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第十六章

16-7.気配

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 深い深い魔の森を、一頭の馬型の魔物が風のように駆けていた。その漆黒の馬体には黒を基調とした軽鎧を身に着けた黒髪の男が跨っている。男は手綱を強く握りしめ、険しい表情で正面を見据えながらも周囲への警戒も忘れない。

あるじ主。左手前方に複数の気配を感じます』

 仁は手綱を引いて、八脚軍馬スレイプニルに停止の合図を送る。徐々に減速していくたくましい背中の上で、仁は言われた辺りに注意を向けた。こと気配探知において、八脚軍馬スレイプニルは仁の上を行っていた。

 初めは魔物の気配を感じるごとに報告していた八脚軍馬スレイプニルだったが、疾走中はほとんどすべての魔物を襲ってくる前に置き去りにしてしまうため、今は余程の強敵か、特定の条件に合致した場合のみを知らせることになっていた。

 その八脚軍馬スレイプニルが言うのだから、その複数の気配が仁の尋ね人である可能性が高い。

 尋ね人とは、言うまでもなく、玲奈たち一行だ。エルフ族の子供たちを連れて慎重に進んでいるはずなので、まだメルニールに到着していないのではないかと仁は考えていた。

 もっとも、メルニールの現状の確認と、場合によっては知人たちの救出、もしくは協力しての街の防衛、奪還が最優先のため、道中で会えれば良いくらいの気持ちでいた。玲奈たちもメルニールを目指している以上、最悪、森の切れ目か街で待っていれば再会できるのだ。とはいえ、出会えるに越したことはない。

 仁は八脚軍馬スレイプニルに気配の元に慎重に進むよう指示を出す。

あるじ。複数の人が魔物と戦っているみたいです』

 続く報告を受け、仁の顔色が変わる。玲奈たちなら余程のことがない限り魔の森の浅層の魔物に後れを取ることはないだろうが、絶対に危険がないとは言い切れない。仁は八脚軍馬スレイプニルに急ぐよう指示した。

 木々の間を縫って、八脚軍馬スレイプニルが燃えるような赤い鬣(たてがみ)を棚引かせて進む。

 段々と近付くにつれ、仁にも気配が感じ取られるようになってくる。

「うん?」

 仁が眉間に皺を作る。緊迫した声が聞こえてくるが、男の声がしたような気がしたのだ。それも複数人。玲奈たちの連れたエルフの子供の中には男の子も何人かいるが、男の子というには随分と野太い声だった。

「ちょっとここで待ってて」

 仁はくらから飛び降りると、寂しげな表情を浮かべる八脚軍馬スレイプニルの首を一撫でしてから黒雷刀を作り出す。仁は気配を殺しつつ、草木に紛れて気配の元に近寄っていく。

 争いの気配が近付き、仁は大木に体を隠す。どうも聞こえてくる声に聞き覚えがあるような気がして、仁は眉根を寄せた。ふと仁の脳裏に、ある男性の姿が浮かぶが、こんなところにいるとは思えなかった。

「え……!」

 そっと木の裏から顔を覗かせた仁が息を呑んだ。荒熊ワイルドベアより一回り大きい白毛の熊の魔物と相対していたのは、玲奈たちではなかった。

 小盾タージェではない大盾が真正面から熊の鋭い振り下ろしを受け止め、槍や短剣ではなく、斧が左右から襲い掛かる。戦いの場から少し離れたところには女性たちが固まっていて、その傍らには女性たちを守るように黒装束のエルフが立っている。そのどれもが、見知った顔だった。

 女性陣の中央で幼い女の子の手を握っている赤毛の少女と目が合った。

「ジンさんっ!」

 少女が驚きの声を上げ、仁は目を丸くした。

「なんでリリーが……?」

 仁が呟く。リリーだけではない。リリーが手を握っているのはココとシルフィで、その周りにいるのはファム、キャロル、エクレアだ。その誰もがこんな場所で出会うなど想像もしていなかった者たちだった。しかも、エルフの精兵に守られているのだ。驚かないはずがない。

