞いた後、ゲルトは真面目な顔で、はっきりと告げた。理由を問うアシュレイに、ゲルトが申し訳なさそうな顔で続ける。

「というより、無理なんです。帝国、当時のグレンシール王国が城を放棄した後、俺の先祖たちも何度か移住を考えたそうなんですが、ある理由で、結局諦めざるを得なかったんですよ」

 ゲルトの言葉には諦観の念が混じっていた。

 仁とアシュレイも帝国があの地を放棄するに至った何かがあったとは予想していたが、それが何かまではわかっていない。仁はゲルトがその理由を知っているのではないかと期待する一方で、その理由如何では移住計画が頓挫とんざしてしまうことになりかねず、不安を胸に抱く。

「その理由とは」
湖神こがみ様の怒りです」

 アシュレイの問いに、ゲルトは迷いなく答えた。眉をひそめる仁とアシュレイに、ゲルトは、自分たちの集落ではフランの時代には“湖のぬし”と呼ばれていた存在をそう呼んでいるのだと補足する。

「きっかけはグレンシール王国の奴らが湖の魚を乱獲したことだと言われていますが、本当のところはわかっていません。ともかく、湖神様は普段は静かな湖を大きく波立たせ、湖底から眷属を遣わしてグレンシール王国の連中を武力で追い払い、その後も城や城下に人が住み着くたびにお怒りになられるのだとか」

 ゲルトは、自身の暮らす集落でも、過去に移住を強行しようとした者たちに直接的な被害が出たことがあるのだと語った。それ以降、村では城への移住を口にすることが半ばタブー視されるようになったのだという。

 調査隊が見かけた武装集団は、何も知らない人々や盗賊団などが城に住み着かないように見回っていたそうだ。

 湖神様の怒りの話を聞いて、はじめ、仁は湖で起こった津波を暗示しているのではと思ったが、仁の知識では、普通、湖で津波は起こらない。大きな湖で湖岸に波が押し寄せることはあるが、城にまで被害が及ぶ規模になるとは考えにくい。それに、調査隊の報告を聞く限りでは、過去に津波が起こったことを示すような痕跡は見つかっていない。

 ということは、ゲルトの話はそのまま真実で、湖を大きく波立たせるだけの力を持ち、グレンシール王国が逃げ出すほどの眷属を持つ存在が、湖底ないし、湖の中に実在するということになる。

 仁は、かねてより湖の主は実在するのではないかと思っていたが、以前ふと考えた、主が水の中で暮らすドラゴン、所謂、水竜なのではないかという自身の説が現実味を増したように感じた。

「眷属っていうのは湖に暮らす魔物か何か?」

 しばらく聞き手に回っていた仁が口を挟む。

 仁にとって、眷属と聞いて真っ先に思い浮かぶのは魔王妃の眷属である恐竜に似た魔物たちだった。仁が移住計画に賛成した理由の一つに、メルニールで遭遇した雷蜥蜴サンダーリザードの存在がある。あの巨体と長い首の上から放たれる吐息ブレス攻撃を防ぐには、メルニールよりも高い城壁が必要になる。

 そして、メルニール陥落に際しては恐るべき鉤爪テリブルクローが城壁をよじ登り、刈り取り蜥蜴リープリザードが城門を切り裂いたと聞く。

 もし湖の主の眷属がグレンシール王国の兵士たちの守る城を落としたというのなら、仁の知る魔王妃の眷属と同等か、それ以上の戦力ということだ。

 仁がどんな魔物なのかと戦々恐々としていると、ゲルトは首を横に振った。

「俺が実際に見たわけじゃないが、伝え聞く話だと亜人らしい」
「亜人……」

 仁の脳裏に以前戦った猪豚人間オークの姿が浮かぶが、猪豚人間オークが湖底から現れるとは思えなかった。

 続けて、仁がダンジョン内で遭遇したことのある蜥蜴人間リザードマンのような種族だろうかと考えていると、ゲルトは肩を落として溜息を吐いた。

「せめて言葉が通じれば話し合えるんだけどなあ……」

 湖を荒らすつもりはないと伝えることができればと、ゲルトがしみじみと呟いた。
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