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第十六章

16-16.責任

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「オニキス。まだ走れる?」
『はい。もちろんです!』

 避難所を目と鼻の先に臨む草地でルーナリアがヴォルグを労っている傍ら、仁はオニキスの首元に手を当てて申し訳なさそうに尋ねた。仁は随分と無理をさせてしまっているように感じていたが、オニキスは仁が乗ってくれるかもしれないという期待感に満ち溢れた瞳で見返し、尻尾をぶんぶんと振っていた。

「ありがとう。頼りにしてるよ」

 仁があぶみをしっかりと踏みしめて颯爽とくらに跨ると、3人掛けのサイズに広がっていた魔道具の鞍が縮まった。仁の指示を受け、オニキスが立ち上がる。

「ジン。行くのですね」

 仁の動きを察知して近付いてきたルーナリアが、馬上の仁を見上げた。ルーナリアの背後にはサラとヴォルグの二人が付き従っている。

「うん。魔物の動向も気になるし、助けられる人がいるなら助けたい」

 仁が直接確かめたわけではないが、仁と親交のある人のほとんどは避難済みのはずだ。しかし、ちょっとした付き合いのあった人たちがまだ逃げ遅れているかもしれない。悪評が広まっている中でも仁や仲間たちに温かく接してくれた人たちがいたことを、仁は忘れてはいなかった。

 例えば、あの屋台の青年やリリーの友人の鍛冶師、他にも日頃の日常生活で顔見知りになった人々がまだ無事で、尚且なおかつ逃げ遅れているのだとしたら、仁は助けたいと思っていた。

 もちろんすべてを救えるなんて思っていない。仁一人でメルニールに残った魔物や後から現れるであろう帝国軍の本体すべてを倒すのは不可能だし、既に失われてしまった命はどうすることもできない。勇者だ魔王だ英雄だなどと持ち上げられたところで、できることなど限られている。

 今の仁にできることは少しでも逃げ遅れた人たちの手助けをして、避難所にまで追手がかからないように気を配り、敵の戦力を可能な限り削ることだけ。バランの方でも偵察隊は出すだろうが、オニキスという優れた足を活かさない手はないのだ。

 メルニールを陥落させた魔物たちの多くが健在な以上、それほど離れていない木の柵で囲まれただけの避難所が安全だとは言い切れないが、それを言い出してしまったら切りがない。

 避難所にはテントが所狭しと立ち並び、マークソン商会をはじめとする大小様々な商会の援助によって、避難民がしばらく暮らすには十分な量の物資が用意されている。それだけでも行く当てのない人たちにとっては大きな救いとなるはずだ。

「ルーナは避難所で待っていてほしい」

 仁としては一段落ついたらルーナリア主従をエルフの里に案内しようと考えていたのだが、ルーナリアは静かに首を左右に振った。

「ジン。気持ちは嬉しいのですが、わたくしはすぐにでも帝都に向かうつもりです」
「……え?」

 驚く仁を前に、ルーナリアは落ち着いた声色で自らの意思を告げた。

 ルーナリアは帝国の人間である自身が避難所に留まることで不安や敵意を掻き立て、余計な騒動の種を撒きかねないことを危惧していた。

 未だ帝国軍の影も形もないが、事前に警告を発していたのだから、今回の魔物の襲撃は帝国の攻撃だと認識されているはずだ。少なくない人的被害を出し、街を放棄するまで至った今回の件で、反帝国の声が上がるのは間違いない。

 元々メルニールの住人たちは帝国に対して良い印象を持っていないものが多かったが、一度戦争を経験し、その結果として結ばれた平和条約を一方的に無視して、宣戦布告もないまま奇襲をかけ、魔物を使うことで交渉の余地もないのだから、帝国を恨むなというのには無理がある。

 しかも、メルニール側がドラゴンの被害を受けた帝都への支援を行っていたのに対し、ありの魔物の氾濫の傷跡の癒えぬうちの仕打ちなのだから、なおさらだ。

 そんな中、避難所にルーナリアがいれば、行き場のない感情の捌け口にされてしまうことは想像に難くない。そのため、ルーナリアが避難所に入らず、外で身を隠していたことは理解できるし、だからこそ仁は自らが身を寄せるエルフの里に招こうと考えていたのだ。

 ルーナリアはアシュレイとも面識があるし、召喚魔法陣が手の中にある今、その研究のためにも仁はルーナリアに傍にいてほしかった。そして何より、コーデリアに濡れ衣を着せて亡き者にしようとするような者たちの蔓延はびこる帝都に戻るなど、自殺行為にしか思えなかった。例えルーナリアにその気がなくても、ルーナリアを祭り上げようとする勢力が存在する以上、ガウェインが手を出さないとは考えにくい。

 仁はコーデリアが帝都から落ち延びるに至った経緯を簡潔に説明し、帝都に戻るのは危険だと訴える。

 しかし、必死の説得の甲斐なく、ルーナリアの心は動かない。

「ジンとレナを元の世界に帰すための研究を続けられないのは心残りですが、あの子がジンの元にいるのであれば、安心ですね。わたくしの業をあの子に背負わせてしまうのは心苦しいですが、きっとあなたの力になってくれることでしょう」

 仁の心配を余所よそに、ルーナリアは仄かな微笑みまで浮かべて見せた。仁は尚も説得を続けるが、ルーナリアの意思は揺るがない。

「ジン。このような暴挙を続ける帝国に未来はありません。わたくしは次期皇帝となることを諦めた身ではありますが、皇族の一人として、見過ごすわけにはいかないのです。栄枯盛衰は世の常と言えど、犠牲になるのはそこで暮らす人々なのですから」

 ルーナリアは、まずは帝国の戦争を止めてメルニールの復興に尽力したいと、真摯な瞳で仁を見上げた。仁は何か言わなければと上下の唇を離すが、何の言葉も出てこなかった。辺りに一時の静寂が訪れた。

「ジン。わたくしが口にするのは烏滸おこがましいことではありますが、こうしている間にも、救えるはずの命が消えてしまっているかもしれません。あなたの力を、どうか助けを必要とするメルニールの方々のために……」

 ルーナリアが腰を折り、深く頭を下げる。仁は銀色に輝く髪を見つめ、唇を噛んだ。

「ルーナ。ルーナの気持ちはわかったけど、まだ話したいことがあるんだ。だから、俺が戻ってくるまで待っていてほしい。その後のことは、またそのときに話そう」

 顔を上げたルーナリアが仁を見つめる。仁は視線に想いを込めて、澄んだ碧眼を見返した。ルーナリアが、ふっと微笑み、頷いた。仁はどこか心の端で諦めに似た感情を抱いていることを自覚しながらも、再度念押しをしてからオニキスに出発の合図を出す。

 オニキスが徐々に速度を上げる中、仁が未練がましく振り返ると、ルーナリアは優しい笑みを浮かべたまま、仁を見送っていた。



 仁が幾人かの命を救い、巨大な草食恐竜似の魔物の種族が“雷蜥蜴サンダーリザード”であることを知って帰還したとき、既にルーナリア主従の姿はなかった。
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