「ちょ、兄ちゃん。ぼさっと見てないで手を貸してくれ!」
「え、あ、はい」

 仁は坊主頭に言われるがまま、白毛の熊の頭頂に漆黒のいかづちを落とす。雷鳴が轟き、黒焦げの白熊が出来上がった。

「ふう。相変わらず大した威力だな。いいところに来てくれた。兄ちゃん、助かったぜ」

 ガロンが厳つい顔に笑みを浮かべ、ノクタや戦斧バトルアックスの面々が口々に感謝と称賛の言葉を口にする。

「えっと……。え?」

 仁が呆けたまま顔なじみの冒険者たちの顔を順に見ていると、軽快な足音が聞こえてきた。赤髪の少女が集まってきた男たちの間をすり抜けて仁に抱き着いた。

「ジンさんジンさんジンさ~ん!」

 仁が受け止めると、リリーは肩口の辺りに額を擦りつけた。リリーの胸部が大きく潰れるが、残念ながら火竜ファイヤードラゴンの素材で作られた胸当てに阻まれ、その感触が仁に届くことはない。

 両手を彷徨わせる仁に、リリーが仁の背中に回した手により一層力を込めた。

「兄ちゃん。嬢ちゃんには黙っててやるから、こう、ギュッと抱きしめてやったらどうだ?」

 ガロンが抱きしめるような仕草をしていた。

「お兄ちゃん」

 仁がどう反応していいのか困っていると、ココがとたとたと駆け寄ってきた。ココは遠慮がちに仁の横に回り込み、棒立ちになっている仁の足にしがみ付いた。何か期待するように見上げるココの頭を仁が撫でる。その様子をキャロルが羨ましそうに見つめていたのだが、仁は気付かない。

「ジン殿。来てくださったんですね。おひとりですか?」

 女性陣を引率するようにやってきたイラックが覆面を剥ぎ、エルフらしい美形に爽やかな笑みを浮かべて小首を傾げた。

「えっと。一人と言えば一人だけど……。みんなはどうしてこんなところに?」

 実際には八脚軍馬スレイプニルがいるので一人と一頭だが、今はそれどころではない。仁が尋ね返すと、イラックはパチパチとまたたいた。

「どうしてって、先に戻った二人から話を聞いて駆けつけてくれたのではないのですか?」
「二人?」

 話が噛み合わない。仁とイラックが二人して首を横に傾けていると、胸元からリリーが顔を上げ、仁を下から見上げた。涙を滲ませた上目遣いに、仁は一瞬ドキッとするが、リリーの口から飛び出した言葉に目を見開いた。

「メルニールが襲われるかもしれないということで、わたしたちだけ逃げて来たんです」
「逃げて?」
「はい。それで、イラックさんのお仲間のエルフさんが2人で先に里に知らせに戻ったんですけど、会ってませんか?」

 驚愕の中、仁が小さく首を横に振ると、リリーは名残惜しそうにしながらも仁から離れ、これまでの経緯を簡潔に話し始めた。



「なるほど。ルーナが……」

 仁は納得し、心の中でルーナリアに感謝する。仁は確かにルーナリアなら帝国がエルフの里に侵攻を企てているかもしれないという件に関して何かしら動いてくれるのではないかと期待していたが、まさかあの時点の情報で数日前のコーデリアと同じ結論に至っているとは思っていなかった。

 どうやらリリーたちが街を発ったときにはまだメルニールは無事だったということで、仁は一先ずは安堵し、更に詳しい話を聞こうと口を開きかけるが、イラックが遮る。

「ジン殿。話は後にしましょう。強力な魔物の気配がものすごい速さで近付いてきます。里を襲ったあの魔物かもしれません」

 鋭い目で森の奥を睨むイラックに、戦斧バトルアックスの面々が女性陣を下がらせる。

「イラックの旦那。数は1匹か?」
「おそらく」
「わかった」

 ガロンが仲間たちに指示を飛ばし、大盾を構えたノクタが最前列に出る。他の面々は女性陣を守るような配置に就いた。

「兄ちゃん。兄ちゃんにばかり頼っちまって情けねえ限りだが、俺らは女子供を守る。魔物を倒すのは任せたぜ」
「え、はい。それは構いませんけど、たぶん今回は大丈夫だと――」

 近付いてくる気配に覚えと心当たりのあった仁が、緊張を滲ませる面々にその辺りの説明をしようとしたとき。

『主(あるじ)~! 無事ですか!?』

 木々の間から勢いよく飛び出した魔物の大音量の叫び声が響いたのだが、当然のことながら、その声は仁にしか聞こえていないようだった。
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